その一言が出ない。タイミングとトーンがずれる。

 

トラウマを負っていると対人関係が、理由がわからないのに、うまくいかない。トラブルを抱えてしまう、ということがあります。

 

ちょっと一言いえばいいのですが、必要なタイミングで出てこずに、誤解されたり、小さな反感を買ったり、といったことが起こります。

 

仕事では上司やお客さんとの会話では、社交辞令などが求められますが、それがタイミングよく出てこずに損をしたりします。

例えば、年齢の話題になったとして、
「55歳です」と相手が言ったとしたら、
多くの人は、
「見えませんね~」とか、「お若いですね」
とほぼ自動的に言ったりするのでしょうが、
トラウマを負った人は、頭で考えて、何を言えばいいのかな、と考えているうちに機を逸してしまいます。

相手からしたら、なんでもないやり取りなのに普通なら飛んでくるはずの一言がこないから、「?!」となってしまう。ちょっとずつ反感、違和感が積み重なっていく。

 

 

気を使っていないわけではありません。むしろ普通の人よりも気を使ってへとへとになるくらいです。

でも、肝心な一言はタイミングよく出ない。億劫な感じであったり、言っていいのかどうなのかが分からずに逃してしまいます。

 

 

礼儀やマナーが積み上がって、身についている感覚がない。礼儀やマナーも一体感の感覚とともにあるので、どの波長の時に、どう対応するのか、という体感的な記憶が薄いのです。だから、知識では知っているし、むしろ社会性過多なのに礼儀やマナーに自信がない。自分が行った反応が正しいのか、そうではないのかがわからない。

自分は根源的に変なのではないか、という恐れもそこに拍車をかけます。

 

 

一方、気を使いすぎて、余計なことを言ってしまうときもあります。その時はとても上ずっているようで、腰が据わっておらず、トーンもずれて一体感もないので居心地が悪い状態です。

 

これらからわかるように、トラウマを負った人には、真ん中の状態、ニュートラルの状態がほとんどないのです。
両極を動いて、止まらない。リラックスや自然体が分からないのです。

 

 

トラウマを負っていると、ストレス応答系に失調をきたします。

ストレス応答系とは、簡単に言えば、ストレスに対処してくれるものであり、自動で相手とのラポールを形成して、レスポンスをしてくれるものです。

そのシステムが機能してくれていません。

そのために、頭で考えてマニュアルで反応しないといけない。だから頭はヘトヘト。でもその労力の割に、マニュアルだから反応は遅いし、反応ができないときがある。
適切な一言が出てこなかったりするのです。

 

 

適切な~ は言葉である必要はありません。

無口な人でも、人の中で一体感があって、人とつながっている人もいます。飲み会でも口数は少ないけど、溶け込んでいる人を見たことがあると思います。

それは、ストレス応答系がオートマチックに働いてくれているから。

こうした自動的に働いてくれる機能が失調状態にあることが、一言が出ず、対人関係がうまくいかない要因の一つとなります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

相手の感情が、ありのままにはわからない。

 

 

トラウマを負った人が対人関係でうまくいかない理由としては、相手の感情が、ありのままに理解できない、ということがあります。

 

 
人間には、好意や信頼といった良い感情の一方、嫉妬や反感、また自己愛という面倒くさい部分もあります。
それは、人間だから当然だし、どんなに成熟した大人でも両面を持ち合わせています。

人間のコミュニケーションのプロトコル(コツ、手順)は、そうした相手の1階部分をうまく尊重して、2階部分で楽しく過ごすためにできています。

(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 

 

1階部分とはつまり、反面、嫉妬や反感、また自己愛という面倒くさい部分
2階部分とは、好意や信頼といった良い部分 です。
挨拶をしたり、
根回ししたり、
本音と建て前を使い分けたり、
相手をほめたり、
まず同意を取ってから何事も進めたり、といったようなことをするのはそのためです。

 

 
トラウマを負った人もそれは頭ではわかっていますが、過緊張過ぎたり、距離がうまく取れなかったりして、機能しません。いきなりなれなれしいような入り方をしてしまうこともしばしばです。

 

 

 
例えば、仕事で接客する場面でも、
声のトーンから、話し方が、妙に距離が近いようななれなれしいような話し方になってしまったり。
相手の同意の段階を飛ばしてしまったりすることがあります。

 

 
何かをお買い求めの人に対しても
「はい、提供できます」というのと、
「よろしければ、提供させていただきます」
というのでは、ちょっとした差に見えますが相手の受け取り方は大きく違います。

 

 
常に主体を相手に渡しながら話をしていれば、相手はリスペクトされていると思いますが、自分を主体に話をしつづけると、相手は押し付けられているように感じられます。

 

 

ちょっとわずかなズレが反感を生んでしまって、それに気が付かずに、トラウマを負った人は「なぜうまくいかないのか理由がわからない。自分は呪われているのかも?!」という絶望感に至ります。

 

これは、マナーの問題として、いくら研修などで学んでも身につくものではありません。

トラウマを負った人たちが持つストレス応答系の失調の影響でもありますし、もう一つは、人間観も影響して起こる現象だからです。
トラウマを負った人は、先日も書きましたように「人間とは立派なもの」ととらえています。

(参考)→「トラウマを負った人たちの独特な人間観

 

 

 

「未熟な感情などは、人間は克服してしかるべきだ」といった形で、一階部分の面倒くさいやり取りは無視して人に接してしまいがちです。
「人間は立派で、自己を啓発して真実に気が付けば、やがて理想的な高みに至れるもの」ととらえて、自分にも厳しく接しています。

だから、根回しや本音と建て前などはくだらないものとして無視して、単刀直入にやり取りしてしまいます。

 
しかし、普通の人たちは、「落語の世界観」です。
相手を尊重しあうワチャワチャとしたじゃれるようなやり取りが必要なのです。

 

 

そこに単刀直入なやり取りでこられると違和感を感じてしまいます。

 

 

 
また、トラウマを負った人にとって自分は幼く見え、相手は立派な大人に見えています。
だから、人生経験が豊富な紳士淑女であっても、その方たちの中にも傷つきやすい自己愛が潜んでいて、傷つけないように丁寧にリスペクトを伝える前振りが欠かせないことが、実感として分かりません。

 

 

「大人は何でもできるくらい成熟している。(失礼なことを言っても)傷つかない」と思い込んだ幼い子が、大人に対して率直に接するかのような接し方をしてしまい、相手を怒らせてしまうのです。

 

 

怒られると、湧き上がる恐怖を抑えるために、今度は「こき下ろし」の段階が始まります。
「何、あの人は!よほどおかしいんじゃないの?」とか、「モラハラか、支配者じゃないの?」といって、
モンスターに見える相手をこき下ろす一方で、自分を責めて反省大会をしてしまいます。

これらは、トラウマによって人間観が独特に発達して歪んでしまっていることが原因です。

 

 

 

さらに、ストレス応答系の失調も影響して、相手と波長を合わせることができませんから、妙にへりくだったり、合わせすぎてへとへとになってしまいます。
気分を切り替えて自信をもって人と接しようと思うと、尊大になったり生意気になったりして、また相手を怒らせてしまったりするのです。

 

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

トラウマを負った人は、私って呪われているかも?!と感じる。

 

 

トラウマを負った人は、なぜか人とうまくいきません。

波長が合わないために、人といると緊張している(ように感じるし)、へとへとになるし、その割に報われないし、で本当に嫌になります。

 

 

 
例えば、人と接しているときには内面では、
「最初はいいけど、そのうち、このにこにこしている人は私の内面を見破って、嫌いになるのではないか?」
「私がダメな人間であることがバレるのではないか?」
「今はいいけど、私のことを批判してきて、結局、険悪な関係になるのではないか?」
とびくびくしながら接しています。
「失礼があってはいけない!」として、一生懸命に接しますが、空回りしてしまいます。

会話も上ずっているような気がしてきます。

 

 

 
で、実際に相手とはうまくいかなくなったり、こちらの声が伝わったかと思うように、相手が自分を攻撃してくることも起こります。

 

 

 
そんなことが続きますから、
「私は、本当に呪われているのではないか?」
「私は、本質的に、何か見えないものを背負った人間ではないか?」
「私は、人格的にどうしようもない人間なのではないか?」
と感じるようにもなります。

人が怖くもなりますし、人が億劫にもなります。

 

 

 

 

そのどうしようもなさを解消するために、
ある人は途方に暮れる
ある人はスピリチュアルな世界に救いを求めるようになるかもしれません。
呪いを解くためには、そういう世界のほうが良いようにも見えます。

 

 
従来あるセラピーであれば、それはあなたの選択次第で、それを解除すればいいんですよ、といった説明をするものもあります。
実際にセラピーを受けてみても、効果が芳しくなかったりします。

 

 

 

なにをやってもうまくいかない、と途方に暮れてしまったときに、呪われているのではないか?と思うのも無理はありません。

 
普通の人たちは例えば、
「あいつは、俺に挨拶がなかった」といったり、
「あの人はご近所にも挨拶して、いい人だったわ」というように、
挨拶を重視しています。挨拶をしているだけで好意を持たれたりします。

コミュニケーションにもツボ(プロトコル)があって、
ちょっとしたツボさえ押さえていれば、問題にはならず、人と一体感を得ることができるのでしょう。
たった挨拶だけでOKをもらえたりする。これは目に見えない1階部分に相当します。

(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 

 

 

人間の自己愛は安定している人でさえ、尊重されたいと願っていますから、リスペクトを伝える、は基本となります。

挨拶はその一つだし、
コミュニケーションにおいて、視線を交わしたり、
ポイントポイントで了解を取ったり、ということは、
人と接するうえでは必要になります。

ただ、普通はオートマチックに動くようになっていますから、さほど難しいことではありません。

 

 

 

トラウマを負っていると、ストレス応答系の失調が起こります。そうすると、他人とリズムが合わずに、相手からの些細なコミュニケーションが強いストレスとなり、対人関係は怖いものになります。

できるだけ人を避ける、
目を合わせられない、
話をしているときもニコニコしているけど、内心はビクビクしている。
本当の意味でのリスペクトではなく、恐れや蔑視で人と接している。

ツボを外してコミュニケーションをしてしまいます。

 

 

 

一つ一つは何でもないことですが、
相手からするとプロトコルが異なる接し方からをされるので、
「あれ?なんか、普通とは違うな、おかしいな」
「自分はバカにされているのかな?嫌いなのかな?」
「なんか不快だな」
となって、嫌悪感がわいてきたり、怒ってしまったり、ということになるのです。
呪いとか、その人の人格のせいではもちろんなくて、単にストレス応答系の失調故に起きた問題であって、
もともとは誰も悪くありません。

 

 

しかし、日常では、だれも(1階部分の)理屈を説明してくれないし、
セラピーや自己啓発の本を読むと、
マニュアル的な説明や、「あなたが変われば、相手も変わる」といった引き寄せ系の説明ばかりで、
実践しようとしてもうまくいきません。

理屈を頭に入れるだけではなく、ストレス応答系がオートマチックに働いてくれないと対人関係は機能しないからです。

 

 

そのうち、
「やっぱり、自分は人間的におかしいのかも?!呪われているのでは?」と思うようになって、混迷の度合いを強めて、迷いの森へと入っていってしまうのです。

 

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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他人といると意識は気をつかっていても、実はリラックスしている

カウンセリングやセラピーにおいては、しばしば関係を切って孤独にあるときに変化が起きる、とする考えが唱えられてきました。

家族療法という手法も存在するように、関係は人間を拘束し、支配する。そこから自由にならないといけない。

そのためには、呪縛にきずき、そこから解き放たれ、本当は立派な人間であることに気が付かないといけない。

そのような考えはよく耳にします。

 

 

確かに魅力的な考えで、説得力もあります。ただし、実際に実践してみると苦しくなってくる。すぐに限界がやってきてしまうのです。結局は、もともとそれができる人にとっての「強者の論理」であることがわかってきます。

 

 

 
一方、関係が人を癒す、という考えもあります。人の中でこそ人は癒されていく、という考えです。

 

 

いずれが正しいのか、理屈で論じてみても神学論争になってしまいがちです。

 
最近は、スマートウォッチ、活動量計と呼ばれるものを用いて、簡単に心身の状況を自分でモニタすることができる便利な時代になっています。歩いた歩数や睡眠の状況はもちろんですが、最新のものでは、脈拍数、血圧などもわかります。自分がリラックスしている状況か、そうではないかも確認することができます。
あるクライアントさんが、活動量計を購入し、身につけていました。そして、面白いことを発見したと報告してくださいました。

その方も、対人関係などで大変な悩みを抱えていらっしゃいます。他人といるといろいろな気を使ってしまいますから、一人でいるほうが楽だと思っていました。

しかし、その方が活動量計をつけて状態をモニタすると意外な結果が出ました。

 

 

それは、連休などで一人でいるときは血圧や脈拍も高く緊張している。逆に、人と一緒にいるときのほうがリラックスしている、というものでした。

本人も想像していたこととは逆の結果が出たのです。
やはり、一人の時よりも、他人といたほうが実は人はリラックスをしている。でも、本人は逆に感じていたりもするのです。

 
もちろん大規模な量的調査ではありません。ただ、数値で確認できたことは大きな気づきをもたらせてくれました。

 
解釈できることとしてはおそらく、

一人でいるときはたしかに気を遣わずに気楽ですが、自分を悩ませてきた親や過去とつながってしまって、ストレス応答系のシステムは乱れる。そのために交感神経が優位になる。
一方、気楽な他人といると、気は使うかもしれないけれども、でも、利害関係のない人たちとつながって、同調することで、ストレス応答系は整う。副交感神経が優位になる。結果、脈拍、血圧などは落ち着く。

 
統合失調症などでも、一人でいるよりは、社会の中で役割を持ったほうが回復は早いことが知られています。依存症では自助グループの活動が知られています。

前回の記事でも書きましたが、心理療法など大げさなものではなくても、町で出会った気楽な人たちとの触れ合いが、とても大きな安心感をもたらせてくれる経験を私たちはします。

 
これらのことは、人との一体感を回復して生きづらさから抜け出す方法を知るためには何が必要なのか?
私たちに多くの示唆を与えてくれます。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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カウンセリング、心理療法側も「人間は立派なもの」と思っていたりする

 

 

トラウマを負った人たちだけではなく、解決を提供するカウンセリング、心理療法自体も「人間とは立派なもの」という価値観を持っていたりします。

 

本屋で目にする書籍の中でも、「あなたは立派な存在だから、それに気づきなさい」というメッセージが様々なかたちで表現されているかと思います。そして、実際にカウンセリングを受けると、そうした視点からサポートが提供されます。

 

 

 

現代のカウンセリング、心理療法は、1950-60年代に源流があります。エサレン研究所などがメッカとなっていましたヒューマンポテンシャルムーブメントと呼ばれる運動がその一つです。
アポロ計画が61年からですが、科学などにおいても人類の可能性が強く信じられていた時代といえます。実はロジャーズもその時代の人物です。
(自己啓発は、19世紀のニューソートと呼ばれるキリスト教の一派などに基づいているといわれています。)

 

 

 

今、数多くあるセラピーの流派も基本的にそれらの焼き直しで作られていたり、知らず知らずのうちに影響を受けていたりします。
現代のカウンセリングや心理療法の人間観をとても荒っぽくまとめれば「人間とは可能性にあふれたものだ、本来はとても立派なものだ(ただ、その可能性は制限され、開花させられていない)」ということになるかもしれません。

 

 

そして、
「カウンセリングや心理療法で、本来の立派な状態になることをお手伝いしますよ」
「そうなれると思えないのは、あなたが自分で制限をかけているだけですよ」
という前提でカウンセリングは提供されています。

 

 

 

 

 ここで不思議なことに気が付きますが、
 解決をお手伝いする側のカウンセリング、心理療法自体が、トラウマを負った人たちを同じような独特な人間観を持っているということです。

 

 

 

これは、近代・現代そのものが自己愛社会であること、トラウマティックな時代であることが影響しています。
神によってではなくて、人間自身が存在証明をしなければならない時代。実存が問われる時代ゆえの独特な考え方によるものです。

 

 

また、人間性を探求する哲学者やカウンセラー自体も傷を抱えている。結果として、トラウマを負った人が持つ人間観と同じような考えに行きついている。

 

 

 

「人間は立派なものだ」という前提でサポートを受けることは、最初は良いように思うのですが、そのうち、しんどくなってきます。

本来は弱くて、どうしようもなくて、だらしがなくて、といった落語の登場人物たちのような存在であった私たちが、「立派なものだ。それに気づきなさい。頑張りなさい」と鼓舞されるわけですから。

どうしても実態と理想とが合わないわけです。その乖離で苦しくなってくる。最後はブーメランが戻ってくるように、自己否定に襲われる。

 

 
理想に添えないことが分かると、「あなた自身が変わる気がない」といって切り捨てられたり、暗に責められているように感じたりするようになります。

カウンセラーに見捨てられないように立派なことを言わなければ、良くなってきていますと言わなければ、と勢い込んだりするようなおかしなことも起こります。
これは、ユートピア思想を信じているコミュニティで虐待が起きるようなもので思想の前提によってそのコミュニティの人間の行動が規定されるのです。援助者の人格の問題ではなく、構造的な問題です。

 

 

 

一方で、私たちは、町で出会った気楽なおじさんや、のんびりした犬や猫と触れ合う瞬間に本当に楽になった、という経験をすることがあります。
学校でいえば、保健室、会社でいえば暇な部署のベテラン社員などはそうした存在かもしれません。

なぜなら、おじさんたちには人間とは立派でなければならない、というような前提はないからです。

「私はダメな人間だから、自分を磨いてもっともっと高めていかないといけないんです」なんて言っても、
ニャーッ、ワン! と返事が返ってきたり、「まあまあ、そんなに気張らなくても。ぼちぼちで」と返ってきます。

落語に出てくる旦那さんだったら、「どうしちまったのかね、自分を高めるだなんて。朝から酒でも飲んでいるのかね」と突っ込まれることでしょう。

 

 

よく考えれば、悩みを解決するために、立派な人間にならなければならない、だなんて、おかしな話です。

依存症治療でも、人間のいい加減さに気づいて「底をつく」と回復が始まる、といわれますが、人間の可能性、云々、といったような立派なものではなく、人間のいい加減さ、気楽さに触れる体験をしたときに、人間は本当に悩みにある状態から変われるのかもしれません。

 
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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トラウマを負った人たちの独特な人間観

 

トラウマを負った人たちは、人間観も独特なものです。

 

簡単に言えば、人間は〝とても立派な存在”ととらえています。
他者もとても立派で優秀な人だと妙にあがめたり、あるいは、本来は立派あるはずなのに、堕落してそのことに気が付いていないとして、とてもこき下ろしてみたり、します。

 

 

例えば、サービスが悪い、仕事ができない、といったことで他者にイライラするのはなぜか?といえば、本来は立派であるはず(べき)なのに、努力もせずに堕落している姿に腹が立っているのです。

だから、あれほどイライラする。
とにかくこき下ろして、“人間”という枠から除外したい。

 

 

 

 

また、神のように立派な存在から堕落したサタンのように恐ろしい存在として見えている場合もあります。
そのため、トラウマを負った人にとって「人が怖い」というのは、単なる「対人恐怖」といった言葉では形容できないような感覚です。

 

 

クレームが寄せられたら、まさに立派な存在からのダメ出しであり、神か悪魔からの天罰のように感じられ、委縮してしまいます。おろおろして、うまく対応することができません。ミスは絶対にしてはいけない、間違いは罪、といった感覚です。言われたことをすべて真に受けてしまい、深く傷ついてしまいます。

 
一方で自分は、一生取れない呪い、罰を受けて放伐された存在、と言ったように感じられています。ずーっと消えない罪悪感を感じて生きています。罪悪感を感じながらも、自分も本来は立派であるはず、と思っています。そのために、自分が何でもできる、本当はすごい存在なのだ、という意識も裏にはあります。人に対して尊大になったり、妙に自信家になったり、することもあります。
ストレス応答系のリズムに置き換えれば、立派な人間とはテンションの波がない、一定の存在です。大人になることとはテンションの波がないものだと誤解しています。
そこに自分も立派な人間になろうとして、テンションを一定にしようとしますが、すると、尊大になったり、へりくだったり、逆に社会の中で自分は傷ついてしまいます。

本来は波を作りながら、真ん中(センター)であるものなのです。

 

 

 

 

対して、普通の人たちの感覚とは何か?と言えば、わかりやすくいえば、「落語の世界のような人間観」です。
人間というのは立派なものではない、どうしようもないもの、弱いもの、という感覚です。

仕事でミスすることもあるし、飲んだくれることもあるし、浮気をしちゃうかもしれないし、どうしようもない。

「もう、しようがないね~」「ちゃんとしておくれよ!」という感覚。

 

人間が立派な存在だなんて感覚はない。化け物に見えることはない。
(たまに、どうしようもない人間に狐がついておかしくなることはありますが)

自分だって、そんなたいしたことはない。
お互いさまで、とぼけることもある。そういうもの。

もちろん、ミスがあれば怒られるし、いいかげんが良いわけではないけども仕方がない、と言ったことです。

人間がどうしようもない、といったこと、そうしたことを「業」というそうですが、そうしたことが肯定される世界観です。

 

 

 

ストレス応答系のリズムに置き換えれば、テンションに波がある。他者同士で互いにリズムを刻みながら、ダンスをしあうような関係。ストレスに合わせてリズムを刻むので、ほのぼのと生きられる。他者とも一体感を感じてつながることができる。

 

 

 

そのリズムの存在は、トラウマを負った人の目から見たら、「どうしようもない」、未熟で、感情的で、動物的なもののように見えるかもしれませんが、自然で美しいものです。

そのリズムの先には一体感や平和な世界が広がっています。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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ストレス応答のリズムが一体感と平和を生む

 

 

クレーム処理の現場では、まず第一声は、相手のテンションに合わせる必要があるそうです。

怒っている相手に冷静に「どうされましたか?」と返すと、怒りでテンションが上がっている相手からするとバカにされたように感じてしまう。
「どうされましたか!!」と少し口調のテンポを上げて対応すると、相手はわかってくれた、共感されたと感じます。実は「冷静な態度で対応しようとすること」が多くの問題を生んでいることがあります。
職場で、感情的な上司がいたりします。今でいえばモラハラやパワハラということに抵触しそうな存在ですが、そうした人に対して、冷静な態度で接すると相手は、話を聞いていない、態度が悪い、と反感を持たれてしまいます。
クレーム処理と同様に、相手のテンポに合わせる必要があります。

 

 

 

筆者も、職場でそうした経験があります。おそらく心理臨床でいえば、強迫性パーソナリティ障害(発達障害傾向)に該当するような先輩がいて、その人が自分の基準で行動して、周りを振り回していました。
そうした人への反発や恐怖もあって、冷静に対応しようとしていましたが、まったくうまくいきませんでした。
筆者は、冷静に対応して、相手にしないようにしてスルーしようとしたのです。
自分の心の中ではアナグマのようにこもってストレスから身を守ろうとしていました。

これが相手からするとバカにされたと感じられ、かえってエスカレートして、悪いうわさを流されたり、大変なことになったことがあります。
人当たりの良い人は、その辺が上手です。
相手のテンションにうまく合わしてテンションを上げて、ストレスはキャンセルして、流していきます。

 

 

 

 

「相手に合わせると、なんだか自分が汚染されるような、巻き込まれるみたいで嫌なんです」
とおっしゃるクライアントさんも多いです。
しかし、体内の免疫や、国に例えれば国境警備隊(軍隊)や警察などもそうですが、ストレスがあった場合に、それを処理する方法はその場を離れるか、その場にいるなら中和(キャンセル)しかありません。外部からのストレスと同じ力まで内部のテンションを上げて、ストレスをキャンセリングするのです。そうすると、相手との境目でキャンセルされて、中身は平静でいられます。

逆に相手とテンポを合わせないと、かえって、やられっぱなしになってしまう。テンポを合わせるからこそ、相手のストレスをキャンセルできる。

 

 

これが、安定型の人であれば、身体のストレス処理系が自動的に行ってくれます。
実はキャンセリングは、された側も心地が良いもので、一体感を感じます。ちょうどダンスを踊っているようなリズムを互いに刻みあうのです。
さながら、ボクサーや格闘家が試合中に恍惚や一体感を感じるみたいに。どれだけ強いストレスであっても拮抗している間は一体感として感じられるのです。
ただ、ストレスホルモンのリズムが遅れて、ガードが遅れると、パンチを食らって、恐怖で心臓がバクバクして、「もう二度と人と接したくない」とも感じてしまいます。紙一重です。

 

 

 

「ビビる」とは何かといえば、それは性格の問題でも、意志の弱さでもありません。ストレス処理系のリズムが悪い、反応が遅い、ただそれだけです。反応が遅れると、外部からのストレスが勝って、まともにパンチを食らってしまうのです。相手に勝つ必要はありません。ただ、相手と同じリズムを刻めばいいのです。そうすれば、嫌な相手にもビビることなく、逆に一体感を感じることができます。
(昔の人たちが、「胆力」といったことはまさにこうしたことです。)
通常、愛着が安定していて、ストレス応答系のリズムのハーモニーが整っていれば、紙一重の難しい機能も自動的に行ってくれますから、人とも一体感を感じられて、生きづらさを跳ね返し、平和でいられます。
この自律神経のストレス応答のリズムの中にトラウマを負った人たちが生きづらさから本当に抜け出すヒントが隠されています。

 
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”ストレス応答系の失調”としての心の悩み

 

人間というのは環境に生きています。外からはいろいろなストレスを受けます。それに対して、ストレス応答系と呼ばれる自律神経システムが自動的に対処してくれます。

10段階で5のストレスには、5のストレスホルモンで中和させる、3のストレスには3のホルモンで返す。

瞬間的、自動的なストレスコントロールによって、内部は平静に保つことができます。

 

 

 

また、対人関係でも、ストレスコントロールが相手との“つながり”を作ってくれます。さながら相手とダンスをするように、ホルモンの波形は形作られます。

このホルモンの動きが、「一体感」を演出してくれます。

人からはストレスもやってきますが、ストレスホルモンが同じ波形を作ってくれている限りは、それは一体感と感じられるのです。

 

 

 

 

ただ、トラウマを負った人は、ストレスホルモンの波形が狂っているので、人からのストレスは「一体感」ではなく、「ハラスメント」と感じられてしまいます。だから、人と一緒にいてもしんどいし、億劫で、楽しくありません。
過度なストレスの場合も、ストレス応答系の機能がストレスを排出してくれます。嫌な記憶は、過去のものとして処理してくれるのです。記憶も身体の代謝であるといえます。しかし、トラウマを負った人の場合は、その処理がうまくいかず、処理されないまま、毒素(トラウマ)として残ってしまいます。
トラウマとは、“記憶”というストレス処理系機能の失調なのです。
ストレス処理という側面から、生きづらさや悩みをとらえると面白いことが見えてきます。

 

 

 

例えば、甲状腺や副腎に失調がある人は、心の悩みを引き起こしやすいことが知られています。ちょっとしたことでも虐待、ハラスメントだと感じられたり、情緒が不安定で記憶もおかしくなったりします。これも自律神経で重要な役割を果たす機能が低下することがストレス処理システムに影響した結果であると考えられます。

 
別の例では、発達障害の場合も、心の悩みを引き起こしやすい。原的な不安を抱えていて、些細なストレスでもトラウマ化しやすい。
発達障害の方は、体温の調節ができなかったり、汗をかかない、感覚過敏など身体の問題でも知られています。発達障害とは「身体の失調である」という専門家もいます。
体温の調節など自律神経系が、定型発達であればオートマティックであるのに対して、発達障害の場合はマニュアル操作であると例えられます。頭でコントロールしなければうまく動いてくれない。
体温以外のストレス処理でも、頭でコントロールしなければならないので、些細なストレスでもやられてしまう。
やられないように先回りすると読み違えて「関係念慮」に陥ってしまう。発達障害の方は、代謝がうまく働いてくれていないのです。

 

 

 

トラウマを負った人も同様にストレス処理などの自律神経系に失調をきたします。とくに長期間のストレスには動物は対処できるようにはできていないため、HPA軸と呼ばれるストレス処理システムは狂ってしまう。

 
すると、ストレス、記憶などが更新できなくなってしまうのです。処理ができないがないため、毒素(ストレス)が排出できない。嫌な記憶が抜けない。恥や罪の感覚にずーっとさいなまされてしまう。加害者も覚えていないようなことをずーっと記憶して、それが反芻してしまうのです。

対人関係も悪く固定化されてしまう。小学校のころにいじめられたこと、親から「ダメな子」と呼ばれたことなど、その関係性をずーっと引きずってしまう。

 

 

 

健全なコンディションであれば、新たなネットワークにつながりながら関係はどんどんと更新されていくので、過去の嫌な関係性も自動的に少しずつ変わっていきます。嫌な相手でもある時に「あれ?この人って、こんな人だったっけ」となります。それは自律神経が関係を自動更新してくれたおかげです。

 

 

このように、心の悩みを、“ストレス応答系の失調”であるととらえると、皆様の生きづらさを本当に解決する糸口や悩みの本質が見えてきます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

更新されない人間関係

 

代謝がないとどうなるか?といえば、人間関係も更新されなくなる、ということです。
通常、人間関係では、その距離感や、貸し借り(義理、人情)というものも日々、計算、更新されていきます。

人にしてあげたこと、してもらったことも、自動で計算されて、清算・完了されるのです。

人間関係の在り方もそうで、力関係なども常に更新されます。
しかし、トラウマを負っていると代謝が止まっているような状態なので、その更新処理がなされません。

 

そのため、無限に義理堅いのです。関係を引きずるのです。

 

 

よくある例では、

あるクライアントさんが、ずーっと母親の世話をしている。まだ介護になっているわけでもなく、お母さんは健康です。
でも、なぜかお世話をしないといけないと思っている。
「家族だから当然」「私の義務」と思っていますし、やめようとすると罪悪感が襲ってくる。

これも、本来は、そんなお世話は必要ない、普通の人たちをみてもそうです。反抗期で精神的に距離を取ってからは、社会人になって自宅を出たら、盆と正月くらいにしか実家には帰らない、ということはごく普通のことなのです。もちろん、親には恩はありますが、それは遠くから返すものだし、何かあれば、ということで、過度な罪悪感はありません。

※そもそも、親とは社会の代理であって、親子は世代間に関わりを下の世代に送りあっていきますから、自分がされたことを自分の子や周囲の人に返していくものです。産みの親に過度の罪悪感や義理をもつ、ということは普通のことではありません。親があまりにひどい親なら関係がキレて普通なのです(生みの親より育ての親)。
しかし、トラウマを負っていると、無限に義理堅く、相手にかかわり続けようとしてしまいます。

会社に入ったら、やめたら申し訳ないとして、しんどい環境にもかかわらず、居続けてしまう。

ひどい彼氏にもずーっとつくして、かかわってしまう。

周囲の人たちからは「やめときなさいよ」「そんなにかかわらなくてもいいのよ」とアドバイスされても、耳には入りません。かかわりをやめることは、相手を見捨てることだと錯覚しています。
健全に代謝があって、関係性が更新されれば、相手への義理や人情も更新されていきます。
そして、相手が応えてくれないのであれば、関係は完了するのです。そのことを「愛想が尽きる」といいます。

 

トラウマを負った人たちは「愛想が尽きる」機能がマヒしてしまっています。

 

 

普通の人は、想像以上に良い意味でドライなのです。
トラウマを負った人の感覚とは、まったく違います。

 

 

 

 

人間関係も、日々更新されていきます。
子どものころの親子関係と大人になってからは全く異なります。どちらも成人ですから、徐々に対等な関係になっていくものです。

でも、トラウマを負っていると、ずーっと子供のころの親子関係を引きずったようなかかわり方になってしまします。親が年老いていっていることもありのままに感じることができていなかったりします。

あるいは、過去の苦手な人間関係も引きずってしまうのです。

こちらが人間関係が更新されずにかかわるものですから、
相手もそれに感応して、支配的に接してこられて「ほら、やっぱり何も変わっていない」と感じてしまうのです。

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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