親、家族についての悩みは厄介だが、「機能」としてとらえ、本質を知れば、役に立つ~家族との悩みを解決するポイント

 

 前回の記事でも書きましたが、
悩みの解決では、環境からアプローチすることはとても大事です。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 

 うつ病でも、本当に治すためには生き方(働き方、暮らし方)の変更が必須といわれます。

(参考)→「うつ病の真実~原因、症状を正しく理解するための10のこと

 

 生き方がそのままでいては、いくら薬やカウンセリングでよくしても、また再発したりして戻ってしまうようです。

 

 

 

 私たちが直面する中でもなかなか厄介な問題である「家族との関係」の問題をどうするか?ということについても、環境を変える工夫が必要になってきます。

 

 ただ、やはりネックになるのは、経済的な問題です。
特に女性にとって、日本はとても暮らしにくい社会です。平均年収は男性の半分程度。ある調査ではシングルマザーの8割以上が生活が苦しいと回答しています。軽々には自立しては?とは言い難いところがあります。それぞれの価値観も多様ですから、治療者が「こうしなさい」と押し付けることもできません。

 

 そのため、医師や、カウンセラーも、なんとか現況のままで打開策を探ろうとしますが、それでも症状が変わらず環境が明らかに原因であるならば、自立への一歩を勇気をもって進む、ということも必要になってきます。

 

 

 「家族」というものは、どんな方にとっても、厄介なものです。実の家族だから(実の家族だからこそ)、ややこしい。

 

 家族だからといって、愛してくれるとは限りません。
家族だからといって、味方をしてくれるとも限りません。
家族だからといって、自分を認めてくれるとは限らないのです。

 

 でも、私たちはいつのまにか、「家族」に対して幻想を抱かされてしまっていて、「(他の家庭は仲がいいのに)仲が悪い、私はおかしいに違いない」と思い悩んだり、「世話をしなければならない」「見捨ててはならない」といった「~~ねばならない」のとりこになってしまいます。

 

 また、セラピストが書いた本にあるような美談、宣伝にも影響されて、「解決出来ていない自分に問題がある」というに思われている方もいらっしゃるかもしれません。本に書いてあるようにはなかなかうまくいかないものです。

 

 

 他の悩みでも同様ですが、
「家族」というものを考える際は、歴史や、常識(古典)を知ることはとても役に立ちます。
 多様な価値観の元に、判断を迫られる問題については、軸となる知識を持っておくことは大切です。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 まず第一に知らなければならないのは、
家族、特に「生みの親」とこれほどまでに密着した関係を持つようになったのは、現代に特有のことであり、かならずしも、皆さんが直面している家族のスタイルは歴史的に見て普遍的なものとは言えない、ということです。

 

 過去の時代では、生みの親は自分の子どもを産んでもさほど関心を示さない社会もありました。

 

 また、生みの親を離れて奉公に出て、そこでの親方と疑似的な親子の関係になる、ということも普通のことでした。やくざの世界では、親子、兄弟の契りを交わして、ということですが、あのような感覚です。


 やくざほど極端でなくても、現代でも、例えば部活とか、会社などで、ある種疑似的な親子の機能をそれぞれが果たしていたり、といったことはあります。監督、上司のあだ名が「親父」「~~の母」だなんて、ということを耳にしたことはないでしょうか。

 

 簡単に言えば、「親」「家族」とは、機能であって、実の家族かどうかとはイコールではない、ということです。ですから、生みの親、実の家族とうまくいっていないことについて罪悪感を持つ必要もありませんし、こだわって問題を解決しようとする必要もありません。

 

 生みの親、実の家族が必ずしも親、家族の機能をはたしている「良い親、良い家族」とも限りません。どうしてもわかってくれない、家族の機能を果たせない人たちもいます。その場合は、家をの外で、社会の中で少しずつ親の機能の代替を得ていくものです。

 

 人間には生理的に、反抗期が存在する、ということも見逃せません。私たちは、反抗期に、“精神的に親を殺して”自立を果たすとされます。社会的には、経済的にも独立をしていき、空間的にも離れて一人前になっていきます。
親子仲良く、べったりということは普通とは言えない。

 

 今の社会は、親元にずっとい続ける、ということも多くなったために、自立の境目があいまいになってしまっていて、それも問題を生む原因になっているようです。

 

 普通の人でも、家族とはややこしいものです。皆、それぞれ問題を抱えています。

 

 筆者が子どものころ、ドラマやアニメでは、親子の葛藤(葛藤する親子)というの珍しくなかったように思います。父親というのは決まって頑固で、雷を落とす、というのが定番でした。

 わからず屋の親に反発して家を出て、ということも陳腐すぎるくらいによくある題材でした。
(そういえば、マンガ「美味しんぼ」も父子の葛藤が物語の軸でした。)

 

 逆に、物分かりのいい親、というのはとても珍しかった。筆者が、1988年公開の「となりのトトロ」を見たときに一番印象的だったのは、糸井重里が声を演じていた、優しい友達みたいなお父さんでした。父親というの親父で頑固で、ということがお決まりだった中で、画期的で驚いたのを覚えています。

 

 本来、家族、親とは「機能」ですから、機能がどうしても満たされない場合、本人が家を飛び出して自立する。社会(特に仕事)に出た中で出会う人たちとのやり取り中で 代わりに少しずつ親、家族からもらえるはずの機能が満たされていく。そして、自分が自立に成功した暁に、生みの親、家族にも“遠くから恩を返す”というものだったのではないか?

 

 

 国や会社でも他社(他国)に経済的な実権(株など)を持たれたり、借金をしたりすると、依存している分だけ口を挟まれます。これは資本の論理です。同様に、経済的に親を頼るということは、精神的にも束縛される(口を出される)ということを意味します。経済的な依存関係にある場合、親子が問題を抱える、共依存関係になる、ということは構造的には当たり前とも言えます。

 

 家族の問題とは、心理主義の風潮の中で勘違いされているような「心理」の問題ではなく、本来は「機能」の問題であり、「経済的」問題でもあるのです。ケースによっては、経済的にも独立して、対等な関係を築いて初めて関係が良くなることもあります。

また、時間が立ち、互いの成熟を待たないと解決しない問題だってある。

 

 

 逆に、「愛着」だとか「支配」といった理屈を根拠に、機能不全の家族が経済的、空間的にも一緒のままで、「親、家族に変わってほしい」とこだわり続けることは果たして生きやすさにつながるのか?冷静に検討してみる必要があります。結局、カウンセリングを受けてみても、親は変わることなく、生きづらさは解消されないまま時間とお金だけがかかることになりかねません。

 

 さながら、うつ病の人が、生き方を変えないまま、薬やカウンセリングだけで症状を回復させようとして、結局再発を繰り返すような状況です。

 

 ※「愛着」理論は大変便利な仮説ですが、ただ、生みの親との関係をあまりにも強調しすぎる、という短所もあるように思います。本来は、生みの親に限らず「社会的なネットワークが絆を作る」と広く捉えられるものです。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと」  

 

 

 

 人類の中で、精神的な文化に大きく寄与したゴーダマ・シッダールタ(仏陀)、とキリストも、ともに故郷や家族を捨てて悟りや教えを啓きました。

 

 彼らほどの人物であれば、家族のもとにいたままで悟りを開いてはどうか?と思うのですが、どうしてもそれはできなかったようです。

 

 

 特に、キリストについて、指摘されている、とても面白い有名な事柄があります。

 キリストは弟子を連れて各地で奇跡を起こしていますが、唯一、故郷に戻った時には、奇跡は起こせていないそうです。つまり、しがらみのある家族のもとではキリストでも本来の力を発揮することはできなかった、というのです。

 

 彼らほどの天才でも、親元、家族の元にいては精神的に自立を果しえなかったのですから、凡人の私たちにおいては、なおさら、その難しさは自覚する必要がありそうです。

 

 

 

 当然ですが、何でもかんでも、自立が解決策とは言えません。それぞれの価値観、経済的な事柄にも慎重な配慮が必要です。冒頭にも書きましたが、特に女性は経済的にも生きづらい社会ですし、発達障害傾向や体質的に家から出れない、という深刻な問題を抱えている人も少なくありません。

 

 ケースによっては家族のもとにいたままでカウンセリングなどを通じて解決を目指さざるをえないものもあります。

 

 ただ、どのケースにおいても、環境にはあらがえないという人間の限界を踏まえて、「家族」については、機能的、構造的にとらえる必要があります。

 

 

 

 「家族」との悩み解決を考える際のポイントを簡単にまとめるてみます。

 

1.機能をはたしている存在こそが「親」「家族」である、ということ踏まえる。

2.そのため、機能不全に陥っていたら、まず、機能を満たすように働きかける。

3.それがかなわなければ、機能を外に求めてその家族の元を離れる、ということになります。

 

 仮にカウンセラーに役割があるとしたら、1~3それぞれのパートを支える、ということになろうかと思います。

 特に、家族に対しては幻想や罪悪感を持たされやすく、一人では行動が制限されてしまいますから、「機能(環境)」という判断材料を軸に、クライアントがより良い機能(環境)を得られるように側面から支援するということになるのではないか?と思います。

 憎しみやわだかまりについてはトラウマケアなどで解消していくことになります。

 

 

 こうしたことを自分で判断するためにも、「家族」というものを相対化する目をもっておく。そのために、家族の歴史や機能などについての知識を持っておくことはとても役に立ちます。
(知識があると、カウンセリングを受けても、解決は早くなります。)

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

ウソや隠し事がないと生きづらさが生まれる

 

 ウソをついたり、隠し事をするのは、発達の過程ではとても重要だとされます。ウソや隠し事をすることで、自と他との区別が初めてできるからです。ウソや隠し事を通じて人間は自我を確立していくのです。
(育児や発達の本を読むと登場してきます。)

 

 人間とはクラウド的な存在です。
自分というものが初めから存在しているわけではなく、外来要素を内面化して束ねているのが自分です。オープンなスマートフォンのような状態です。スマホ本来の機能は何もない。

 ただ、写真やメールなど自分のデータを暗号化して外から読み取れないようにしたときに、はじめてその部分が「自我」になる。

だから、ウソや隠し事はとても大切なのです。

 

 

 機能している健全な家族、安定型愛着の家庭であれば、ウソや隠し事もある種のユーモア(諧謔)で対応されます。
「なんちゃって!」が通用することがすごく重要です。
もちろん、「ウソや隠し事はダメよ」とはなりますが、実際は「ウソや隠し事もときにOK」「仕方がないな(人間というのはそういうものだ)」として柔軟に運用されているわけです

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 機能不全家族の場合は、逆に、とても厳格に真面目に運用されます。人間のイメージが宗教画のように清らかで完璧です。そこでは、「ウソをつくな!」といって、ウソや隠し事は封じられてしまいます。

 

 

 

 あるいは、親が機能していないために、子供が「優等生」となり、親代わりにしっかりしている、という場合もあります。

 

 そこでは、子供がしっかりしているから自我が芽生えているか、というとそうではなく、子どもらしいうそや隠し事ができないまま、子役のようにニセ成熟として親代わりを演じているだけです。ですから、大人になってから「自分がない」という状態になり、苦しむことになります。

 

 

 

 ブラック会社やカルトなどはある種の機能不全職場ですが、そこでも、「ウソや隠し事は厳禁」で「社員は素直であること」が強いられます。上司が「俺の目を見ろ!」として、ウソや隠し事がない状態を強います。

 

 社員は隠し事なく、会社の指示に従う。それがいいように聞こえますが、全然そんなことはありません。

 

 昔、東大教授が書いた「できる社員はやり過ごす」という本がありました。つまり、上司も万全ではないので、健全な組織では、時に上司の指示をやり過ごしたり、部下たちは自分たちの裁量でこっそり開発したり、仕事を進めたりしていた、ということです。

 

 

 最近はやりのガバナンスというと、すべてが透明で、指示が徹底される、というように思われていますが、健全な職場というのはそうではなありません。機能する家庭のように、ある意味いい加減で、社員それぞれは秘密はありますが、全体としては成果を上げるように頑張っている、というものです。

 

 

 

 トラウマを負った人は、過度に真面目です。隠し事ができません。建前と本音が嫌いです。使い分けることができません。それはピュアでいいこととされますが、実は、真面目で隠し事ができないことが、「自分がない」という生きづらさを生んでいるのです。

そして、“本当の自分”を外に求めてさまようことになります。

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

親からの暗示で、感情、怒りを封じられる。

 

 親からの暗示で、さらによくあることとしては、感情、とくに怒りを封じられる、ということがあります。
 怒りというのは、自分を守るためのもので、ストレスに対処して、記憶を処理するうえでもとても重要です。

 そして、怒りは決して大きな怒りばかりではない、小さな怒りというのは日常にあって、それはテンションをコントロールするうえでもとても重要です。

 

 普通の人たちを見るとよくわかりますが、小さな怒りはそこここにある。

「なんだよ!!お前、ひどいな!」といいながら、友人同士、同僚同士で小さな怒りをやりとりしあう、というのはよくあることです。

その小さな怒りでテンションを上げて、人同士はつながることもできるのです。

 

 

 

 一方、もし怒りを封じられてしまうと、人同士がつながることがうまくできなくなってしまいます。

「ほら、あなたはすぐに怒る。親戚の~~さんみたいだ」

「すぐ怒るから、あなたは誰ともうまくいかない」

「親に向かって怒るとはひどい人間だ。あなたはおかしい」

 

といったように、感情を先回りして封じられることがあります。また、怒りは、受け止めてくれる相手がいないといけないのです。でも、先回りして暗示を刷り込まれることで受け止められることもありません。それをされると、人間が機能するうえで必要な怒りも発散できなくなります。

 

 怒りが発散できなくなると、怒りが脳内に帯電して、感覚麻痺や過敏を引き起こしたり、脳の過活動で低血糖状態を引き起こしたり、人間関係で計算違いを引き起こしたりして特に対人関係がうまくいかなくなります。

 


 もちろん、怒りを封じられても怒っていることがあります。
例えば、機能不全家族の中で、ずっとそのことに怒っている子供はいますが、それは、本当に怒っているわけではなくて、「非機能的な怒り」といわれるものです。
本当に心から怒って、発散しているというよりは、捻じ曲げられてゆがめられたような怒り、発した後に後悔が襲ってくるような怒りです。

 

 あるいは、怒りでキレて、てんかんのようになかば人格がスイッチしてしまって、自分ではない、親が刷り込んできた「おかしな人間」の自分が前面に出てくるような怒り、もあります。本来の自分ではないので、むしろ怒りはたまるばかりです。

 

 

 そうした「非機能的な怒り」は、本当の怒りの発散にはつながらずに、怒れば怒るほど、後悔が襲ってきて自尊心は傷つき、ますまず頭で帯電してしまいます。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

家庭や職場の理不尽さのもう一つの理由~いじめの社会理論

 

 職場や家庭の中のハラスメント行為の原因のもう一つは、「いじめの社会理論」と呼ばれる原理によるものです。

 これは社会学者の内藤朝雄氏が明らかにしているものです。

→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

 簡単に言えば、学校、職場、家庭などのローカルな共同体のゆがんだ秩序(群生秩序)がもたらす理不尽な行為です。

 

 社会での汎用的な原理ではなく、その場での力関係が生み出す「ノリ」で決められたルールが支配する状況です。

 

 その状況にあると、まともな人でも感染するようにおかしくなり、そのノリに当てはまらない人を苛烈にいじめるようになります。

 

 家庭の場合は、「機能不全家族」がまさにそうですし、

→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 職場の場合は、「ブラック会社」と呼ばれる環境がまさにそうです。

 

 

 もともと自責感の強い人をターゲットに、相手のせいにして正当化するため、あることないこと取り上げて責め立てます。

 

 

 こうした状況から逃れるためには、環境を変えることももちろんですが、多くの人(特に管理職や親などが)がメカニズムを知ることも大切です。

 管理職や親がまさに主犯である場合は、環境から逃れるしかありません。

 

 「悩みはその人の内にある」という間違ったテーゼを信じていると、いつまでもその環境にとどまり、内省し続けることになります。

 

 社会学者も明らかにしているように、家庭や職場の生きづらさもすべて外からやってくるものなのです。そのことにそろそろ気づく必要があるようです。

 

 

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