ローカルルールやファンタジーから離れ、”現実”へ

 

 負の暗示をいかにして除いていけばよいのか?

 世の中が無秩序に見える、のであれば、
 世の中の秩序、現実を知る、ということは、その解決の助けとなります。

 

もう一つのヒントは、悟りを開いたとされるゴータマ・ブッタがどのようにして苦から楽になったか、にあります。

 仏教は、「覚りの宗教」と呼ばれます。

 仏教は、世の中の摂理を何の期待も、執着も盛り込まずに捉える。幻想(執着)から覚醒して世界をありのままに見る。これが「悟り」とよばれるものです。

 

 世がこういう理想であるべき、というファンタジーもありません。

 そのため意外ですが、本来の仏教には、神様とかそういう要素は出てきません。
 梵天とか、マーラとかがそういう存在は出てきますが、それらはゴータマが生きていた時代にすでにあったインドの神様たちのことで、仏教そのものには神という要素はないそうです。

 むしろ、仏教はファンタジーを持たないことで苦から自由になる、というものです。

 かなり理知的な哲学で、現代哲学の現象学なども仏教から影響を受けているとされます。

 

 仏教の悟り、ということからわかることは、親や環境から入った負の暗示、から逃れるというのは、理想に逃れる、ということではなく、ありのままの現実を見る(覚める)、ということ。

 

 なぜなら、理想やファンタジー、というのも結局は暗示(脳内に発作、解離を起こすもの)でしかなく、新たな苦を生み出すものでしかないからです。あるファンタジーから逃れるための手段として一時的ならば、もしかしたら許されるかもしれませんが、根本的な解決にはならない。
 どうして自己啓発とか、スピリチュアルなど理想を語るものが解決にはならないかというのはこうしたことにあります。結局、別の発作の種を脳内にもたらすものでしかない。

(参考)→「ユートピアの構想者は、そのユートピアにおける独裁者となる

 

 

 ただ、仏教のように覚るということは、私たち凡人にはちょっとハードルが高い。

ではどうするのか?といえば、

 

 もう一つのヒントは、学問とか、“常識”の力を借りる、ということです。

 “常識”というのは、決して今の世の中の俗な意味での常識、といったことではありません。
 また、特定の個人や団体の常識、でもありません。うまくいかない現実を受け入れろ、といったシニカルな意味でもありません。
 歴史等を背景としたもので、世の中が多元的であるということを踏まえてありのままの人や世の中に向き合う姿勢のこと。

(参考)→「「常識」こそが、私たちを守ってくれる。

 

 

 例えば、「家族」といったテーマについても、今の世の中の当たり前や個人の価値観ではなく、歴史的に見て、家族とは何か?家族の機能とは何か?といったことをしっかりと押さえる。

 あたかも、自然科学者が研究対象を見るような目で世の中を見てみる。

 そうすると、人間にとっての「家族」というものの本質が見えてきます。今の世の中で当たり前とされる家族像も特定の条件がなければ成立しない一時的な姿でしかないこともわかってきます。

 人間にとっての家族というものの意味が分かると、私たちが苦しんでいる家族は、実は当たり前ではなく、「機能不全家族」であることが見えてきます。逃れられない現実だと思っていたことが、実はファンタジーであったことが分かります。
(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全」 

 

 

 そのように歴史に根差して、”常識”から照らしてみると、鉄壁のように見えていた呪縛の壁も、実はハリボテであることが見えてくる。ハリボテなので、捨てても悔いはないし、そこから自由になることもできるのです。

 「家族」「恋愛」「仕事」「会社」、そして「人間関係」など、個人の価値観で語るのではなくて、一度徹底的に、歴史や社会学などの知見も借りながら、棚卸して整理することが必要かもしれません、そうするだけでも、呪縛を解くスクリプトたりえます。

 

 知見も借りて棚卸し、というとなかなか厄介だという方は、例えば、カウンセラーと対話しながら、家族の本質とは何か?人間関係とは何か?社会とは何か?仕事とは何か?を一緒にとらえていくと、誰でも呪縛を解き、現実を見る助けとなります。

 

 発達障害の方が受ける、SST(ソーシャルスキルトレーニング)などは、まさにこうした機能があって、生活や仕事について、本質を踏まえながら、その手順などを自分に合う形で学んでいきます。
 無秩序に見える世界を秩序立てていく作業をともにしていくわけです。

 

 定型発達の方でも、本来カウンセリングというのは、安全な環境でありのままの現実を見るために、秩序をもたらすためにあります。

 決して、同情されたりするためにあるのでも、
 甘い理想を語られたり、慰められたりするのでも、
 自己責任だとか、選択だといった、個人主義のローカルルールから、うまくいないことを責められたりするためにあるのでも、ありません。

 

 理想(ローカルルールやファンタジー)へと回避せずに、安心安全を醸成しながら、 徐々に、ありのままの現実の中へと入って、発作(呪縛)を取って、目を覚ましていく。セラピーの様々な手法の本質というのは、このためにあります。

 

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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お悩みの原因や解決方法について

“安心・安全”がないと、負の暗示に飛びついちゃう

 

 負の暗示というのはどうすれば入るのか?
もし、入り方が分かればその自由になる方法のヒントも得られそうです。

 

 筆者が、昔読んだ本の中で、人間は力で殴られても内心、コノヤローと思うだけで、相手の考え方を変えることはできない。ということが書かれてありました。

 意外にも、暴力といった形での圧力そのものでは相手の考え方を変えさせることは難しい。

 

 一方で、価値観の根底を揺るがせるようなことをすると、人間は新しい価値観に飛びつく。比較的容易に相手の考えを変えさせることができます。

 洗脳や自己啓発セミナーなどは、罵倒したり、否定したりして、価値観を揺るがせて、新しい価値観を刷り込む。

 価値観を揺るがせる、というのは何か?といえば、安心、安全を奪う、ということです。もし、暴力も相手を変える力を持つとすれば、安心安全を根底から奪うような場合。 

 
 安心安全を奪うというのは、ただ、自分のホームがあって、外来から何かがやってくる、という形ではありません。
 

 

 この世界が無秩序で、安全だと思えない、というような感覚。訳がわからないような感覚。

 

 これが負の暗示を一番もたらすものではないかと考えられます。

 なぜかというと、世界そのものが訳がわからないために、その世界に、仮の秩序をもたらさないと、とてもじゃないけど生きていくことができない。そのために負の暗示に飛びついてしまう。

 

 そこで、まったく多様性も、普遍的でもないけど、親などから入れられた、おかしなローカルルールを受け入れてしまうようになる。※ローカルルールというのは、常識のふりをした偏ったルールのこと。
 あるいは、外からのローカルルールから自分を守るために、自己の内側にローカルルールを作り上げる(防衛とか、回避とか言われるもの)。

 これが負の暗示の本質ではないか?と考えられます。

 

 この世が根本的に無秩序で、安心安全ではない、という感覚は、2つのものから来ます、

 一つ目は、愛着不安から。養育環境が悪いという点から。私たちが想像する、親の不適切な育児が原因で、機能不全家族でといったようなことから、

 

 あともう一点、先天的な体質の問題。自律神経、免疫系、内分泌系、脳内伝達物質といった体内で秩序をもたらすような感覚などが、生まれつき不安定であるという点。この2点目は、あまり大きくは指摘されないことですが、結構多いものです。いわゆる育てにくい子とされるケース。
その代表的なものが発達障害とか、甲状腺疾患などを抱える人たちとなります。

 客観的な事実として、親の対応はそれほど悪くないけど、子どもは育ってから、書籍などの情報や過誤記憶から、「周りはひどい人ばかり!」ということを声高に言うようになって、周囲は苦慮する、という場合です。
 (もちろん、本当に親の対応がひどいケースと区別はつきにくいのですが)

 

 以前にも書きましたが、最近は、非認知能力といわれるもので、安心安全というのは、学力など世の中を渡っていくときの基盤となるものです。

 安心安全がないと、落ち着いて世の中の秩序についての知識を明らかにして、自分のものにする、という感覚がわかない。

 ちょっとわからないことがあると、投げ出したくなります。
(参考)→「世界に対する安心感、信頼感

 

 まだ、学校の勉強はまだよいのです。きっかけがつかめれば攻略できる、ということが分かりますから。
 

 一番厄介なのは、人間関係です。
 人間は、きまぐれだったり、すぐに解離(発作)しておかしくなったり、ということが日常茶飯事です。
 安心安全という感覚がない人からすれば、人間というのは最も高度な問題です。

 一方、安心安全という感覚がある方からすれば、人間関係にも、コツがあり、ルールがあり、それさえ守ればなんでもないよ、ということなのです。

 

 挨拶、とか、根回しとか、季節や、人生のタイミングでの贈答品を交換するだとか、そういうプロトコルはその基本なのだと思います。
 ただ、トラウマを負った人は、そういうことは毛嫌いしがちですけれども。
 
 このブログで書いたような裏ルールというものは、さらに上級編で、人間のネガティブな感情を否定せずに自分も纏っていかなければ、周囲とはペースは合わせることはできない。
(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 頭でわかっていても、トラウマを負ってしまうと、根本から「怖い」という気持ちがわいて、うまく対応できなかったりします。

 そうすると、世の中、人間関係に対して、勝手なローカルルールを作り出したり、ファンタジーに頼ってしまうようになり、世の中をありのままに見れなくなってしまうのです。

 

 発達障害の人は必ずファンタジーに傾倒するとされますし、私たちでも、不安になると願掛けやおまじないをしたくなったり、苦しい仕事や勉強の際は、自分独自のルールやファンタジーの世界を作り出して、逃げようとしたりします。

 トラウマを負った人も、非常事態モードだから、安心安全感がないために、負の暗示にかかりやすい。
 

 安心安全ではない、という感覚から、しがみついてしまったローカルルールやファンタジーのことを、負の暗示、というのだと思います。

 負の暗示から逃れるためには、私たちはどうしてもテクニックにばかり目が行きがちですけど、それよりも
「安心安全」という感覚を、内的、外的にも取り戻すのか、ということが一番のポイントになります。

 (なぜ、運動睡眠がセラピーよりも大事なのか、そしてなぜトラウマケアなのか、ということの秘密はここにあります。)

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

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親などから入れられた呪縛を解くためには何が必要なのか?

 

筆者が、カウンセリングを提供していて、よく同じ職場のカウンセラーの先生等に冗談っぽくいうのは

「下手にカウンセリングを受けるくらいなら、運動するか、お祓いでも受けた方がよほどいいですけどね」

ということです。

(同じ職場のカウンセラーさんは冗談だと思って笑って聞いていますけど)

 

「お祓い」というのは、実際にそんな力があるかどうかは信じていませんが、ただ、親、家族などの環境から入れられた呪縛を解く手段としては、そんな方がいいかも?って本当に思います。「外部化」「簡便さ」といったブリーフセラピーの要素が入っています。

 

実際に、発展途上国では、統合失調症の治療でシャーマンなどが投薬に匹敵する効果を発揮したり、という報告があるようです。これも暗示の力ですね。

 

 

ブリーフセラピーでも、家族療法の東豊先生が、有名な”虫退治”という方法で、不登校など、家族の問題を解決したりしますが、まさにお祓いのような方法です。

 

ですから、お祓いに擬した方法(暗示)にはバカにならない効果があるとかんがえられます。
(もちろん、だから、いわゆるお祓いを推奨しているわけではありません。お祓いが持つ要素をセラピーに生かせば、というヒントという意味ですけれども。)

 

では、その要素とは何か?

 

 

「呪い」という言葉は、カウンセリングでは使いませんが、そういった方が適切なくらい、私たちに入っている暗示の力はものすごいものがあります。

それは、心理主義のポップ心理学や自己啓発のように、「コアビリーフが取れれば解決します」というように簡単ではありません。

 

暗示というのは、身体に刻まれるように食い込みます。身体とは、ホルモンや、遺伝子やそういったところまでです。

映画、アニメや漫画など、様々なストーリーでも主人公が苦しむ呪いは身体にも刻まれていて、腕とか体に黒い悪魔のような影があるような演出があったりして、考え方を変える、といった程度ではなかなかいうことをきいてくれません。

 

身体に刻まれている、という意味は、もちろん外科的なことではありません。

 

身体とは、一つは「発達」という視点。

人間は、親に育てられ、いっぱい暗示を入れられます。
ただ、反抗期で、その暗示を捨て「このクソババア、クソジジイ」と言って、神からの託宣だとおもっていたことが、単なる一意見に過ぎなかったことを知り、親の価値観を相対化して、成人へと成長していきます。

発達の中には、様々なイニシエーションをへて、成長のために必要な暗示を相対化していく機能があります。

 

しかし、トラウマなどで時間が止まり、「発達」が失調すると、暗示を脱ぎ捨てていく機能が損なわれてしまい、一時的でしかなく、偏った暗示がずーっと残り続けることになります。

 

反抗期がない、あってもただ不満をぶつけるだけで、本当の反抗期の機能ではなかった、ということはよくあります。

 

呪いを解く旅に出る神話などのストーリーは、人生の“発達”を示しているというようなことがよく言われます。

故郷から旅立って、様々な人との出会い、試練を経て、自立し、目的を達成する、大団円かと思ったら、そこに落とし穴があって、
本当の成熟を経ると、落ち着いた日常に戻ることができて・・・

途中には、裏切りとか、別れとかもあり、親(特に父)の影との格闘、

といったようなこともあります。

 

ユングといった人たちが、神話に着目したのも、暗示を解くためには慧眼だったかもしれません。

 

もう一つの視点は、「代謝」「ストレス応答」という視点。

外部からのストレスが来た場合に、それに対処して、自分を守る、ということを私たち人間は行っていますが、暗示が入ることで、それがうまくいかなくなります。

特にストレスは、社会、特に人間からもたらされます。
それへの対処は、身体も含めて、社会的な能力で行うものですが、「あなたは変だ」というような暗示が入っていては、しっかりと跳ね返すことができなくなります。足場がぐらついているところで重いものを持つような感じです。踏ん張れないのです。

さらに、長くストレスにさらされることで、オートマチックに動いて、助けてくれるはずのストレス応答のシステムが起動してくれず、頭ではわかっていても対処できず、さらに自分を責める悪循環に陥ってしまいます。

また、外から栄養を得て、老廃物を吐き出し、成長していく、といったこともうまくいかなくなる。

 

こうしたことも含めて解決することが必要で、単にビリーフとか考え方だけを変えても、根本的な変化は起こりません。

 

私たちも、暗示から抜け出るためには、座してセラピーを受けるだけではなく、社会に出て働き、人との出会いも経て、自分の原家族の価値観を相対化できる力を持つ必要もあるのだろうと思います。

(じゃあ、カウンセリング、セラピーは何をするの?というと、社会での旅が無事に終えられるようにサポートを行ったり、時には避難所となったりする。ファンタジーで回避させて旅を邪魔してしまうことはしない)

人によっては、がむしゃらに頑張って、社会で成果を上げて称賛されて、その実績をもって呪いを相対化させる、という人はたくさんいます。極端なのは、企業の創業者とか、芸能人などですね。
(ある程度成功したら、自分のBeingを癒すことをしないと、いつまでも成功を追い求めて破滅してしまうことになりますけれども。)

 

パーソナリティ障害、というのも、悪いことばかりではなく、それはそれで呪いをとくための未熟な一つの戦略ともいえます。自己愛性パーソナリティ障害などは、社会で成功するための爆発的なエネルギーを提供してくれますから。
ただ、上にも書きましたように、成功とともに並行して自分を癒して、成熟し、普通の社会に着陸しないといけませんけども。

 

トラウマを持つ方にとって、働くというのは、「怖い」といったイメージを持つ方も多いのですが、一方で、”仕事”というのは、呪いに立ち向かうための抵抗の拠点を提示してくれるものでもあります。

 

 

セラピーで間違った方向があるとしたら、愛着だとか、家族との和解とか、生き直しといって、家族に執着させるような方向性を持つようなケースです。

本当は、旅立たないといけないのに、それをかえって邪魔をして、主人公を“故郷”に縛り付けるような方向になってしまいます。

とくに現代は、核家族で、家族が閉鎖的で密着しすぎていて、親子関係の影響が濃すぎるのです。

親が支配的であるなら、親に執着して、態度を改めさせよう、というのは思うつぼです。本当なら、サッと切って、家を出ないといけない。
でも、まちがった家族道徳(ローカルルール)に縛られて罪悪感でうしろめたくなってしまったり、自分には自立などは経済的にはとても無理だと思わされて動けなくなってしまう。

(参考)→「親、家族についての悩みは厄介だが、「機能」としてとらえ、本質を知れば、役に立つ~家族との悩みを解決するポイント

 

呪い(トラウマ)というのは、時間を止めてしまいます。
子どものような状態のままで止まってしまいます。

健全であれば起こるはずの人生のイニシエーションが起こらなくなってしまう。そうして、発達が不良になるので、呪いを負った人が抱える症状と、生まれつき発達障害の人との症状は相似形のように似るのです。
(発達性トラウマ症候群(いわゆるトラウマ)は、“第四の発達障害”と呼ばれます。)

 

セラピーのアイデアとしては、発達の過程をワークのように体験できる、といったことはありえます。催眠(ヒプノセラピー)でスクリプトを聴かせて、それで呪いを解く、というのは、まさに、短時間で“旅”を経験させる手法の一つです。うまくすれば、大きな効果がある。
(ただ、世にある催眠療法を受けたクライアントさんの感想を聞くと、なぜか効果はそれほど芳しくありません。何も変わらなかったという人は少なくない。催眠を受ければいいというものではなく、効果を出すためにはポイントがあるようです。)

 

 

あと、今ここに注目して、止まっている身体の時間を動かすような働きかけをする。トラウマケア(ストレス応答系へのアプローチ)というのはそのための手法です。

(参考)→「新たな療法の治療ポイントは「呼吸」(代謝):新しいトラウマケアのアウトライン

暗示に縛られた状態というのは、自律神経や免疫、内分泌系などがが乱れている状態ですから、それを動かして、健全な代謝が起こるようにする。

運動、睡眠、食事ということがなぜ大事かといえば、止まっている身体の時間を動かす力があるから。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

セラピーとして着目するのは、やはり“呼吸”の力。呼吸をうまく活用して働きかけて、暗示によって縛られた身体を回復させていくことです。

 

 

お祓い、の持つ要素ということを考えると、人生のおけるイニシエーションを代行してくれる、また、無意識に働きかけて、うまく働かなくなった代謝を回復させるトリガーとなる、ということかもしれません。

 

カウンセリングは、あくまで科学的であることを志向しますから、
こうした要素をセラピーの内部に盛り込んで、難しいケースに挑んでいきます。

 

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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世界に対する安心感、信頼感

 

 筆者が、子どものころ、学校の成績はあまりよくなく、おそらくせいぜい真ん中くらいだったのではないかな、と記憶しています。
 小学校のころはそもそも成績を意識することはありませんでした。

 

 中学に入ると、本格的なテストというものがスタートしますが、勉強するのはテストの時だけでした。
普段はそれほど真剣に勉強をするわけではありませんので、ずーっと真ん中を行ったり来たりしていました。
 英語は最悪で、20点台の時もあったのを覚えています。勉強していないので当然ですが・・。

 

 ある時、秀才の転校生がやってきました。その転校生は、子どものころから塾に行っていていたようで、勉強の仕方を知っていました。自分で中間、期末の予想問題集をつくって、配ったりしていて、実際、その通りの問題が出たりしていました。
 当時の筆者にしてみたら、どうして何がテストに出るのか最初からわかるの? という感じですが、勉強に慣れた立場であればなんてことはないことなのかもしれません。

 

 筆者は、その転校生に勉強の仕方を教えてもらうようになったことと、このままじゃだめだ、という危機感もあって成績が一気に伸びたのを覚えています。
目からうろこというか、ああ、こういう風に取り組むものなのか! と思った経験があります。

 

 勉強が得意ではない人にとって、数学でも英語でもなんでもそうですが、世界は無秩序で、安心できない感覚があります。そわそわするような感じ。結果が悪いと放りだしたくなるような感覚。あるいは、テストの結果が自分の人格と連動しているような感覚。自分が良い成績が取れるとはおよそ想像もつかない。いや~な感じです。

 

 一方、勉強が得意な人を見ていると、そもそも落ち着いている。世界には秩序があって、冷静に適切に向き合えば、そこには取り組み方やコツ、対策というものが必ずあるという確信がある。結果が悪くても、無用な反省や、自分の人格と結び付けてへこむ意味はなく、淡々と問題点を洗い出して、修正をする。

 このような感覚が教科の勉強だけではなく、世界全体に及ぶと感じられる人は、社会に出てからも同じように取り組んで成功できる。
 おそらく、勉強だけではなく、スポーツや芸術などの分野でもトップクラスの人はそのような感覚があるようです。
 (プロの選手などを見ていると失敗してもケロッとしていたりしますね。「ごめんなさい」なんて基本的には言いません。)

 

 勉強が得意な人の中でも当然レベルの違いがあって、
 本当にありのままに世界をとらえる人と、自分独自のマイルールで世界をとらえる人とがある。
 自分独自のルールでとらえる人は調子の良い時はいいけども、調子を崩すと立ち直りにくくなったり、不得手なものは不得手なままだったりする。
 自分独自のルールでとらえる気持ちの裏には、どこか世界というものが信頼できないので、呪い(まじない)のようなもので何とか抑え込んでいる、という感覚があるように思います。

 本来、出来る限り、世界をありのままにとらえられる人であればあるほど、癖や偏りなく世界とかかわることができます。

 

 それを支える能力のことを「非認知能力」といって、子どもの学力やソーシャルスキルの土台となるのではないか?と最近では指摘されています。「非認知能力」とは、目標に向かって頑張る力、感情のコントロールや対人関係に関する能力などのことです。

 

 受験勉強とか、部活などは、社会とのかかわり方、付き合い方を鍛える役割があって、そのために、就職の時は学歴や、体育会系が評価されるのでしょう。
 ただ、受験勉強については、一人だけで取り組めて、自分独自のルールでも突破できてしまうので、社会に出てから、人間関係などで躓く場合もあります。

 

 

 最近注目される、「愛着」というのは、「非認知能力」の土台となるものを、パソコンのオペレーションシステム(OS)のように、ドライバやアプリまでワンパッケージで提供してくれます。
 そのため、本人が一つ一つ必要なものを自分で集める必要がない。自然体でいればそこそこに世界とかかわることができます。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 子育ての費用対効果は早いうちのほうがよく、年齢が立つにつれて挽回しづらくなってくる。
 (特に、1歳半くらいまでは、親ができるだけ頻繁に抱きしめて愛着を形成を促したほうが結局後が楽なようです。)

 

 「愛着」で何より大切なのは、世界に対する信頼感というか安心感というものです。
 

 

 冒頭に書いた、勉強が得意な人が「この世界というのは、秩序があって、そこにはルールやコツ、対策が必ずある」という確信があるのもまさにこのためです。

 

 

 世の中の裏ルール、二階建ての構造になっている、ということについても、世界に対する信頼感や安心感があれば、自然と感じ取って、身についたりします。
(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 

 安心感や信頼感が崩れれば崩れるほど、世界をありのままに捉えることができなくなり、そこに呪い(まじない)のような解釈やマイルール、ローカルルールが入ってきて、世界を「知る」のではなく、「信じる」ような関わり方になってしまいます。