「形よりも心が大事」という“理想”を持つ

 

 トラウマを負った人は、「人との付き合いは、形よりも心が大事」だと思っています。

 

 心でいかに相手を思うか、
 純粋に愛情を持てるか、
ということを大切にします。

 

 建前やうわべ、社交辞令には嫌悪感を持ちます。
嘘のように思えて嫌なのです。
本当に心からのものではないのに、なぜそのようなことを言わなければいけないのかがわかりません。

 

 純粋な関係を持ちたい、そうあることが本来の在り方だ、という“理想(≒マイルール)”があります。

なので、どこかいつも腰が入りきらない感じで社交辞令を仕方なく使うので、それが相手に伝わってうまくいかなくなる原因にもなります。

 

 普通の人たちが大切に思う「形式」を踏まずトラブルになることがあります。「形式」を踏んでいないために、逆に「心がない」と非難されてしまい、誤解されものすごく傷つきます。そして、「非難してくる相手のほうが、よほど心がゆがんでいる。おかしい」と頭の中でこき下ろして、罰してしまいます。

 

 「人との付き合いは、形よりも心が~」と聞くと良いことのように聞こえますが、やはり、それは難しい。

 

 なぜなら、同じ日本人同士であっても文化や価値観は全く異なるから。そして、私たちはテレパシーは使えないから。異文化同士が分かりあうためには、外交の形式はものすごく大切。

 

 普通の人たちは、その形式(プロトコル)でやり取りしていますから、プロトコル通りでないと違和感を感じます。

 

 また、形式の中には、「“貸し借り”の収支」も含まれます。“貸し借り”とは、互いに何かをしてあげた=してもらった、という互恵のことです。通常はこれを無意識に収支計算をしあっていて、してもらったことはお返しをしたり、気遣いをしたりして、貸し借りがオーバーになりすぎないようにしています。

 

 貸し借りの収支が合わないと、割に合わない不満を感じます。

 

 だから、普通の人たちは、
「私ばっかり~!!」と愚痴をこぼします。

 

 トラウマを負った人はそれを見て、嫌悪感を感じます。
「人間というのは本来立派なもの。愚痴なんて言ってはいけない。愚痴を言う人は低レベルの人」
「この人は人間の本質というものに気付いていない。なぜ、もっと人間を高める努力をしないのか?」
「こんな人と一緒にいたら、自分も汚される気がする」
と感じます。

(参考)→「トラウマを負った人たちの独特な人間観

 

 人間のありのままの姿が分からない。
「貸し借りの収支なんてセコイことを考えるのはおかしい」と思っています。
「与えれば与えるほど人間は幸せになれる」といういった考えも後押しし、さらに加速します。

 

 そのような理想を持っているために、人がしてくれたことへのレスポンスが遅れるようになります。返礼の形式(プロトコル)を軽んじてしまいます。
その結果、普通の人からすると、「なんだ、この人は?!」となってしまう。

 

 そして相手から非難されると恐怖を感じ、「見返りを求めて私に近寄ってきたの?!私は心で感謝しているのだからそれで十分じゃないの?非難するほうが、心が汚れている」とこき下ろします。最終的には、人間とのかかわりが嫌になってきます。

 

 

 トラウマを負った人は、たとえ割を食っても我慢して、飲み込んでしまいます。「それこそが大人のふるまい」であると錯覚しています。
(参考)→「ニセ成熟(迂回ルート)としての”願望”

 

 場合によっては厚かましい相手に支配されてしまう。
本当であれば、反発して、割を食った分収支をトントンに戻さないといけない。そうしないと人間関係のバランスが崩れてしまうのです。成熟とはそのバランスをうまくとれるようになることで、あって我慢することではありません。

 

 それが本来の世界なのにどうしても嫌悪や反発を感じてしまう。特に、裏表のある人、世渡りのうまい人が大嫌いです。

 

 

 では、そうした理想を持つトラウマを負った人は、形式のない本当の心を感じ取れるか?といえば、残念ながらそうではありません。むしろ、普通の人以上に、形式が伴わないコミュニケーションを取られると、強い恐怖を感じます。

 

 例えば、相手が何かの手違いでお礼を言ってくれなかったり、ちょっとした想定外のしぐさをされると、「私は嫌われているのかも?」「私は責められているのかも?」と恐れやイライラを感じてしまいます。相手には厳しいけど、自分は理想通りにはできない。

 

 理想は高いのですが、いくらセラピーを受けたりして努力してもその通りにならない自分を「器が小さい」「自分はおかしい」と責めてしまいます。

 

 

 また、形式よりも心だ、としてしまうことで、自分の本音もよくわからなくなってしまいます。
「本当の“好き”とは何か?」
「本当の“愛”とはなにか」と考えると、よくわからなくなるのです。
「心から好きではないと、それは表現してはいけない」と考えてしまうばかりに、自分の本心がかえって見えなくなる。そして相手に対してもうまく表現できない。

 

 普通の人なら、6割程度の感覚でも「ありがとう」「好きだよ」と言葉や態度で示すのに、トラウマを負った人は、10割の完全な感覚を感じ取れないと表現することができない。

 

 他者から見たら、何を考えているのかが分からなくなり、
「何を考えているのかわかりにくい」といわれて、さらに落ち込んでしまいます。

 

 一年に一回だけ本音のコミュニケーションをするよりも、
形式的でも毎日挨拶をする方が、人間関係ははるかに良くなるものです。それがうまくできない。

 

 形式(身体)が実質を連れてくる、ということもあります。ふるまいや所作を身に着けることで、心がついてくることがしばしばある。実際、運動など行動しないとやる気などの感情は形にならない、と研究では指摘されています。

 

 形式がないことを「形なし」というそうですが、フレームがないところには人間は住めない。

 形式(プロトコル)がないと、他人のみならず、自分の心ともやり取りができなくなってしまうのです。

 

 

 では、トラウマを負った人の理想は達成できないのか?といえばそうではありません。そのためには、本来の世界(1階部分)を回避して、理想(2階部分)へと迂回せず、まずは、めんどくさいことが多くても1階部分を通る必要があります。

(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 めんどくさい1階部分をめんどくさくないものにするのが、「形式」だったりするのです。一階部分を十分にケアして、二階に上がった後に理想は実現されるものです。

そのことに気づくと、生きづらさを解決する糸口が見えてきます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

その一言が出ない。タイミングとトーンがずれる。

 

 トラウマを負っていると対人関係が、理由がわからないのに、うまくいかない。トラブルを抱えてしまう、ということがあります。

 

 ちょっと一言いえばいいのですが、必要なタイミングで出てこずに、誤解されたり、小さな反感を買ったり、といったことが起こります。

 

 仕事では上司やお客さんとの会話では、社交辞令などが求められますが、それがタイミングよく出てこずに損をしたりします。

 

 例えば、年齢の話題になったとして、
「55歳です」と相手が言ったとしたら、

 多くの人は、
「見えませんね~」とか、「お若いですね」
とほぼ自動的に言ったりするのでしょうが、
トラウマを負った人は、頭で考えて、何を言えばいいのかな、と考えているうちに機を逸してしまいます。

 

 相手からしたら、なんでもないやり取りなのに普通なら飛んでくるはずの一言がこないから、「?!」となってしまう。ちょっとずつ反感、違和感が積み重なっていく。

 

 

 気を使っていないわけではありません。むしろ普通の人よりも気を使ってへとへとになるくらいです。

 でも、肝心な一言はタイミングよく出ない。億劫な感じであったり、言っていいのかどうなのかが分からずに逃してしまいます。

 

 

 礼儀やマナーが積み上がって、身についている感覚がない。礼儀やマナーも一体感の感覚とともにあるので、どの波長の時に、どう対応するのか、という体感的な記憶が薄いのです。だから、知識では知っているし、むしろ社会性過多なのに礼儀やマナーに自信がない。自分が行った反応が正しいのか、そうではないのかがわからない。

 自分は根源的に変なのではないか、という恐れもそこに拍車をかけます。

 

 

 一方、気を使いすぎて、余計なことを言ってしまうときもあります。その時はとても上ずっているようで、腰が据わっておらず、トーンもずれて一体感もないので居心地が悪い状態です。

 

 これらからわかるように、トラウマを負った人には、真ん中の状態、ニュートラルの状態がほとんどないのです。
 両極を動いて、止まらない。リラックスや自然体が分からないのです。

 

 

 トラウマを負っていると、ストレス応答系に失調をきたします。

 

 ストレス応答系とは、簡単に言えば、ストレスに対処してくれるものであり、自動で相手とのラポールを形成して、レスポンスをしてくれるものです。

そのシステムが機能してくれていません。

 

 そのために、頭で考えてマニュアルで反応しないといけない。だから頭はヘトヘト。でもその労力の割に、マニュアルだから反応は遅いし、反応ができないときがある。
適切な一言が出てこなかったりするのです。

 

 

 適切な~ は言葉である必要はありません。

 無口な人でも、人の中で一体感があって、人とつながっている人もいます。飲み会でも口数は少ないけど、溶け込んでいる人を見たことがあると思います。

 

 それは、ストレス応答系がオートマチックに働いてくれているから。

 こうした自動的に働いてくれる機能が失調状態にあることが、一言が出ず、対人関係がうまくいかない要因の一つとなります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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相手の感情が、ありのままにはわからない。

 

 

 トラウマを負った人が対人関係でうまくいかない理由としては、相手の感情が、ありのままに理解できない、ということがあります。

 

 
 人間には、好意や信頼といった良い感情の一方、嫉妬や反感、また自己愛という面倒くさい部分もあります。
それは、人間だから当然だし、どんなに成熟した大人でも両面を持ち合わせています。

 人間のコミュニケーションのプロトコル(コツ、手順)は、そうした相手の1階部分をうまく尊重して、2階部分で楽しく過ごすためにできています。

(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 

 

 1階部分とはつまり、反面、嫉妬や反感、また自己愛という面倒くさい部分
2階部分とは、好意や信頼といった良い部分 です。
挨拶をしたり、
根回ししたり、
本音と建て前を使い分けたり、
相手をほめたり、
まず同意を取ってから何事も進めたり、といったようなことをするのはそのためです。

 

 
 トラウマを負った人もそれは頭ではわかっていますが、過緊張過ぎたり、距離がうまく取れなかったりして、機能しません。いきなりなれなれしいような入り方をしてしまうこともしばしばです。

 

 

 
 例えば、仕事で接客する場面でも、
声のトーンから、話し方が、妙に距離が近いようななれなれしいような話し方になってしまったり。
相手の同意の段階を飛ばしてしまったりすることがあります。

 

 
 何かをお買い求めの人に対しても
「はい、提供できます」というのと、
「よろしければ、提供させていただきます」
というのでは、ちょっとした差に見えますが相手の受け取り方は大きく違います。

 

 
 常に主体を相手に渡しながら話をしていれば、相手はリスペクトされていると思いますが、自分を主体に話をしつづけると、相手は押し付けられているように感じられます。

 

 

 ちょっとわずかなズレが反感を生んでしまって、それに気が付かずに、トラウマを負った人は「なぜうまくいかないのか理由がわからない。自分は呪われているのかも?!」という絶望感に至ります。

 

 これは、マナーの問題として、いくら研修などで学んでも身につくものではありません。

 トラウマを負った人たちが持つストレス応答系の失調の影響でもありますし、もう一つは、人間観も影響して起こる現象だからです。
トラウマを負った人は、先日も書きましたように「人間とは立派なもの」ととらえています。

(参考)→「トラウマを負った人たちの独特な人間観

 

 

 

 「未熟な感情などは、人間は克服してしかるべきだ」といった形で、一階部分の面倒くさいやり取りは無視して人に接してしまいがちです。
 「人間は立派で、自己を啓発して真実に気が付けば、やがて理想的な高みに至れるもの」ととらえて、自分にも厳しく接しています。

 

 だから、根回しや本音と建て前などはくだらないものとして無視して、単刀直入にやり取りしてしまいます。

 
 しかし、普通の人たちは、「落語の世界観」です。
相手を尊重しあうワチャワチャとしたじゃれるようなやり取りが必要なのです。

 

 

 そこに単刀直入なやり取りでこられると違和感を感じてしまいます。

 

 

 
 また、トラウマを負った人にとって自分は幼く見え、相手は立派な大人に見えています。
だから、人生経験が豊富な紳士淑女であっても、その方たちの中にも傷つきやすい自己愛が潜んでいて、傷つけないように丁寧にリスペクトを伝える前振りが欠かせないことが、実感として分かりません。

 

 

 「大人は何でもできるくらい成熟している。(失礼なことを言っても)傷つかない」と思い込んだ幼い子が、大人に対して率直に接するかのような接し方をしてしまい、相手を怒らせてしまうのです。

 

 

 怒られると、湧き上がる恐怖を抑えるために、今度は「こき下ろし」の段階が始まります。
「何、あの人は!よほどおかしいんじゃないの?」とか、「モラハラか、支配者じゃないの?」といって、
モンスターに見える相手をこき下ろす一方で、自分を責めて反省大会をしてしまいます。

 これらは、トラウマによって人間観が独特に発達して歪んでしまっていることが原因です。

 

 

 

 さらに、ストレス応答系の失調も影響して、相手と波長を合わせることができませんから、妙にへりくだったり、合わせすぎてへとへとになってしまいます。
 気分を切り替えて自信をもって人と接しようと思うと、尊大になったり生意気になったりして、また相手を怒らせてしまったりするのです。

 

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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トラウマを負った人は、私って呪われているかも?!と感じる。

 

 

 トラウマを負った人は、なぜか人とうまくいきません。

 波長が合わないために、人といると緊張している(ように感じるし)、へとへとになるし、その割に報われないし、で本当に嫌になります。

 

 

 
 例えば、人と接しているときには内面では、
「最初はいいけど、そのうち、このにこにこしている人は私の内面を見破って、嫌いになるのではないか?」
「私がダメな人間であることがバレるのではないか?」
「今はいいけど、私のことを批判してきて、結局、険悪な関係になるのではないか?」
とびくびくしながら接しています。
「失礼があってはいけない!」として、一生懸命に接しますが、空回りしてしまいます。

 

 会話も上ずっているような気がしてきます。

 

 

 
 で、実際に相手とはうまくいかなくなったり、こちらの声が伝わったかと思うように、相手が自分を攻撃してくることも起こります。

 

 

 
 そんなことが続きますから、
「私は、本当に呪われているのではないか?」
「私は、本質的に、何か見えないものを背負った人間ではないか?」
「私は、人格的にどうしようもない人間なのではないか?」
と感じるようにもなります。

 人が怖くもなりますし、人が億劫にもなります。

 

 

 そのどうしようもなさを解消するために、ある人は途方に暮れる
ある人はスピリチュアルな世界に救いを求めるようになるかもしれません。
呪いを解くためには、そういう世界のほうが良いようにも見えます。

 

 
 従来あるセラピーであれば、それはあなたの選択次第で、それを解除すればいいんですよ、といった説明をするものもあります。
 実際にセラピーを受けてみても、効果が芳しくなかったりします。

 

 

 

 なにをやってもうまくいかない、と途方に暮れてしまったときに、呪われているのではないか?と思うのも無理はありません。

 
 普通の人たちは例えば、
「あいつは、俺に挨拶がなかった」といったり、
「あの人はご近所にも挨拶して、いい人だったわ」というように、
挨拶を重視しています。挨拶をしているだけで好意を持たれたりします。

 

 コミュニケーションにもツボ(プロトコル)があって、
ちょっとしたツボさえ押さえていれば、問題にはならず、人と一体感を得ることができるのでしょう。
 たった挨拶だけでOKをもらえたりする。これは目に見えない1階部分に相当します。

(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 

 人間の自己愛は安定している人でさえ、尊重されたいと願っていますから、リスペクトを伝える、は基本となります。

 挨拶はその一つだし、
コミュニケーションにおいて、視線を交わしたり、
ポイントポイントで了解を取ったり、ということは、
人と接するうえでは必要になります。

 

 ただ、普通はオートマチックに動くようになっていますから、さほど難しいことではありません。

 

 

 トラウマを負っていると、ストレス応答系の失調が起こります。そうすると、他人とリズムが合わずに、相手からの些細なコミュニケーションが強いストレスとなり、対人関係は怖いものになります。

 

 できるだけ人を避ける、
目を合わせられない、
話をしているときもニコニコしているけど、内心はビクビクしている。
本当の意味でのリスペクトではなく、恐れや蔑視で人と接している。

 ツボを外してコミュニケーションをしてしまいます。

 

 

 一つ一つは何でもないことですが、
相手からするとプロトコルが異なる接し方からをされるので、
「あれ?なんか、普通とは違うな、おかしいな」
「自分はバカにされているのかな?嫌いなのかな?」
「なんか不快だな」

となって、嫌悪感がわいてきたり、怒ってしまったり、ということになるのです。
呪いとか、その人の人格のせいではもちろんなくて、単にストレス応答系の失調故に起きた問題であって、

 もともとは誰も悪くありません。

 

 

 しかし、日常では、だれも(1階部分の)理屈を説明してくれないし、

 セラピーや自己啓発の本を読むと、マニュアル的な説明や、「あなたが変われば、相手も変わる」といった引き寄せ系の説明ばかりで、
実践しようとしてもうまくいきません。

 

 理屈を頭に入れるだけではなく、ストレス応答系がオートマチックに働いてくれないと対人関係は機能しないからです。

 

 そのうち、
「やっぱり、自分は人間的におかしいのかも?!呪われているのでは?」と思うようになって、混迷の度合いを強めて、迷いの森へと入っていってしまうのです。

 

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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