階級意識

 

 現代の日本に生きているとあまりピンと来ないかもしれませんが、人間社会には、長く階級が存在してきました。

 

 日本でも、「貴族」や「武士」といった分け方や、「士農工商」といった分類がありました。
 現在でも階級のある国は少なくありません。

 

 インドのカースト制度は有名ですし、知らない人も多いですが、イギリスは今でも階級社会です。
「ジェントルマン階級」や「労働者階級」という区分が存在します。
(ちなみに、ロンドンの土地は20数名のジェントルマンたちが所有していて、一般の人はそれを長期間賃貸にて利用しているそうです。)

 


 こうしたことから、人間には、「階級意識」というものが原的に存在することは考えられます。

 

 その「階級意識」が意味なく過剰に作用してしまうことで、自分を他人よりも下に置いたりしてしまって、「自信のなさ」や「うしろめたさ」といったものが根拠なく出てきてしまう、可能性があります。

 
 一方で逆に、階級意識が機能低下していることも問題です。

 結果として、他者を尊敬できず、他人の嫉妬を招いてしまう、というケースもあります。フランス革命の後の混乱は、秩序が壊れて嫉妬や恐怖が渦巻く、まさに狂気の時代でした。
 逆の意味で階級意識が壊れてなくなるというのも恐ろしいことです。

 

 なぜかというと、階級があるほうが、社会としては安定していたり、そこで生きる人の心情も分をわきまえて穏やかということがあります。
 自分の住む小世界の中で勝者になれて、ほかの世界のことはまったく関心、関係がない(敬意を払うが、別世界)ということです。

 

 階級がなくなっても、環境に伴った差が相変わらずあるにもかかわらず、機会の平等の結果であるということで個人の責任にさせられてしまい、理不尽さはさらに強まります。そのため嫉妬といった俗な感情が際立ってしまうのです。

 

 

 インドのように因習となると問題ですが、階級意識があることが悪いことであるとは一概には言えません。


 平等な社会のほうが差別はむしろ苛烈になることがあります。

 愛着不安や、トラウマにさいなまれると、人に対して妙にへりくだったり、尊大になったり、他者からいじめられたり、ということが起きやすいのです。

 

 その原因として「階級意識」がうまく働いていないのかも?
という観点から見るとなかなか面白いです。

 

 

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人格者になりたい

 

 

 トラウマを負った人が望むことの一つが「人格者になりたい」ということです。

 

 

 親など理不尽な人たちのように醜い感情のとりこになりたくない。あんな奴らのようにはなりたくない。

 

 できれば自分の感情もどこかに取り除いて押しやりたい。
怒り、不安、恐怖、嫉妬もすべてなくしたい。

 

相手の否定的な感情を受けても、動じない人間になりたい。そうして、人格的にも優れた人になって、思うように生きたい。

 
 しかし、なかなか果たせることができません。

 

 それどころか、ちょっとしたことで動揺したり、不安から取り乱したり、恐怖から相手を厳しくこき下ろしたり、そうした自分に失望してイヤになったり。
 人間は二階建てなのに、一階部分を取り除いた家を建てるものですから、不安定になるのも当然です。

 

 わがままに我を出している人たちにやられてしまうのです。

 
 人格的な完成は正規の発達ルートでもまれる必要がありますが、なかなかそれができずにもがき苦しむことになります。

 醜い「大人」にはなりたくない、その代わりに、大人は通り越して、高潔な「人格者」になりたい。

 

 トラウマを負った人たちにとって、人の感情は恐怖ですから、できる限り直面せずに回避して成長したい、というのが本音です。

 

 回避の手段として、宗教や、哲学や、セラピーに興味を持ったりしますが、なかなか願望は果たせることができません。

 

どこかじぶんは子供のようで、いつまでも未熟で、それが誰かにばれないか、びくびくしているのです。

 

 

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それ、単に攻撃されているだけですよ

 
 トラウマを負った方は裏ルールが分からないために、二階建てになっていることが分かりません。

 きれいな二階部分のみが世の中全体であるように見えています。

 

 そうすると、他人からの悪意、敵意や邪念に接したときに
それが世の中では当たり前の一階部分であることが分かりません。

 

 するとどうなるかというと、

 きれいな二階部分のみであるはずの世の中で、相手から悪意、敵意や邪念を向けられる自分はよほど何か問題があるのではないか?自分が悪いのではないか?
本来は善人であるはずの相手を怒らせるようなとても失礼なことをしでかしたのではないか?

としてダブルバインドにかかり、自分を責め、罪悪感を感じるようになるのです。

 

 
 もっといえば、相手に罪悪感を抱かせるのも攻撃の一種です。
 世の中が二階建てになっていることをわかっている普通の人たちからしたら、


「それ、単に攻撃されているだけですよ」

「いじわるされているだけですよ」

「嫉妬されているだけですよ」

という話なのですが、そのことがどうも理解できません。

 

 さながら、カルト教団に入っている信者さんが、教祖のおかしなふるまいを見て、そのように見える自分の頭がおかしい、と自分を責めるかのようです。

 

 信じていない人から見たら、

 「それ、教祖さんがおかしいだけですよ」

で終了なのですが。

 

 

 自分のコミュニケーションの能力の問題だ、として、自己啓発に励んでみたり、NLPなどを学んでみたりするのですが、根本的な解決策にはなりません。

 

 それはそうですが、前提がずれているのですから。
(二階部分しかない世界で自分がおかしいから問題が起きている、と思い込んでいる)

 

 相手からの悪意、敵意、邪念が飛んで来たら、それをキャンセルする力が必要です。その大元は「愛着」になります。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 

 ただ、トラウマを負った多くの人の場合、愛着が持てていません。そのため孤独な中、自分で自分を支えなければなりません。

 

 頭を使って自分の正当性の根拠を探そうとして、攻撃してきた相手の不正の証拠を見つけようとします。

 そのために、ぐるぐると頭が回り続けるようになります。

 

 

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ハラスメントとは、二階建て構造を隠すこと

 

 世の中が二階建て構造になっているということを隠したコミュニケーションは、すべてハラスメントであるといえます。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 

もっとも端的なものは宗教です。

 信者に、二階部分(善人になれ。他者のために生きろ)がすべてであるように強いるものです。


 教祖は、一階部分をうまく利用して、信者を支配するわけです。
世の中の実情は、二階建てであることに変わりがないのですが、1階部分を生きる方法を奪われてしまっては、さらに生きづらくなってしまい、依存を深めてしまうことになります。

 

 

 経営者にも、こうしたタイプの偽カリスマ経営者が氾濫しています。
「生き方」を強調して、従業員や信者の弟子経営者に「善人になれ、素直になれ、世のために生きろ」と、カリスマにとって都合の良い人間であることを強いるのです。

 

 

 カウンセラー、セラピストや自己啓発の世界でもこうしたことは起きる可能性があります。

 クライアントは、一階部分の汚さ、つらさ、ひどさを経験してきていて、つらい目にあっています。しかし、カウンセラーや自己啓発のグル(教祖)は、「世の中はすべて二階(愛、信頼など)なのだ」「世の中はすべて感謝でできています」として、「気づきを得て、変容、成長を果たして(二階のみに生きる)良い人間になれば悩みは解決する」ということを暗に強いることをしてしまいます。

 

 結局、世の中は二階建てですから、実際の社会では一階部分でやられっぱなしになってしまい、そのことに違和感を感じて訴えてもそれはあなたが変わろうとしないから、として責められ続けてしまうのです。

 

 カウンセラーや自己啓発のトレーナーも知らず知らずのうちに、セッション自体がダブルバインドになっている場合があります。

 

 

 ハラスメントを行う一番身近な存在は、親をはじめとする家族です。

 世の中は二階建てになっているのに、そのことを隠して、きれいごとや、矛盾することを言います。

 

 子供に対してひどいことをして、わがままに行動しているだけなのに、その一階部分(親のひどいふるまい、わがままさ)は見るな、として、二階部分だけを押し通します(「ひどい親だと感じるのは子供のお前がいい子じゃないからだ。いい子になれば問題は感じなくなる」)。

 

 トラウマを負った人たちとは、世の中が二階建てになっていることを実は誰よりも早く発見しています。だから、早熟です。しかし、そのことを支持してくれる人がいません。

 

 「世の中が二階部分しかない」と思い込まされるか、自分が気高い人間となって「二階部分だけの世の中にしたい」と理想主義的になったりしてしまうのです。一階部分(人の邪念やノイズ)を中和する方法が身につかないまま世の中に出て、いつも損をし続けてしまうのです。

 

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 

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