トラウマを負っていると、人や物が極端につまらなく感じたりします。
いつのまにか評論家のようになって、「こんなもの~だ」とか、「あの人は~だ」とこき下ろすようになったりします。
たとえば、自分の友達がつまらない、夫(妻)がつまらない、仕事がつまらない、遊びがつまらない、といったこと。
どうしてそう感じるかといえば、それだけ生きづらい、苦しいから。
人や物事を全体的に把握することが難しくなっているから。
世の中が安心安全ではないために虚無的、厭世的になっているから。
また、怒りなどで側頭葉に血流がたまっている場合も、人や物に対して厳しくなったり、批判的になりやすくなります。
もう一つの理由としては、世の中では一つのモノや人からはすべては得られない、ということも挙げられます。
一つのものや人からすべてのものが得られる、ということは誰にとってもありません。
どんな良い商品、良いサービス、良い人であっても、得られる価値は自分の求めるもののごく一部にすぎません。
必ず不満はある。
私たちは健康な状態にあるときは、ヒューリスティックな感覚というものがあるために、代表的な要素を全体に拡大させて満足を感じることができます。ヒューリスティックとは、心理学の用語で、代表的ないくつかの要素を持って、対象を判断する、ということです。
なぜかといえば、人間は情報収集力に限界がありますから、すべてを調べて判断するわけにはいきません。
なので、2,3の情報から「ここは安全」「この商品は買ってもよい」など、直感的に判断できるようにしているわけです。
たいていの場合はそれでよいのですが、バイアスがかかったり、2,3の情報をコントロールされて意図的に騙されたりすることがあります。
※その反対はアルゴリズムといわれるもので、まさにデジタルに細かいすべての情報から判断するような形です。
「森を見ずに、すべての木を調べて判断する」という感じの感覚です。コンピューターなどはそういう判断の仕方が得意です。
発達障害、自閉症の方などもアルゴリズム的です。そのため、傍から見ると融通が利かない、という風にとられてしまいます。
(参考)→「大人の発達障害、アスペルガー障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの」
トラウマを負った人は、部分(フェッチ)でしかとらえられないためか、相手を過大によいと思ったり、悪くこき下ろしたりしがちです。
あと、一つのことからすべて望むものが得られないと納得できない、という感覚にもなりがち。ヒューリスティックに特定の要素から全体を感じることも苦手。
そのために、満足が得られずに、「つまらない。つまらない。」となります。
「ファンタジー」によって、一気にすべてを得ようという場合もあります。特定の事、物や人をカリスマ視したり、そうした人を求めたり、といったようなことも起きます。
周りはつまらないのは、つまらない人や物のせいで、理想的な人やもの、こと(仕事)などが現れたら、すべてが得られて解決する、というような感覚です。
医師やカウンセラーを褒めたり、こき下ろしたり、というような場合は、こうしたことも影響しています。
(「最初はいいかもと思って期待していたけど、なんでこの人は、一人ですべてを提供してくれないんだ!無能!役立たず!」というような感じです)
恋愛で熱しやすく冷めやすい、というのも同様かもしれません。「この人と結ばれたらすべてが得られるはず」というような感覚。
さらには、関係のネットワークの密度が乏しいことも影響します。多くのものから少しずつ満足を得るということができないために、特定のものに頼らざるを得ません。
そのために、対象に課題に期待しすぎてしまうのです。
どうしても特定のものや人にしか頼れない場合は、量に頼ることになります。
過度な飲酒、過度なギャンブル、過度な恋愛関係、過度な支配・被支配関係。。。といったように、得られない満足を「量」で無理矢理に補おうとしてしまう。これが「依存症」と呼ばれる状態です。
(参考)→「依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと」
「量」で補おうとしても、補いきれませんから、どこか怒り(不満)が漂っています。
そこから抜け出すためには、
一つのモノや人からはすべては得られない、と知ることが大切です。特定のものに依存しすぎず、人やモノとの多様でゆるやかな「関係」を再構築していく必要があります。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
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