カエサルのものはカエサルに

 

 「自分」というのものの範囲は、必ずしも明確ではありません。

 

 たいていの場合は、
自分の範囲は大きくなりすぎていることが多く、
悩みを持つ人はそれが顕著です。

 

 通常は、成長の中で自分の範囲は適正なサイズへと収斂していき、そのうえで、世界との「関係性」を身体でつかんでいきます。

ただ、愛着が不安定だと、自己が大きくなったまま、あるいは不安定なままになってしまいます。

 

 大きすぎる人のことを「自己愛性パーソナリティ」といい、
極度に不安定な人のことを「境界性パーソナリティ」といったりします。
自他の関係性を間違ってとらえる人を「猜疑性パーソナリティ」「関係念慮」ということになります。

(参考)→「パーソナリティ障害の特徴とチェック、治療と接し方の7つのポイント

 

 

 トラウマを負っても、自分の範囲はあいまいになりがちです。

 自分のものではないものを、自分のものとしてしまったり、自分の中の一部を他人に明け渡していたり。

 

 例えば、他人にイライラする、というのも、「自分と他人の区別」の問題で、自己が膨らみ、他人も自分の一部となっていたりします。自分と他人とに区別があれば、イライラはしないものです。

 

 自分の一部が言うことを聞かないからイライラする。
他人の行動も自分の責任だと思ってしまっている。
家族など他人の世話を過剰にさせられたり、ということも起こります。

 

 

 逆に、自分の中の一部を他人に明け渡している状態、
つまり、自分の親など他人の考えを自分の中に取り込んでいて、それに支配されていたり、ということもよくあることです。

 

 年齢だけが大人になっているだけで、実は精神的には自立できていない。自立する力がない、と思わされていたり、自立しようとすると罪悪感を感じてしまう。

 

 その時に頭で当たり前と思っている「常識」は、ゆがめられた「ローカルルール」だったりします。

 

 

 例えば、トラウマを負った人は、「親の面倒はどこまでも見ないといけない」とおもっていますが、普通の人たちはむしろ、反抗期を経て自立していますから、親子関係はもっとさっぱりしていたりするものです。

(参考)→「「無限」は要注意!~無限の恩や、愛、義務などは存在しない。

 

 

 自立とは、自他に「壁」を明確にしていくプロセスでもあります。

 壁をもとに、自分の責任や仕事とそうではないものとを分けていく。
自分の責任ではないものにはかかわらない。

 

 

 「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」とは、新約聖書の言葉です。

 

 カエサルとは、皇帝のことです。
世俗の責任と、宗教上の責任について述べたキリストの言葉ですが、「自他の区別」をつける際にも、心にとめておきたい言葉です。

 

 例えば、他人の価値観と、自分の価値観は違う。
他人の仕事と、自分の仕事も違う。
他人の問題(悩み)と、自分の問題(悩み)も異なります。

 

 言い換えると、
「私のものは私に、他人のものは他人に」ということになるでしょうか。

 

 健全な養育環境であれば、自然とその区別もついてきますが、不適切な養育、過干渉であったり、ストレスが高い環境だと、その区別はあいまいになります。

 

 例えば、子どもの目の前で夫婦げんかをする、といったこと。夫婦の問題は、子どもにとっては関係ありません。
でも、目の前で行い、子どもが巻き込まれると、子どももそれを自分の問題として解決しようとします。

 

 あるいは、情緒が不安定なお母さん、お父さんについても同様で、態度に一貫性がないために、子どもは自分が影響しているのかどうか非常に混乱して、「自他の区別」もよくわからなくなります。

 

 養育環境ばかりが原因とは限りません。
体質、気質の影響も大きく、もともと「ストレス応答系」の失調がある場合は、外部からのストレスを中和するコルチゾールの壁が機能しづらいために自分と他者との区別はつきにくくなると考えられます。

 

 現代は自己愛型社会ですから、誰もが「壁」については自覚的に取り組む必要があるかもしれません。

 

 外見は年齢を取っていても、自己愛の欠けが問題になって、歳をとっても、自分の考えを押し付けようとしたり、他人にイライラさせられたりと、子どものような振る舞いをしてしまう人は珍しくないからです。

 

 そこを越えるためには、迂回したニセ成熟やスピリチュアルな理想主義などではなく、本来の「成熟」のルートに復帰する必要があります。
そちらのほうが、結局は解決は早いし、本当にたどり着きたいところにたどり着くことができるからです。

 

 トラウマを解消して、「ストレス応答系」が回復(安定)してきて、精神的に成熟してくると、自然と「壁」ができて、自他の区別もついてきます。

 

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ

 

 「他者との壁がない人たち」の代表例は、意外かもしれませんが、実は発達障害の人たちです。

 

 発達障害というと、他者と関係を持つことや維持すること、理解することが難しい、とされますが、
実は、その背景にあるメカニズム、特徴は何か?というと、「内的言語の失調」ということです。

(参考)→「大人の発達障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 

 私たち人間は、言葉によって世界に区切りを入れて、世の中を理解する生き物です。言語は人間の大きな特徴の一つです。

 

 そのため、内的言語がダメージを受けているとどうなるかといえば、世界と自分との区別が、他者と自分との区別がうまくつかなくなります。

 自分と他人との区別がつかない状態のことを「自他未分」といいます。

(参考)→「「自他未分」

 

 まさに世界や他者との壁がない状態。

 壁がないため、いつも不安(「アプリオリな不安」)です。壁がないため、他者を理解できず、空気も読めなくなり、人とうまく交われなくなります。

 壁がないため、関係を結ぶ、ということがよく理解できません。

 

 例えていうなら、「国」とか「会社」という概念がないために、交易や取引ということがうまく理解できない子供のような感じです。

 

 社会人一年生(新人会社員)がしばしば、会社内の部署の区分け、しくみなどがよく理解できず、無邪気に他の部署の協力をお願いしたら、手続きを踏んでいないと断られて戸惑ったり、怒られたりすることがあります。まさにあのような感じを、発達障害の方たちは感じているということです。
(では、部署がなければよいかといえば、仕事は混乱してしまいます。部署や区分けがあるから協力し合える)

 

 発達障害の方たちは、子どものころにいじめられたり、仲間外れにされたり、ということを経験します。

そのうち、その痛みで人がこわくなったり、嫌いになったりするようになるのです。

 

 

 私たちも、家でもそうですが、境があり、その内側は安全だから、ボーっとしながらでも生活ができます。
 もし、家のドアや壁がなければ、安心して生活はできません。逆に、外との境を意識していしまうようになるでしょう。

 

 壁がないというのは、常に不安で、外とうまく付き合えなくなるものです。

 

 実は、後天的にも同じようになることがあります。それがトラウマの影響です。
トラウマの影響を受けると、同じように「自他未分」のような状態になり、他者とうまく壁が作れなくなるのです。

 

 人間は、壁(ストレス応答系の働き)があるから、人と調和、ラポール、リズムが作れる。国と国とも国境があるから、友好な交流もできる(国際)。

 

 例えば、TVに出ている人たち、
笑福亭鶴瓶さん、といった、人見知りなく、人と接しているような人でさえ、実はちゃんと境があって、自他の区別がある。境目がちゃんと機能しているから、自動的にラポールを取って、チェックして、国境のゲートを開けて、人と交わっている。

 

 人とうまく関係が築ける人とそうではない人の違いは
ただ、「壁」がうまく機能しているか、機能していないか、の差でしかないのかもしれません。

 

 私たちの生きづらさを越えるヒントは、こうしたメカニズムを理解することにもありそうです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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「接する」のではなく「信じている」

 

 トラウマを負った人の特徴として、自分や他人、世界に対して、直接ありのままに「接する」のではなく、「信じている」ことがあります。

 
 理不尽な経験をしてきていて、世の中や人間というものは、安心安全ではない、と感じています。

 

 そのため、直接「接して」はあまりにも危ない、ためにありのままの他者、世界に、ではなく、いったん抽象化(ファンタジー)したものを「信じる」ように接しています。

 

 

 そのため、他者や世界について、見たくないものは回避しようとします。信じるかどうか?なので、抽象化したイメージにそぐわないととても腹が立ったり、こき下ろしたりするようになります。

 

 ありのままの他者や世界は、良いものも悪いものもほどほどに同居しているものですが、そうした真ん中がありません(二文法的認知)。

 

 例えば親に対しても、ありのままに見ればよいわけですが、抽象化したイメージとしての親(親´)と接し続けています。

 ですから、実態としては愛情が持てないご両親だったり、過去には理不尽なことを重ねてきていても、それがわかっていながら、イメージとしての親(本当は愛してくれるはず)をずっと追い続けて、イメージ通りに動いてくれない親に対して、腹が立って、小突いてみたり、口論になったりするのです。

 

 
 自分自身に対しても同様です。自信自身に対する時も、ありのままの自分と接するのではなくて、抽象化した自分(自分´)を信じています。

 スティグマ感を背負い、罪悪感があり、自分に自信がありませんが、それらは、周囲から背負わされた抽象化されたイメージです。

 

 ありのままの自分はとても汚れていると思いこまされているために、抽象化したイメージ(少しマシな自分)を信じるようにしているのです。

 

 そのイメージを信じてしまうので、いつまでも、自分に自信が持てないままになってしまいます。

 

 

 「自他の区別」がつかない原因の一つは、抽象化したイメージを通じて世界や自分と接しているからです。

 イメージだから、区別や距離が取れないのです。現実の自分や他者をありのままに見れれば、区別は距離は明らかにとることができるのです。

 

 

 

 このことに気づくだけでも、結構変化が生じます。
 ありのままの他者を見る、ありのままの世界を見る、ありのままの自分を見る、ということができると、生きづらさは、ぐっと良くなってきます。

 

 

 

 

 

 

「自他未分」

 

 トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴として、「自他未分(自他の区別がつかない)」というものがあります。

 

 これは、もともとは発達障害における特徴の一つとされるものです。トラウマを負うと、後天的に「自他未分」というものが生じます。

 内的言語がダメージを受けて、自分と他人の区別があいまいになるのです。

 

 

 もちろん、意識の上では、自分と相手は区別しています。
そこに疑いはありません。普通は問題はありません。

 しかし、コミュニケーションを取り始めたりすると、「自他未分」の問題点は明らかになってきます。

 

 

 「相手の言葉が自分そのものではない」という感覚がないため、相手の言葉がまさに自分の中に入ってくるかのように、相手の言うことを真に受ける。

 

 例えば、「~~さんって、自己中なとこあるよね~」といわれると、「えっ、自己中?どういうこと?」と相手の言葉がグルグル頭の中で回るようになります。

 

 気にしないでおこうと思うのですが、グルグルが収まらず、だんだん不安になってきたり、相手への怒りに変わったり、皆がそう思っているのでは?という「被害関係念慮」が生じてきます。

 

 

 

 自他未分というのは、相手と自分は全く違う人間だ、という感覚が薄いということです。
そのため、自分の考えていることは相手も考えているだろう、と素朴に思います。

 

 しかし、実際はそうではないので、相手はそっけない態度や、否定的な反応を返してきます。

 すると、なんでもないことなのに自分自身を否定されたかのように、見捨てられるかのような極度の恐怖がわいてきます。

 

 例えば、「ここのコーヒーはおいしくないよね?」といった簡単な会話で「そうかな~?」と言われただけでも、どん底に落とされたような気になるのです。
 自分でもなんでそんなにショックを受けるのか、意識ではわかりません。でも抑えられないのです。

 

 そのうち、自分の本音を押さえるようになってしまいます。
自分と他人が同じであるという感覚があるため、人のふるまいにとてもイライラしがちです。

 なんでそんなにイライラするのかがわからないのですが、イライラがわいてきます。自分と他人が同じ、なのですから、たとえて言うなら、自分の体が思うように動かないイライラのようなものともいえます。


 また、自分と他者とは、異なる価値観に住む異文化の住人である、という感覚が薄いことも大きな原因です。価値観が同じ、価値観は一つであるとすると、相違に直面した時に相手を憎むほどにイライラするのです。
(宗教戦争や、左翼の内ゲバなどはまさにそうです)

 

 

 相手をコントロールするタイプの人にはとても恐怖を感じます。そうした人のナメた言動、押しつけがましい言動を軽くいなすことができないのです。頭で対策をシミュレーションをしますが、現場ではうまくいきません。跳ね返されてしまいます。

 

 これも、「自他未分」であるため、相手との間に間合いを置くことができないのです。相手の言う言葉を、「事実」としてとらえてしまうのです。

 

 相手の「否定的な感情」にもとても弱いです。

 相手がこちらに敵意や反感を向けてくると、恐ろしくて腰が砕けるようになってしまいます。本来であれば、その感情にはこちらも感情でノイズキャンセリング(否定的な感情を打ち消す)して解消すればよいのですが、それができません。

 

 内面はとてもビビりです。
 でも、表面的には割とこわもてで、淡々としていて無表情と言われることがあります。

 

 ノイズを自然にキャンセルできないことと、他人への怖さから、ついつい言動がきつくなってしまうのです。
※TVに登場する芸能人などでもそうした人はよく見かけます。こわもてだけど、実は生い立ちの問題からそうなっているだけで、内面はとてもビビりだという人は多いです。

 

 そのうち、「人見知り」になり、人とうまく付き合えなくなってきます。本当は「人見知り」ではないのですが、相手が侵入してくる怖さに、相手との相違をどう対処したらいいかわからないしんどさに
上手く人と付き合えない自分の状態に疲れてしまうのです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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