「算数障害」

 

トラウマを負った方に多い特徴の一つとして、「算数障害」もあります。

もちろん、いわゆる「算数障害」として障害と認定されるレベルではなく、もう少し軽度で、内的なものを指します。他人との距離感や、言動を解釈する(読み)や、時間や仕事での見積もりなどが狂うということです。

 

実際、トラウマを負った方で問診の際に伺ってみると、算数が苦手な方は多いです。

 

この「算数障害」が原因となって、対人関係などで生きづらさなどが生じてしまいます。

 

 

例えば、安定型愛着の方であれば、他人との距離感は適度な距離を保つことができます。この距離感というのは、とても微妙なもので、遠すぎてもダメ(よそよそしい)、近すぎてもダメ(踏み込みすぎ)。

 

 

しかし、トラウマを負っていると、適度な距離を上手に取ることができません。自分では良いと思っても、相手からは「なんか、距離あるよね」といわれたり、「なんか、べたべたされてしんどい」となってしまいます。

自分でも、知らず知らずのうちに、相手の距離に踏み込んでしまって、傷つけられてしまって、人が怖くなってしまう、という悪循環に陥ってしまっている方もいらっしゃいます。

 

 

 

さらに、お金の計算も狂いますから、お金回りが悪くなる、ということもあります。仕事でうまくいかなくなったり、なぜか、お金が逃げて行ったり、ということが生じます。

 

仕事の見積もりも狂いますから、いつも忙しくバタバタして、仕事に追いかけられ、追い詰められている感じがします。

 

見積もりが狂いますから、将来のことが不安だ、といった「将来不安」といったことにもつながってきます。

 

 

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「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」とは何か?

 

 トラウマを負った人の特徴としては、「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」があります。

 

 「関係念慮」とは、本来自分に関係のないことが関係あると思えたり、することです。特に、対人関係で生じることが多く、だれかが、自分のことを悪く言っている、貶めようとしている、ととらえてしまうことです。

 

 程度が重くなれば、「妄想」となります。
 実は、「関係念慮(妄想)」は特殊なことではなく、日常の中で誰でも経験しています。

 芸人のネタではありませんが、「もしかしてあの人は、私のこと好きで誘っているんじゃないの??」といったことから、「この仕事で成功したら、役員に目をかけてもらえるかも?」といったことまで、いろいろな想像を普段からしているものです。

 

 

 人間の意識は同心円でグラデーションのようになっていって、現実-想像-妄想 と距離が遠くなると、怪しくなっていくものです。

 

 さらに、人間の頭には邪念というものが渦巻いています。Wifiのように、そうした意識が飛び交っているのが対人関係の場、です。

 相手考えている、様々な邪念や意識を、人間は薄々キャッチして感じ取ることがあります。これは、「ノイズ」と言えるものです。

 

 普段、健康な状態にある人、安定型愛着の人は、その「ノイズ」をキャンセリングすることができます。例えば、仕事やプライベートで「もしかしたら、あの人に嫌われたのかも?」と思っても、それを打ち消すことができます。

 脳のコンディションも影響しますし、愛着(頭の中で、家族や知人が自分を支えてくれている絆)も影響します。
 「そんなことはない」と思えるわけです。

 

 しかし、トラウマによって、脳がダメージを受けてコンディションが下がっていて、さらに、愛着も不安定な状態の場合、そうした「ノイズ」を打ち消すことができません。

 

 また、「自他未分」で自他の区別がついていないことも手伝って、「ノイズ」が自分のものではない、とは思えずに、自分のものと真に受けてしまいます。

 そのため、環境から受け取る「ノイズ」をそのまま受けるようになり、それが「関係念慮(被害妄想)」となってしまうのです。

 

 さらに、「解離(人格のスイッチ)」という現象も起きやすいために、これまでの養育環境で刷り込まれたローカルルールの世界観でフィルタして解釈するために、「ノイズ」以外の情報についても歪められてしまいます。

(人格のスイッチというのは多重人格という意味ではなく、私たちの意識はモジュールに分かれているとされ、誰にでも生じます。)

 

 (参考)→「モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。

 

 

 ちょっとした振る舞いで相手から馬鹿にされたと勘違いしたり、相手をこき下ろして、自分を守ろうとします。

 

 場合によっては、「視線恐怖」や「自己臭恐怖」「身体醜形恐怖」のような状態になることもあります。

 

 

 医師やカウンセラーに対しても、同様に疑ったり、ちょっとした振る舞いを悪意と受け取って、クレームをつけたりして、治療関係を悪化させてしまいます。

 

 

 俗に、“境界性パーソナリティ障害”とは、まさにこのような状態で、「ノイズ」をキャンセルできないために、あるいは解離した人格が情報をゆがめて解釈するのでちょっとしたことで混乱してしまうのです。


「あの人は、いつも私を貶めようとしている」
「あの先生はひどいことをした」

といったことは、実は“症状”なのです。

(参考)→「境界性パーソナリティ障害の原因とチェック、治療、接し方で大切な14のこと

 

 

 

 こうした状態を避けるためには、まずは「関係念慮」というものがある、ということを知ること、頭に浮かぶ雑念、疑念は、ノイズとして環境からもたらされるもの(≒自分のものではない。外側から来たもの)だと知ること。「解離(人格のスイッチ)」という現象が存在することを知ることです。

 

 そのうえで、自分だけではどうしようもないので、ちゃんとしたセラピーを受けることも必要になってきます。

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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「自他未分」

 

 トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴として、「自他未分(自他の区別がつかない)」というものがあります。

 

 これは、もともとは発達障害における特徴の一つとされるものです。トラウマを負うと、後天的に「自他未分」というものが生じます。

 内的言語がダメージを受けて、自分と他人の区別があいまいになるのです。

 

 

 もちろん、意識の上では、自分と相手は区別しています。
そこに疑いはありません。普通は問題はありません。

 しかし、コミュニケーションを取り始めたりすると、「自他未分」の問題点は明らかになってきます。

 

 

 「相手の言葉が自分そのものではない」という感覚がないため、相手の言葉がまさに自分の中に入ってくるかのように、相手の言うことを真に受ける。

 

 例えば、「~~さんって、自己中なとこあるよね~」といわれると、「えっ、自己中?どういうこと?」と相手の言葉がグルグル頭の中で回るようになります。

 

 気にしないでおこうと思うのですが、グルグルが収まらず、だんだん不安になってきたり、相手への怒りに変わったり、皆がそう思っているのでは?という「被害関係念慮」が生じてきます。

 

 

 

 自他未分というのは、相手と自分は全く違う人間だ、という感覚が薄いということです。
そのため、自分の考えていることは相手も考えているだろう、と素朴に思います。

 

 しかし、実際はそうではないので、相手はそっけない態度や、否定的な反応を返してきます。

 すると、なんでもないことなのに自分自身を否定されたかのように、見捨てられるかのような極度の恐怖がわいてきます。

 

 例えば、「ここのコーヒーはおいしくないよね?」といった簡単な会話で「そうかな~?」と言われただけでも、どん底に落とされたような気になるのです。
 自分でもなんでそんなにショックを受けるのか、意識ではわかりません。でも抑えられないのです。

 

 そのうち、自分の本音を押さえるようになってしまいます。
自分と他人が同じであるという感覚があるため、人のふるまいにとてもイライラしがちです。

 なんでそんなにイライラするのかがわからないのですが、イライラがわいてきます。自分と他人が同じ、なのですから、たとえて言うなら、自分の体が思うように動かないイライラのようなものともいえます。


 また、自分と他者とは、異なる価値観に住む異文化の住人である、という感覚が薄いことも大きな原因です。価値観が同じ、価値観は一つであるとすると、相違に直面した時に相手を憎むほどにイライラするのです。
(宗教戦争や、左翼の内ゲバなどはまさにそうです)

 

 

 相手をコントロールするタイプの人にはとても恐怖を感じます。そうした人のナメた言動、押しつけがましい言動を軽くいなすことができないのです。頭で対策をシミュレーションをしますが、現場ではうまくいきません。跳ね返されてしまいます。

 

 これも、「自他未分」であるため、相手との間に間合いを置くことができないのです。相手の言う言葉を、「事実」としてとらえてしまうのです。

 

 相手の「否定的な感情」にもとても弱いです。

 相手がこちらに敵意や反感を向けてくると、恐ろしくて腰が砕けるようになってしまいます。本来であれば、その感情にはこちらも感情でノイズキャンセリング(否定的な感情を打ち消す)して解消すればよいのですが、それができません。

 

 内面はとてもビビりです。
 でも、表面的には割とこわもてで、淡々としていて無表情と言われることがあります。

 

 ノイズを自然にキャンセルできないことと、他人への怖さから、ついつい言動がきつくなってしまうのです。
※TVに登場する芸能人などでもそうした人はよく見かけます。こわもてだけど、実は生い立ちの問題からそうなっているだけで、内面はとてもビビりだという人は多いです。

 

 そのうち、「人見知り」になり、人とうまく付き合えなくなってきます。本当は「人見知り」ではないのですが、相手が侵入してくる怖さに、相手との相違をどう対処したらいいかわからないしんどさに
上手く人と付き合えない自分の状態に疲れてしまうのです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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過剰な「まじめさ」

 

 トラウマを負った人のもう一つの特徴(症状)は、「まじめさ」です。過剰なほど「まじめ」なのです。
 なぜまじめかと言えば、「一元的価値観」で、さらに「過剰な客観性」を持っていて、「世界には善悪、正誤の基準がある」という感覚があるからです。

 

 

 そのため、目の前にあるものを相対化して受け取ることができないのです。相対化とは、もっと簡単に言えば、「茶化したり」「諧謔(面白い気のきいた冗談。しゃれ。ユーモア)」をもって接することです。

 それができません。


 なぜなら、目の前にあることが客観的に事実だと思い込まされているから。

 人の言動も真に受けすぎてしまいます。

 とても傷つきやすいのです。

 なぜなら、人の言葉も事実だと思い込まされているから。

 

 

 もう一つの理由は、トラウマを負った出来事によります。

 自分勝手な親のふるまい、人によってはレイプといった理不尽な出来事によってトラウマを負いますから、そうした勝手な人間の行動については嫌悪しますし、自分はそうはなるまいとかたくなに考えています。それもまじめさを後押しします。

 

 まじめさは、学校の勉強など決められた線路を進む場合は強力な推進力になりますが、広い世の中を渡る場合には、足かせになることが多く、生きづらさの原因にもなります。

 

 人生の意味や目的を考えすぎて、虚無的になり、人によっては自ら死に至る、というケースもあります。

 

 

 本来の人生は、「ただ生きるだけでよいもの」

 

 価値観も多元的で、落語の人物たちのような人生観(業の肯定≒人間とはどうしようもないもの)です。


「借金を負えば自己破産すればいいじゃないか」

「ひどい家族なら捨てればいいじゃないか(仏陀もキリストも家族を捨てているし)」

「仕事も変えればいいじゃないか」

 

 

 でも、なぜかそうは考えられない。

 トラウマを負ったゆえの「まじめさ」ゆえに「人生とは立派に生きるもの」と考えさせられてしまっているからです。

 

 社会とは、「自分が楽しく生きるためなら、少々のズル賢さがあったり、グダグダしてもいいじゃないか」という価値観でぼちぼちと進んでいくものですが、それがありません。

 

 残念ながら、会社などに入ったり、社会に出ると、実は暗にそのように生きている人たちにいいようにされてしまうのです。

 

 

 トラウマを負った人たちは、その苦難に際してどうするか?と言えば、自分を見つめなおして、自分を高い精神性へと高めることで生きづらさを乗り越えようとします。
 しかし、ほとんどの場合は破れてしまいます。
 なぜなら、それはトラウマを負ったニセ成熟の夢、幻想だからです。

 

 トラウマによって幼いまま時間が止まり、青くウブなままなのです。そのウブで清廉潔白な自分が好きでもあり、とても辛くもあるのです。

 

 

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