赤ちゃんもノイズをキャンセルしているのかな?

 

 赤ちゃんをお世話したことのあるかたは経験があるかもしれませんが、赤ちゃんは、お腹がすいた、眠い、オムツを変えてほしい、など要望を伝えるためかよく泣きます。

 

 普通は、その要望が満たされると泣き止みます。

 

 

 ただ、しばしば、大人ではよくわからない理由で泣くことがあります。

なにをしてもだめ、多くの場合、母乳を与えて何とかしのぐ、ということも多いのではないでしょうか?

 
 それ以外に、ビニール袋をクシャクシャして音を出したり、鈴を鳴らすと泣き病むことがあります。

 お腹の中で聞こえる音に似ているから落ち着くのではないか?と言われています。

 


 ただ、ふと思うのは、赤ちゃんもノイズを受けていて、それで泣いていることもあるのかも?ということです。

 

 音(ノイズ)を聞かせると、そのノイズでノイズをキャンセルさせているのかもしれない、と感じることがあります。

 


 著者の親せきの子どもも、1、2歳のころに、ちょっとボールを落としただけで、「ああ」と自分を激しく責めるそぶりを見せていた時期がありました。

 そんな幼いころに、自己否定や、自分を責めるような高度な心理的な在り方を外から学ぶ、ということはできないでしょうからは、とても違和感がありました。

 その子はとても繊細な子だったので、もしかしたら、外からのノイズ(支配とか)の影響を受けていたのかもしれません。

 


 私たち大人も、ふとよぎる思いにどうしようもなくなる時があります。ストレスで苦しい時ほど、通勤中はウォークマンなどで、音楽をずっと聴き続けたい衝動に駆られるときがあります。

 

 

 通常は、たんに音楽で気分を盛り上げて、ということだと解釈していますが、もしかしたらそれもノイズをキャンセルしようとしているのかもしれません。

 

 

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ノイズをキャンセルする言葉

 

関係念慮(妄想)をキャンセルする方法はあるのでしょうか?

自分でできる方法が一つあります。

 

それは、

「ノイズのキャンセリング」という言葉を、目を開けて頭の中で繰り返し唱えるというものです(1セットは7~8回)。

 

これまでは頭の中で声が聞こえたり、酷い状態であった人でも徐々に収まって、凪になっていきます。

 

 

人の考えが気になる、とか、頭がグルグル回る、といった場合にもよろしければ、お試しください。

 

 

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「接する」のではなく「信じている」

 

 トラウマを負った人の特徴として、自分や他人、世界に対して、直接ありのままに「接する」のではなく、「信じている」ことがあります。

 
 理不尽な経験をしてきていて、世の中や人間というものは、安心安全ではない、と感じています。

 

 そのため、直接「接して」はあまりにも危ない、ためにありのままの他者、世界に、ではなく、いったん抽象化(ファンタジー)したものを「信じる」ように接しています。

 

 

 そのため、他者や世界について、見たくないものは回避しようとします。信じるかどうか?なので、抽象化したイメージにそぐわないととても腹が立ったり、こき下ろしたりするようになります。

 

 ありのままの他者や世界は、良いものも悪いものもほどほどに同居しているものですが、そうした真ん中がありません(二文法的認知)。

 

 例えば親に対しても、ありのままに見ればよいわけですが、抽象化したイメージとしての親(親´)と接し続けています。

 ですから、実態としては愛情が持てないご両親だったり、過去には理不尽なことを重ねてきていても、それがわかっていながら、イメージとしての親(本当は愛してくれるはず)をずっと追い続けて、イメージ通りに動いてくれない親に対して、腹が立って、小突いてみたり、口論になったりするのです。

 

 
 自分自身に対しても同様です。自信自身に対する時も、ありのままの自分と接するのではなくて、抽象化した自分(自分´)を信じています。

 スティグマ感を背負い、罪悪感があり、自分に自信がありませんが、それらは、周囲から背負わされた抽象化されたイメージです。

 

 ありのままの自分はとても汚れていると思いこまされているために、抽象化したイメージ(少しマシな自分)を信じるようにしているのです。

 

 そのイメージを信じてしまうので、いつまでも、自分に自信が持てないままになってしまいます。

 

 

 「自他の区別」がつかない原因の一つは、抽象化したイメージを通じて世界や自分と接しているからです。

 イメージだから、区別や距離が取れないのです。現実の自分や他者をありのままに見れれば、区別は距離は明らかにとることができるのです。

 

 

 

 このことに気づくだけでも、結構変化が生じます。
 ありのままの他者を見る、ありのままの世界を見る、ありのままの自分を見る、ということができると、生きづらさは、ぐっと良くなってきます。