自分に問題があるという前提の取り組みは、最後に振出しに戻されてしまう

 

 トラウマを負った人は、頭のいい人や本当は力のある人が多いです。過酷な環境をサバイブしてきていますから、サバイバル能力もあります。向上心もあります

 

 そのため、自分の弱点や、悪いところを改善しようと一生懸命になります。ビジネス書を読んだり、自己啓発の本を読んだり、セミナーを受けたり、セラピーを受けたりと、一生懸命に取り組みます。

 

 そして、弱点の発見→解消、弱点の発見→解消、と続けていきます。

 

 最初は、ぐんぐんと成長している、ように見えます。

 それを糧にさらに努力します。また、成長を感じます。


 さらに頑張ろうとします。少し疲れてきます。

 でも、頑張ろうとします。周囲とのギャップを感じ始めます。さらに疲れます。

 もっと頑張ろうとします。周囲から批判が来ます。

 あれ?と気持ちが折れてしまいます。

 もうこれ以上は頑張れなくなってしまいます。

 

 最後にはまた元に戻ってしまう。結局、成長していない自分に直面するのです。
ジェットコースターのカーブのように上がった果てに、落ちてしまうのです。

 

なぜでしょうか?

 

弱点の発見→解消 ということで自分を高めるやり方は、自分の愛着の土台を掘り崩していってしまうからです。


 おもちゃのジェンガのように、掘り崩しては上に立て、上に立て、としていくので、最後は崩れてしまうのです。

 さらにいえば、自分の弱点そのものが養育環境で刷り込まれた幻想(負の暗示)です。最初に一言、「お前は変だ」「お前はよくない子だ」という呪い、スティグマを貼られたために、その解消の旅に出る主人公です。

 

 

 本当に必要な前提は、自分は大丈夫、と知ること。本来、親にしてほしかったこと(愛着)を自分にするということです。
(でも自分だけでは暗示が解けないからカウンセラーの力を借りることになります。)

 ただ、あまりにも生きづらく、苦しいために自分を改善しようと躍起になってしまうのです。

 

 あるクライアントさんは、自分は醜い、人よりも劣っている、という考えの元、美容整形をしたり、一生懸命にセミナーや、セラピーをあちこちに受けに行っていました。カウンセラーから見ると、容姿は美しく、チャーミングですが、本人はまったくそうは思っていなかったのです。


 人からほめられたり、大丈夫ですよ、といっても、励まし、お世辞ととらえて、まったく満足することはありません。

 良くなって、もうカウンセリング終結というところまで行きましたが、友人からひとこと言われた言葉で、「私は何も変わっていない」とパニックに陥ってしまいました。
(カウンセラーから見れば改善しているのですけれども)

 

 次から次と改善点を見出しては、振出しに戻ってしまうのです。

 

 自分を自覚的にとらえて高めようとするのはポップ心理学や自己啓発と相性のよい価値観だったりします。

 
 よく考えると、そこで語られていることは、昔自分をひどい目に合わせた親の言葉と変わらないものです。
 「自分がおかしな人間だと認めて、もっと努力しろ」ということですから。

 

 

 トラウマを生む虐待、ハラスメントとは、存在(Being) を 行動面(Doing や Having) にすり替えて、ダメ出しして負の暗示を入れていくことです。

 

 仕事で知識がない、経験がない、とか、試験に受かるために勉強する、スポーツで頑張る、といった行動面(Doing)では一定の努力は必要かもしれません。

 

 しかし、存在(Being)という領域に関して、自分を高める必要などまったくありません。もともとちゃんと自分はありますから。むしろ、適当に、自分に甘く、ゆるく、そこにあるだけでいい。なりたい自分は年表の先にあるのではなくて、今そこにある、ということなのかもしれません。

 

 自分はおかしな人間だ、という幻想からスタートさせられているため、トラウマを負った人は、自分を否定しながら努力を続けさせられ、水が漏れるようにスキル、経験が積みあがらず、最後に振出しに戻るパラドクスに陥らされてしまうのです。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

裏ルールを身に着ける方法はあるのか?

 

 裏ルール(一階部分)は
本来は、学校や地域などでの人間関係、の中でもまれて身に着けていきます。

 

 例えば、
ちょっとしたやり取りでなぜか友達や先輩がへそを曲げた。うそをついたり、隠し事をしたりといった経験。
信頼している友達に裏切られたことがある、など。

 

 そうした中で、他者が自分とは同じではないことを体感していき、どうすれば、相手の“ややこしさ”を引き出すことなく、うまく付き合えるのか?を学んでいきます。

 

 

 友情や信頼、といった表面的なキレイゴト(二階部分)ではなく、その土台にあるどろどろとした人間の在り方(一階部分)を知るようになります。

 

 

 

 ただ、トラウマを負った人は、そこを回避して、ファンタジー、ニセ成熟状態で生きていますから、二階部分(キレイゴトの表ルール)のみで一階部分(裏ルール)が抜けてしまって、社会に出たときにうまく対応できなくなるのです。

 
 ※学校というのは、ローカルな全体主義がはびこりやすいところですから、かならずしも学ぶ機会としては万全の場所ではありません。結構難易度の高い場です。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 
 そのために、少なくない人がそこから挫折していきます。挫折することが異常なことではありません。

 

 

 

 

 では、裏ルールをうまく身に着けられなかった人が改めて身に着けることができるのか?

臨床の経験でいくつか有力なヒントがあります。

 

 
 カウンセリングの中で、生きづらさを抱えるクライアントさんに、生きづらさがなぜ起こるのか?そのメカニズムを説明する中で、裏ルールとは何か?についても整理してお伝えすることがあります。

 

 面白いことは、裏ルールとは何か?を知識として知るだけで、メキメキと安定して、よくなっていくケースがあるということです。

 

 これは、実は普通であれば暗黙知として知っているであろうことをただ知らないだけ、教えてくれる人がいないだけなので知識として知ってしまえば、短期間で急激に成長するということのようです。

 

 

 ただし、その際には条件があって、
裏ルールを知らないということを劣ったことであるとカウンセラーもクライアントも思わないこと、自分を「大丈夫だ」と信頼すること、安心、安全な環境があることです。

 ティーチング(教示)が挫折するのは、教える側に知らない相手が劣っているという意識があることや、教えられる側も、知らない自分はダメで、ダメだと思われている、という意識があることがあります。

 

 

 実は、裏ルールというのは、普通でも異文化を理解するように、知ってはいても、なかなか理解が難しいものも多く、そんなに簡単なものではないのです。実は、人間は誰しも少なからずなんらかの裏ルールが抜けて生きているといえなくもないのです。

 

 
 ですから、知らないものを、あたかも学者が研究対象を解明するようにニュートラルに、伴走者や理解者(カウンセラーなど)とともに知っていくというのは、一つの有力な方法です。

 
 「自分(あなた)は大丈夫」という土台、器があれば、裏ルールはどんどんと身についていきます。

 
 翻って考えれば、裏ルールが身に着けられない足場が奪われる一番の理由は、「お前はおかしい」というメッセージ(暗示)を身近な人たちから浴びてきた、ということかもしれません。

 
 実際に、裏ルールは、成人してからも身に着ける機会は実はたくさんあります。ただ、土台や器にひびを入れられていますから、そこから学んだことが漏れていくのです。

 
 トラウマを負った人が一番感じるつらいことは、学んでも学んでも経験が積みあがっていかない、という感覚です。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

判断しない(無意識に任せる)とはどういうことか?

 

先日、サッカー日本代表の試合を見ていました。

いつものメンバーとは違い急造チームだったためか、連携もうまく取れておらず、ミスも多い。
もどかしい試合展開でした。

 

見ていると、
「なんで、そこでミスをするんだ」
「どうしてこの選手が先発なんだ」
といったことが頭で沸いてきます。
ただ、そうした頭で沸いてきたことを客観的に眺めながら、ふと、自分のしていることへの疑問がよぎりました。

「ああ、意識で判断しているな」と。

 

すると、
「監督が何か意図があるのかも?」とか、
「この選手も何か理由があってうまくいっていないのかも」
「選手を身近で見ているのは監督だから、起用されるには意味があるんだろうな」
「なのに、意識で判断するのって、おかしいな」
と判断を打ち消すようなカウンターとなる疑問も浮かんできます。

優れた監督であれば、どうとらえるのだろうか?と本質について考えるようになってきます。

 

 

 

そうしているうちに気が付いたのは、

「最初に頭に浮かんできたことって、「判断」うんぬんというよりも、”ダメ出し”なんじゃないか?」ということです。


 単に、判断する、しない、といった高尚な段階ではなく、そもそも”ダメ出し”というプロセスが常に頭にあって、それが物事をありのままに見えなくさせているんだ、ということに気づきます。

 判断しないようにしよう、とすると難しくてできなくなりますが、それ以前の”ダメ出し”が問題なのだということです。

 

 普段、自分を責める声だったり、恥ずかしさがわいてきたり、というのも、判断というようなこと以前にダメ出しが頭を支配している。

 

 人間というのは、一枚岩ではなくて、複数のモジュール(プログラムや人格のようなもの)で出来ているということが分かってきています。

モジュールというのは、育ってきた中での規範や周囲の声を内面化したものです。

 

 例えば、親が批判的であったり、厳しかったりすると、よい子であればあるほど、優等生としてそれを内面化しますから、大人になるにつれて苦しむようになります。
例えば強迫的な”ダメ出し”が沸いてきて、周囲との人間関係が悪くなったり、頭の中が騒がしくなってしんどくなるということが起きてきます。

 クライアントさんでも、頭の中で自分や他人への”ダメ出し”が止まらずに苦しんでいる方は少なくありません。

 

 それらを、無意識とつながることで、ではなく、妄想やファンタジーで何とかしのいだり、リストカットなど外部からの刺激やマヒでごまかしたりしてしまうのです。

 

 無意識は「判断」しないか、といえば、「判断」している、と思います。
例えば、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」では、古代の人々は、無意識のみで生きていた、という仮説が紹介されています。

 

 無意識のみで生きるといっても、酩酊状態というわけではなく、危険を察知して避けたり、何かを「判断」したりはしていたことでしょう。心(無意識)に聞けば、答えが返ってきますが、それも、「判断」があるから返ってくるといえます。

(参考)→「「心に聞く」を身につける手順とコツ~悩み解決への無意識の活用方法

 

 

 では、偽の判断、と本来の判断との違いは何か?といえば、まず、ノイズがないこと、”ダメ出し”というプロセスが排除されていること、といえます。

 

一級の哲学者や科学者が、表面的な常識や思い込みを排して、物事の本質をとらえますが、まさに、あのような感じではないかと思います。

 

 

 冒頭のスポーツの例でいえば、優れたリーダーの在り方もそうだと思います。
優れたリーダーは、意識で沸くダメ出しにとらわれず、例えばマスコミの声がうるさくても、まず、本質をとらえようとします。

 

 例えば、そのサッカーの試合であれば、選手のいい悪いということではなくて、
・システムの問題点
・どこを改善すればいいのか
・(うまくいっていなくても)その選手の強みを探して発揮できるようにする
・そもそも、この試合の長期的な意図

といったことを冷静にとらえます。表層的に目の前の人のせいにすることはありません。

 

 

 現象学のフッサールは、「カッコでくくる(エポケー)」と言いましたが、私たちが意識で漠然と持っている常識とは、これまで私たちが内面化してきた他者の意識にすぎません。

それらをいったん、カッコでくくってどこかにやってみる。

 

 そうして心静かに待っていると、、実は、物事の本質とは向こうからこちらの思い込みをねじ伏せるように迫ってきます。

 

 それが、無意識さんに任せる、ということではないか、と思います。

 

 無意識さんに任せる、という行為は、悩みの渦中にある人、トラウマを負った人ほど、そのことに本質的に触れていたります。
本質的に触れている一方で、ノイズも大きいために、トータルで見ると、安定型の人、トラウマを負っていない人よりも不安定に見えて、思い込みやとらわれが多く見えているだけなのです。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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トラウマ的環境によって、裏ルールを身に着けるための足場を失ってしまう

 

 筆者は、昔少年野球のチームに入っていました。
父が見つけてきた、なぜか他の校区のチームでした。

 チームに入ったはいいのですが、みんな知らない子ばかり。先輩ともどう話をしていいかわからず、筆者はずっと黙っていました。
(今でいう緘黙というものだったのかもしれません。)

 

 

 

 野球は厳しくて、練習は大変でした。
当時は、水を飲んではいけない、という時代でしたので、昼の1時から7時まで休憩なしで練習していたこともあります。

 

 先輩たちは、うまくさぼったりするようなこともできていて、ボールを外にとりに行くふりをして水を飲んだり、
監督が来ないように、コーチから連絡先を尋ねられても知らないととぼけたり、と悪ガキぶりを発揮していました。

 

 

 

 一方、前回も書きましたように夫婦ケンカばかりの家で育った私は、それらを回避する手段として、キレイな表のルールを身に着けていて真面目でした。
(特に母親の性格もあってか、地元の子供のグループには入らずに、仲良くしていたのは、近所でキリスト教会を管理している家のお兄さんでした。それもあって余計に、先輩との関係というのは苦手だったのだと思います。)

 筆者は、真面目だったので、体育会系の悪ガキな雰囲気に戸惑って、罪悪感もあり、うまくさぼれず、ウソもつけませんでした。

 

 

 

 では、悪ガキの先輩たちがいつもさぼっていたかといえばそんなことはなく、練習は厳しいので取り組むところは取り組んでいたと思います。
結構強いチームでしたから、卒業してしばらくして後に甲子園に行くようなうまい人もいました。

 

 言葉を換えれば、「要領がいい」ということかもしれません。
少年野球はしんどかったですが、それがなかったら、もっと表のルールだけの人間になっていたかもしれません。

 

 裏ルールというのは、一つにはそういうところでもまれて何となく身につくものかもしれません。

 

 かつて(今でも?)就職でも体育会系が好まれたり、というのも、そうしたことを表しているのでしょうか?
 トラウマを負うというのは、そうした裏ルールを身に着ける経験を積むような足場を奪われてしまう、ということになります。

クラスや部活などにもうまく適応できない、ということが起こってしまって、裏ルールが身につかないから、次の学年へと上がっていっても、さらにうまくかかわれない、ということが起きます。

 

 

 

 筆者の場合は、中学で大きく人間不信に陥ることがありました。父が、(仲良くしている親戚のお兄ちゃんが)「お前のことを嫌いらしいで」と余計な告げ口をしてきたことで、衝撃を受けてしまったことに端を発します。その時は頭が真っ白になって、その後の父の言葉は耳には入ってきませんでした。

 

 芸人の千原ジュニアも、友達のお母さんから「あんな子と遊んだらあかん」という言葉を耳にしたことがきっかけでひきこもりになったエピソードを話していたことがありますが、それと似たような感じです。

 

 それから、高校では、スランプに陥ったかのように友達の作り方が分からなくなってしまうようになります。
(おそらく、一つのエピソードだけのことではなくて、長年のトラウマの累積効果ということも重なっていたと思います。)

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 どうしようもなく、ガリ勉になることで大学受験を乗り越えますが、王道の発達ルートの(つまり、裏ルールも身に着けながらもまれて成長していく)足場を失ってしまったことで、その後、大学、社会人ととても苦労するようになります。

 
 生きづらさを抱えたり、悩みにある方たちも、それぞれに躓いていたり、足場を失ったような、そんな経験をお持ちであることが多いのです。
 ただ、本人は一生懸命に努力して生きてこられているので、それが当たり前だと思って気が付かずにいることがあります。

 

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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