「0階部分(安心安全)」の回復は問題解決の中核

 

 人間は、「0階部分(安心安全)」が欠如すると、それを補うために、さまざまな問題行動を起こすようになります。

 例えば、対人関係では、過剰適応であり、過緊張であり、回避であり、しがみつきであり、様々な防衛が働きます。

 身体的には、強迫行動や、依存・嗜癖、不眠、免疫不全、といったようなことも引き起こされます。

 

 これらは、「問題行動」、「疾患」とも言えますし、0階部分(安心安全)が欠如したために、心身が「非常事態モード」に切り替わった、つまり、「0階部分(安心安全)」が欠如した環境に適応した、とも考えられるのです。

 

 戦争、災害など社会全体が「安心安全」ではない環境であれば、それでよいのですが、(非常事態モード自体が臨時の「0階部分」となってくれる。) 実際の社会は平和ですから、自分だけが非常事態モードになるということは、結局は不適応を起こしている、ということになり、本人も、そして周囲も困ることになります。

 

 アメリカでは、戦争から帰還した兵士を描いた映画がいくつかありますが、そこで描かれているのは、自分だけ「0階部分」が「非常事態モード」から「安心安全」へと切り替わらずに、平和な日常とのギャップに苦しむ姿です。

 ずーっと緊張や過覚醒が続いて、落ち着いて何かを行ったり、人とうまく付き合ったりできなくなる。
  

 その結果か、あるいは要因の一つとして、「関係」が壊されてしまう。
自分の感覚と、周囲との感覚、常識があまりにも合わず、無理解の壁に苦しみ、自分は孤立を感じてしまうようになる。

 
 その苦痛を和らげるために、未熟な自己治療として様々な行動をとってしまうようになり、それが嗜癖とか、依存症とか言われるものだったりします。
 (リストカットとか、抜毛症とか、アルコール依存とか、ギャンブル依存とか)

 

 

 免疫機能もおかしくなってしまうために、自責的になって自分を攻撃したり、強迫的になったりします。

 その他、発達障害、ADHDなども様々な問題も、「0階部分(安心安全)」の欠如のゆえではないか、と考えられます。
 (発達障害の方が、反復するものが好きなのは、そこに秩序、安心安全があるからです。)

 

 

 ストレスの研究などでわかっていますが、人間(動物)というのは、急な非常事態に対応することはどちらかといえば得意ですが、長くだらだらと続く、日常のストレスには弱い。

 
 おそらくは、人間(動物)はモードが急に切り替えたり、適応することはできるのでしょうけども、反対に微調整(融通)がきかない。
 

 非常事態モードになった状態を、安心安全のモードに切り替えることが、なかなかできない。だから、皆そこで苦しむ。
 

 

 さらに、ほぼ、身体的な問題なのに、「心」の問題にされてしまい、その人の責任とされてしまう。

 「心」は、インターフェースであり、インプット、アウトプットの入り口にはなりえますが、原因ではない。
  

 

 

 心身が、非常事態モードから、「安心安全」へと切り替わるツボになる部分を探す必要があります。
 (ある理論では、そのポイントとなるものが「耳(声、音)」であったり、顔や喉の「筋肉」であることがわかっています。)

 

 「0階部分(安心安全)」の回復のポイント探しこそが、これからの臨床のメインテーマの一つとなるものです。

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

「0階部分(安心安全)」

 

 以前、「関係」がどのように成立するのかについてまとめました。

 「関係は1階、2階、3階といった階層構造になっている」
 また、「私的領域では人間はおかしくなる、公的な領域こそが本来の居場所である」ということを見てきました。

(参考)→「「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである

    →「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

    →「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 

 実は、これまで明らかにした関係や公的領域にはそれが成立する前提があります。

 それが、今回お伝えする「0階部分」ともいうものの存在です。

 

 
 私たちはクラウド的な存在であり、「関係」によって成立しています。
 そしてその「関係」とは、公的領域でなければ正しく機能せず、私的領域(個人の情動やローカルルール)にとどまった場合、嫉妬や支配といったおかしなものに堕してしまうようになります。

 

 ただ、こうしたメカニズムの以前に、カウンセリングをしていると、「関係念慮(妄想)」といった状況に陥って、周囲への不信や被害感情に苦しんでいる方に多く出会います。

 

 関係念慮というのは、特別に病的な人がなるものではありません。
 誰でも、体調が崩れたり、睡眠不足になったり、あるいは人間関係のストレスにさいなまれると、容易にそのような状態に陥ります。

 

 「周りの人が私のことをネガティブにとらえている。悪口を言われている気がする」
 「周囲がひどい人ばかり」

 といったようなことです。
 

 そのために、クラウド的な存在であるにもかかわらず、「関係」を構築できず、周囲とつながることができず、代わりに、家の中で嫌な家族やつらい過去の記憶とつながるしかなく、余計に苦しくなってしまう、ということが起きます。

 

 これは、トラウマを負っている方に多い傾向があります。
 (内分泌の疾患、発達障害の方などでも同じような問題が生じます)

 なぜ、そうした方に多く見られるかというと、それはトラウマを負っている方は「安心安全」が脅かされやすいためです。

 「安心安全」の欠如とは、身体的な不調、心理的には不安定型愛着に起因します。

 

 
 人間というのは、免疫やホルモン、自律神経によって、外的なストレスに対処しています。ホルモンなどが国境の壁や軍隊の役割をしていて、防御が利いている間は、その内側は平和でいられます。
 

 ボクシングでいえば、ガードしている状態。
 極端に言えば、どんなにパンチがきつくても、ガードしている間は、安全でいられますし、むしろ、打ってくる相手とガードのタイミングが合い、さながらダンスを踊っているかのように、心地よくさえあります。

 

 これが健康な人間の状態で、健康な人から見れば、
 「人間というものは信頼できる。社会とは安全なものだ」と感じられています。ストレスさえも、どこか心地よく感じられる。
 

 

 

 しかし、防壁が壊されたり、ガードのテンポが合わなくなると、ストレスをもろに浴びるようになります。

 物理的には同じ環境にいながら、途端に「人間とは信頼できない。社会とは危険なものだ」と感じられるようになります。

 これがストレス障害(トラウマ)というものです。 

 

 ※出産を基準にして、出産前にお母さんの中でお腹の中でのストレスでその防壁が壊されてしまうことを「発達障害」といい、出産後、環境のストレスで壊されてしまうことを「トラウマ」といいます。そのため両者の症状は瓜二つになるのですが、それはどちらもストレス障害だからです。ホルモンの失調でも似た状況になります。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

    →「大人の発達障害、アスペルガー障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 

 

 
 同じコミュニケーションでも、防壁があるときは、肯定的なメッセージは、そのまま「肯定的なメッセージ」としてとらえれます。
 しかし、防壁がないとむき出しであるために、肯定的なメッセージも「否定的なメッセージ」として捉えられるようになります。

 

 むき出しですから、「周りはひどい人ばかり」となります。
 (臨床心理の世界では、「周りはひどい人ばかり」と訴えているケースは、強いストレス障害(発達障害)による記憶の断片化が疑われます。)
 

 

 相手が普通に送ってくるメッセージが正しく受け取れないわけですから、通常のやり取りができなくなる。「1階、2階、3階」とフィルタをかけながら積みあがていくように「関係」を構築できなくなってしまう。

 (参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 積み上げ=フィルタ式ではなくて、すべてを警戒するか(回避)、すべてを受け入れるか(接近)、といった極端な形になってしまう。

 

 このように、「0階部分」とは、心身の「安心安全」のことを差します。
 「0階部分」が関係を土台となって、私たちを支えてくれています。

 

 トラウマとまではいかなくても、睡眠、食事、運動が不足すると、私たちは容易に土台が崩れてしまいます。

 
  かつての警察の取り調べや、カルトの洗脳などでは、
  ・睡眠時間を少なくし
  ・食事を制限し
  ・自由に運動ができないようにする

 ということがセオリーです。そうすると、正気を維持できなくなるからです。

 小さなお子さんをお持ちの方はご経験がありますが、
 眠たくなると子供はわけがわからなくなる。
 特に、睡眠不足は容易に人間をおかしくするものです。

 

 

 身体的な健康が脅かされると、人間はだれでも妄想的になります。

  
 そのために、「0階部分」では、「身体」的な健康、安心安全が確保されていることがとても大切です。

 

 

 「0階部分」を整えるためには理屈よりも何よりも、まずは、睡眠、食事、運動から入る。

 睡眠をしっかりとり、栄養を整える。
 
 最近は、鉄分などの不足が精神の不調に大きく影響している、ということが指摘されるようになってきています。

 
 また、たとえばうつ病でも「運動」によって9割が回復するというエビデンスがすでにある(抗うつ剤では2割しか治らない)。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 

 それほどに「0階部分」は大切です。  

※いわゆる「愛着」というのは、「0階部分」のOS(オペレーションシステム)ともいうべきもので、ソフト面から「0階部分」の機能をサポートしてくれています。
 (参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 「0階部分」によって、わたしたちの「公的領域」、「関係」というものは支えられています。

 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

トラウマチックな世界観と、安定型の世界観

 

 前回も少し触れましたが、本来の人間の世界観は、
「ゆっくりのんびりしながら、腑に落ちる感覚を「待つ」という」ような感覚です。

 

 トラウマというのは、「ストレス障害」のことです。
災害、事故、日々のストレスによってトラウマになるのですが、
人間はそれによって、安心安全を奪われて、非常事態モードになります。

 

 トラウマを負った人の世界観とは、

 ・次があることが保証されていない(目の前の機会が失われたら次が来ないと思ってしまう)
 ・せっかち(すぐに結果が出ないと安心できない)
 ・明日の能力向上よりは、今の結果を求める(だから、積みあがらない)
 ・Doing偏重(行動への強迫)
 ・世界が秩序だっているとは思えない(そのためスピリチュアルなものにも傾倒しがち)
 ・本当はつながりたいけど、人は信頼できず、億劫な存在
 
 といったことが挙げられます。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 総じていえば、刹那的で、とてもせっかちなのです。

 「改善のためには常に行動をしなければ」と思い込んでいます。

 

 

 こう聞くと、驚く方もいると思います。
 「だって、例えば仕事では、常に行動を起こすことは基本だし。PDCA、改善(カイゼン)っていうじゃないの?」と。

 

 確かに、半分そのとおり、でもそれは、仕事を支える思想のほうに問題があります。

 

 なぜかというと、現代の資本主義自体、そもそもトラウマティックな性質を持っているからです。

 ・成長に対する強迫
 ・刹那的に利益を追求する

 といった特徴がある。

 

 そのため、会社の社長やビジネスマンといった人には、
 トラウマを負った、自己愛性パーソナリティ障害傾向の方は少なくありません。彼らと資本主義とはある意味、親和性がある。

 (トランプ大統領など極端ですが)

 

 彼らは、抱えた不全感を、Doing(行動)やHaving(成果)で埋めようとする。
 
 すぐに結果が出ないといけない、として、成果を求める期間は、
 1年、半年、4半期とどんどんと短くなってくる。

 結果その無理がたたって、近年は、粉飾、検査不正とかが問題になってきています。

 

 そうした人たちが書くビジネス本とか、発言とかを真に受けると、トラウマチックな世界観に巻き込まれてしまいます。

 

 

 

 一方、本来の仕事、商いというのは、時間がかかるもの、という認識がありますから、コツコツと目の前の仕事をしながら、種を仕込み、のんびりチャンスを待ったり、するもの。
 
 

 

 私たちの個々人の生活、人生もそうです。

 愛着の安定した人間であれば、のんびりすごして、目の前のこと(今ここ)に集中する。そして、3年、5年、場合によっては10年というスパンで、チャンスを「待つ」。

 これが本来のスタイル。
 

 すぐに結果を求めて、強迫的に行動したりしてはいけない。
 本当に自分を成長させてくれる機会に手が届かなくなるから。

 

 

 世にある、自己啓発やスピリチュアルなノウハウ、ポップな心理療法といったものも、そのオリジナルは近代合理主義の亜種だったり、創始者自体がトラウマを負っていて、その不全感から生まれたものだったりします。
 
 実際、「ありのままでいいよ」といいながら、とってもせっかちで自己否定的であったりします。だから、うまくいかない。

 

 

 もし、本当に、世にあるチャンスを最大限に生かすのであれば、それは、安心安全な環境で日常に生きながら、「ゆっくりと待つ」ということが必要。

 焦りは、支配や発作をもたらします。

 

 トラウマを負った人が育った家庭は、親自体もパーソナリティ障害傾向、発達障害傾向があったりするために、とてもせっかち。

 独善的なルールで「早く、早く」と子供の都合を考えず、追い立てるようなスタイルですから、せわしなく、焦り、緊張することが身体に染みついてしまっている。

 

 人間の本来のスタイルは、安心安全な環境でのんびり過ごして「待つ」というものだ、と知ると、自分の体感(ガットフィーリング)を信頼できるようになり、他人に支配されにくくなったり、発作で解離しにくくなります。

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

頭ではなく、腸で感じ取る。

 

 真の客観とは何か?ということを書きましたが、

 もう少し具体的に言うと、私たちはどこで知るのでしょうか?

(参考)→「真の客観とは何か?

 

 
 私たちはクラウド的な存在であり、公的な領域にいるときは、常識や社会通念というものを無意識下で身体で感じ取って生きています。

 それがどこで表面化するのかといえば、「内側から」。とくに腸のあたりから湧いてくる感覚で具体化していきます。

 
 よく「腑に落ちる感じ」といいますが、まさにそんな感覚です。

 英語では、「ガットフィーリング」といいます。
 
 歴史上の王や武将なども、この身体感覚というもので判断してきたようです。 

 

 

 反対に、私たちが判断を誤るときはどんな時かといえば、「頭で考えた」とき。もっといえば、「胸から上の感覚」に頼った時。

 腑に落ちるのとは違い、そわそわ、ざわざわ、して落ち着かない感覚。あるいは、頭に血が上って過活動を起こしている状態。

 こうしたときは、ワールドワイドウェブ(常識や社会通念)とつながっているのではなく、ローカルネットワーク(私的情動)につながっている状態です。

 そのため、判断を誤り、失敗してしまう。

 

 

 

 親と子の絆を指す「愛着」というのも、まさに、この「ガットフィーリング」をはぐくむもの。お腹がすいたとき、眠い時、おしっこがしたいとき、などなど
 内臓感覚への信頼を、親との対話で作り上げていくのです。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 

 トラウマを負うようなストレスフルな環境、というのは、「胸から上」の感覚を強制されるような文化。必ず、周囲から一方的に急かされれたり、内蔵感覚を無視されたりといったことが起きています。
 過剰に気をつかい、未来を先回りして、ソワソワとして落ち着くことがありません。

 そのため、社会とつながることができず、孤独に陥り、判断を誤り、自分を責めて、という悪循環に陥ってしまうのです。
 
 

 

 

 現実の世の中は、実は、「のんびりして」「待っていることのほうが多い」ものです。常に何かを判断したり、動いたり、ということは少ない。

 ゆっくり待ちながら、内臓感覚(ガットフィーリング)が湧き上がってくるタイミングを待っている。
 
 それがいわゆるチャンス(機会)というものです。

 

 自分の「胸から上」がざわっとしたり、熱くなっていたらそれは一度ストップしてみる必要があります。そして落ち着いたうえで、腸で考える。ゆっくりのんびりしながら、腑に落ちる感覚を「待つ」ということが私たちの本来の姿のようです。

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

真の客観とは何か?

 先日も書きましたが、
 トラウマを負っている人は、過剰な客観性、を持っていることがあります。

(参考)「過剰な客観性」

 

 他人の意見はすべて客観的事実だとして真に受けて、どこまでも、自分を反省して、どこまでも自分を改善していかなければならない、とする姿勢です。

 しかし、やればやるほど、自分の改善すべきポイントは増えていき、決してなくなることはありません。

 改善するために自分の足場の土も掘り崩していくため、知らない間に、自分の自信は失われていき、最後にはエネルギー切れを起こして、調子を崩してしまうようになります。

 

 
 当人にしてみたら、
 「そんなことを言うけど、自分の主観と客観(人の意見)とを比べた時に、自分の主観を採用したら独りよがりになってしまう。独りぼっちになってしまう。できるかぎり、人の意見を採用して、自分を客観的により良くすることしかないじゃないか」
 と感じてしまいます。

 

 この考えには、生育歴の中で内面化された刷り込み(ニセの公的領域)があります。

 それは、「他人の意見を客観だ」としていること。
 

 

これが、その当人を苦しめている。

  これはどこからくるか、といえば、例えば、親や周囲の人たちが自分のエゴ、支配欲のために、自分の私的情動を「正しい客観だ」として強弁してきたことについてまじめさから真に受けさせられてきたことから。

 

 機能不全な親というのはとても多いのですが、その親の気まぐれや、わがままにすぎないものが、「あなたのためだ」など理由をつけられてで、正当化されている場合がある。

 

 「これはしつけだ、教育だ」「私の言うことは正しい、だから従いなさい(≒あなたはダメだ)」といったような形で内面化を強いられる。

 

 これは、ある種のハラスメント(ニセの公的領域)にすぎないのですが、ハラスメントにすぎないがゆえに、自分の考えを「客観的である」強く主張しなくてはならず、さらにそれを維持するために、「あなたはおかしい(You are NOT OK)」ということが強調される必要が発生する。

 (参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 そうして、「他人の意見が客観である」と、すり替えられてしまうのです。

 

 

 これはホンモノの客観ではありません。

 人間の社会は、あらかじめ客観があるのではなく、主観の集まりにすぎません。そして、その主観はとても多元、多様です。
 

 もっと言えば、人間というお猿さんが、嫉妬や支配欲から、互いをけん制し合っているような状態が、それが社会のすがた。
 もちろんそれではだめなので、信頼などを醸成して、社会を築いていくわけですが、お猿さん同士の主観のぶつかり合いであることには変わりがない。

 それなのに、過剰な客観性があると、猿の鳴き声の集まりを「客観」だとしてありがたがって、自分を否定するようなことが起きてしまう。

 

 

 では、真の客観性とは何でしょうか?

 

 それは、他者の主観を真に受けることではありません。

 

 真の客観とは、安心安全を土台にして、「自分の主観」から出発すること
 (安心安全がない時、主観は歪み、関係念慮(妄想)に落ちていきます。)
 

 次に、身体を支えにして、ノイズをキャンセルしていくことです。
 
 
 すると、腑に落ちる(ガットフィーリングに合う)感覚を得ることができます。

 それが、真に客観的なことです。

 

 

 「自分の主観からスタートしたら、独善的になるのでは?」という不安があるかもしれませんが、安心安全を土台にしていて、身体が健康なときの主観というのは社会のネットワーク(社会通念、常識)とつながっていますので、多元的でバランスが取れていて、基本的におおむね誤ることがありません。

 

 人間というのはクラウド的な生き物、個人であると同時に、社会の表象でもある。だから、社会とつながる一人の芸術家が時代を代表する芸術を創造することができたり、 作家や哲学者が時代精神をカタチにすることができたりする。凡人でも、アンケート調査、統計などを通じて、輿論が明らかになったりする。

 

 

 一方、意固地、独善的、妄想的になってしまうのはどういったときかというと
安心安全の支えがない時や、身体が健康ではないとき。その際は、社会的なネットワークとつながることができず、原家族やハラスメントを負った過去とつながってしまい、独善や疑心暗鬼、関係念慮(妄想)におちいったりする。
 意固地な人を見ると、その人は明らかに、別の何かと戦って、自分を必死で守っていることが外から見てもわかります。

 

 主観からスタートするためには、「安心安全」がキーポイント。

(参考)→「「安心安全」と「関係」

 

 そのためには、心身を健康にしている必要が勿論あります。

 

 過去の記憶によって、「安心安全」を感じることができない場合は、カウンセリングの出番となりますが、その前に、食事、運動、睡眠、というのはとても大切だったりします。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 

 「安心安全」(愛着と健康)を土台に自分の主観を出発点として社会のネットワークとつながり、真の客観を捉えることができるようになるのです。

 

 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

理由を考えてはいけない。

 

 自分が理不尽な状態にあった時、私たちは、自分はなぜそんな目にあったのか?と理由を考えようとします。

 「自分がダメな人間だから、舐められたのかな?」とか、
 「自分が失礼なこと、不愉快なことをしたから、相手が怒ったのかな」

 などなど

 

 トラウマを負った人には、「過剰な客観性」がありますから、
 本人は、客観的に理解しようとして、理由を探します。

(参考)「過剰な客観性」

 

 

 そうすると、かならず、「自分が悪い(I’m NOT OK)」というところに帰結してしまいます。
 

 なぜなら、その理不尽な状況というのはしばしばニセの公的な領域であり、その特徴の一つは、「敵(You are NOT OK)を作る」ということにあるからです。

 (参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 

 「過剰な客観性」があるため、私的情動を公的領域だと偽っているものも、「それは客観的な事実に違いない」と錯覚して受け取るようになってしまいます。
 

そのため理由を考えてしまうと、結局自分が悪い、ということに至る。
 

 もう一つよくあるケースでは、
 現時点には「ニセの公的領域」がない場面でも、過去に自分が内面化した「ニセの公的領域」が反応して、相手の反応を誤って捉えてしまう、という場合もあります。
 

 

 例えば、相手の中立な反応に
 「自分がないがしろにされた」とか、「自分が否定された」「バカにされた」と感じてしまうようなことです。

 
 不安を強く感じているときに、
 カーテンを見て、幽霊だと感じるようなことです。

 
 これも、過去に親や学校、職場などで受けた理不尽な仕打ちに対して、理由を考えて、そして「反省」して、そのニセの公的領域の「規範」を内面化したために起きている現象です。

 

 規範に引っかかるような、当時と似た反応に接すると、
 自動的に「あなたはだめだ((You are NOT OK))」というメッセージとして受け取ってしまうようになります。

 

 ひどくなると、「関係妄想」と呼ばれる症状に至ります。
「関係妄想」とは、頭がおかしな人がなる、というものではありません。公的領域から切り離されて「安心安全」がなくなれば、誰でもそうなります。
 (例えば、世間からバッシングを浴びた著名人が、人間不信に陥った、というようなことはこうした例の一つです)

 

 

 

 では、どうすればよいのか?

 理不尽に接したら、理由を考えるのではなく、“しくみ”を知る ということです。

 例えば、
 ・この世の中には客観というものは存在せず、主観のぶつかり合いでしかない。
 ・社会には支配欲や嫉妬というノイズが渦巻いているもの。
 ・「ニセの公的領域」はあるし、それは敵を作り出すという特徴を持つ。
 ・ノイズを客観として真に受けてしまうと、疑心と恐怖の世界とつながってしまう。
 ・反対に、ノイズをクリアにした先には信頼の世界がある。

 など 

 そのうえで、沸き起こる「I’m NOT OK」でさえ、それは、「ニセの公的領域」の特徴なのだと理解して、スルーする。

 
 「本当の世の中は多元的で、自分がおかしいというような判定は決してなされない」
 「自分は他と同様に素晴らしい」 
 

 ということをしっかりと踏まえることです。

 そうしていると、徐々に、世界がありのままに見えてくるようになります。

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 私たちが日常で出会う「ニセの公的領域」について書いてきましたが、視点を社会に移した時、社会的な現象としてのニセの公的領域の典型は、ファシズム、全体主義というものです。

 

 ファシズムというのは、本来多元的であるはずの社会の規範を一元的に単純化して、ニセの公共を作り出す現象です。

 

 社会の状況が深刻な際は、問題が輻輳して閉塞感が覆っている中で、問題が単純化されるので、その社会にいる人々は一気に問題が解決したような気になります。

 

 ただ、実際は解決したわけではないですし、多元的である現実世界とは不適応を起こします。そこで、一元的なニセの公共を維持するために、必ず「敵(You are NOT OK)」を必要とします。

 

 ナチズムであれば、反ユダヤ主義、反資本主義、反社会主義、反軍国主義、反平和主義、反キリスト教、反無神論・・
 何についても「反」で、互いに矛盾していてまったく合理的ではありません。
 内容はめちゃくちゃなのですが、「反(You are NOT OK)」とすることで成り立たせています。
 (ドラッカーは「全体主義には、前向きな心情がないかわりに、おびただしい否定がある」(「経済人」の終わり)としている。)
 

 「反((You are NOT OK))」を必要とするのは、それがなければ一元的に単純化した規範を維持できなくなるからです。
 だから、ファシズムというのは常に敵を必要とします。
 (これがファシズムというもので、日本で素朴に理解されているように、必ずしも、ファシズム=軍国主義というわけではない。
 「反」であればなんでもよいので、平和主義のファシズムもあるし、民主主義のファシズムもあるし、人道主義のファシズムも成り立つ)

 

 

 私たちの身近な現象に視点を戻した時に、私たちが接する「ニセの公的領域」もまさにこうしたことが当てはまります。

 たとえば、「いじめ」。
 いじめは典型的なニセの公的領域、ファシズム的現象です。

 (参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 「いじめられっ子」のいない、いじめというものは存在しないように、「いじめ」でいじめる側が主張する「空気が読め」「ノリに乗れ」といったことは、多様な人間の在り方には全く反します。
 ノリに乗らないマイペースも人間の素晴らしいリソースであるし、人間のタイプは様々です。暗い性格でもよいし、運動ができなくてもよい。
 

 

 しかし、「いじめ」は社会の多元性を否定して、一元化して、人を裁きます。

 

 実際に、いじめについての研究書の中で、インタビューされた学校の先生の発言に「ああいうタイプの子(いじめられっ子)は、社会に出てもうまくいかないし、それはわかるんですよ」といった発言があります。
 いじめがおきると、教師もその空気に支配されて、一元的な価値観で人を判定するようになってしまいます。
 

 一元的な価値観(ニセの公的領域)というのは現実と齟齬を起こしますから、「敵((You are NOT OK))」を作り出して、一元的価値観が正しいことを維持しようとします。
 (「ああいうタイプの子(いじめられっ子)は、社会に出てもうまくいかない」≒だからいじめには正当性がある)

 

 

 いじめまでいかなくても、私たちが日常で接するハラスメントも同様です。
多元的であるはずの人間の在り方を、一元化しているために、必ず「敵(You are NOT OK)」を必要とする。
 だから、「あなたはおかしい(You are NOT OK)」というメッセージを私たちに投げかけてきます。

 

 「ニセの公的領域」は、もっともらしく見えても、直感的には矛盾だらけですから、直感的に矛盾を感じたら、「You are NOT OK」といわれていても、真に受けずに、「I’m OK」と受け流す必要があります。

 

 

 例えば、親から投げかけられる「You are NOT OK」も、ニセの公的領域の典型といえます。
 「あんたは理屈っぽい」
 「あんたはかわいげがない」 
 「あんたは文句ばかりで、やかましい」

 といって、親の不全感から、子供を否定する親というのは少なくありません。

 ただ、よくよく見ると矛盾だらけで、たとえば、兄弟がいるケースだと、ある兄弟にはダメだけど、同じことをした別の兄弟は許されたり。親自身に非があっても謝らずごまかしたり、といったことが起きています。

 そうした矛盾があっても気が付かず、子供への否定を繰り返すのは、
 私的な情動から生まれたニセの公的領域を正当化するためなのです。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 本来、多元的な社会の中にある、真の「公的な領域」というのは、成員すべての「I’m OK」を成り立たせるために存在しています。そのため、すっきりもしませんし、ある意味あいまいなところも多い。

 法律に反するなど他者の「I’m OK」を侵害すると制されますが、極端に何かを否定(You are NOT OK)することもありません。 

 

 私たちが日常で、
 「You are NOT OK≒I’m NOT OK」を感じたときは、
 その元となっている「公的な領域」が本当はニセモノではないか、
 あるいは、自分の中にある過去に形成された規範がニセモノではないか、と疑ってみる必要があります。

  (※例えば、目の前にある人は「You are NOT OK」とはいっていないけど、過去に親や学校から受けたトラウマによって、
   「You are NOT OK」と捉えてメッセージを受け取っていることもあります。)
 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

「私的領域」は、公的領域のフリをすることで、強い呪縛となる。

 私たちが悩みとすることは、自分にとっては、動かしようもない事実であり、それはとてつもない恥として感じられています。

 

 ある人は、幼いころに負った記憶。家庭の中での出来事。

 ある人は、親から言われた言葉。

 ある人は、学校での出来事。いじめや、おもらししたといった失敗や。
 

 
 
 常識や、本当の意味での公的な感覚でとらえれば、
 「(親の言動や、環境は)それは常識に反する。おかしい。あなたは悪くない」となりますし、

 

 過去の出来事も、
 「そんなことはだれにでもある。何も気にしなくていい」
 という風にとらえられます。

 

 人間というものは、だれしも弱くて、どうしようもないもので、表向きはそう見えない人も、ただそれを見栄で隠し通しているだけで、内状は大差がないもの。

 人生はミスや失敗もたくさんあるもので、そういうもの。

 (失敗がない、と思っている人は、自分の失敗が目に入っていないだけ。あるいは、失敗しないために得た援助や犠牲を理解していないだけ)

 

 
 現実をありのままにとらえれば、自分が負ったどんな悩みも消化されていきます。

 

 

 しかし、私たちのまわりには、ローカルなコミュニティがたくさんあり、その中では、人々の私的な情動が渦巻いている。 嫉妬とか、支配欲とか。
  
 沸き起こる嫉妬から、自分の私的な情動を、あたかも公的なルールであるかのように偽装して、それをもとに相手を支配しようとすることが起きます。

 

 

 一番は、「家庭」、次に「学校」、「友人関係」、そして「会社」

 親も当たり前のように子供に嫉妬をします。えこひいきもします。支配もします。それらは、私的な情動からなされます。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 ただ、まさか「自分の個人的な感情によるものです」とは言わず、本人も気が付かず、「お前のためだ」「お前がおかしいのだ」「お前の言っていることは屁理屈だ。理屈っぽい」「どこに行っても通用しない」といって、自分の私的な情動を隠して、子どもや家族を非難して強弁するようになります。

 

 

 それが家の常識となり、子供にとっては、あたかも社会のルールのように感じられて、「自分はおかしい」という自己否定、自信のなさが大人になってもぬぐえずに続くようになります。
  

 
 「親が言うのだから、それは常識に違いない」と思っていますが、それは単なる親の嫉妬や支配欲でしかなかったりします。

 

 

 学校のいじめもそうで、最初は、家庭などほかの場所で不全感を負った子供が始めることが多いです。これも嫉妬や支配欲が関係します。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 誰でもよいのですが、標的を見つけて、いじめを開始する。

 「くさい」とか、「空気が読めない」でも何でもよいのですが、もっともらしい理屈をつけて正当化する。

 さらに、同級生や先生も周りを巻き込んで、リアリティを形成する。

 いじめられたほうは、「これだけみんなに否定されるのだから、自分は本当に空気が読めず、おかしいに違いない」として、自分を責めるようになる。

 もちろん、直感的には周りがおかしいとは感じていますが、どうしてもぬぐえない。

 なぜなら、自分を責める理屈や人々が「公的な領域」に見えるから。

 (「自分の直感と世の中を比べたら、世の中の意見のほうが正しいに違いない」という感覚)

 

 

 いじめる側も、「これは自分の不全感や嫉妬からのものですよ」といってくれればよいですが、「公」を詐称するために、「私的な領域」にすぎないものが、あたかも「公的な領域」であるかのように移り、その「ニセの公的領域」は被害者を長期間呪縛することになります。

 おとなになっても、いじめの記憶がじわじわ影響しているという方は多いです。
 

 

 

 会社もそうです。

 単に社長や上司のコンプレックスからくる偏った常識でしかないものが、あたかも公的なルールであるかのように偽装されて、そして、それに基づいてハラスメントが行われている。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 ハラスメントは、仕掛ける側が、「これは自分の嫉妬によるものです」なんていうわけがありませんから、もっともな理屈をつけて正当化します。
 「ノルマが達成できていない」「ミスをした」、「スタンスが悪い」「積極さが見えない」といったような言いがかりをつけたりすることはよくあります。

 

 

 とても学歴が高い方が、それゆえにいじめられるということも珍しくありません。例えば「東大を出ているのに、そんなこともできないのか」といったようにいびる上司は実際にいたりします。

 

 これも、たんなる嫉妬によるハラスメントにすぎないのですが、もっともな理屈をつけて行うために、受けた側はずっと呪縛されるのです。

 
 こうした「ニセの公的領域」とは、セラピーでは、ドミナントストーリーと呼ばれますが、あくまでそれらはニセモノにすぎません。

 

 

 自分の頭の中を触っていても、なかなか解消することは難しい。
 
 本当の「公的な領域」につながり、ニセの領域から移行することによって、ニセの公的領域によってもたらされた悩みは解決されていきます。

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

ニセの公的領域

 

 インターネットでは、偽のサイトに誘導して情報を盗んだり、という犯罪があります。銀行とかECサイトとか、「公的な」会社を偽装して、「パスワードを変更してください」といったようなメールを送ってきて信用した人がログインすると情報を取られる、というようなことです。

 よく、会社のホームページには「当社を騙るメールにご用心ください」といったような注意書きがされています。
 

 世の中には、使い人を陥れるために、ニセの公を騙る行為が存在します。

  

 これまで「公的な領域」の大切さ、についてお話してきましたが、私たちにとっての「公的な領域」にも「ニセの公的領域」というものが存在します。

 

 例えば、クライアント様からのご相談でしばしば「“世間の目”がこわい」というケースに出会います。世間が常に私を見ている、気になって外出できない、といったことです。

 私たちも世間の目というものを感じることはあります。世間の目というものがあたかも事実であるかのように、自分を圧迫し、厳しく評価し、行動をしばるように体感されることがあります。

 

 その世間の目に合わせて自分の行動を抑制したりしなければならない、自分を品行方正に変えなければならない、と思って苦しくなります。
 

 ただ、これは実は「ニセの公的領域」に当たります。

 実際には“世間”なるものは存在しませんが、あたかも存在するかのように思わされ、そこに接続されることで、呪縛されてしまっている状態です。

 

 このニセの“世間の目”とは何からくるかといえば、しばしば親や祖父母など家族の価値観からくるものだったりする。

 親や祖父母がなかば妄想的に世間をとらえていて、家族を「巻き込み」、ニセのリアリティを形成する。

 
 「家族価値」といって家族の中でのローカルな価値観が縛ることもあります。
「~~でなければならない」「~~といった人間はダメだ」といったようなことです。

 
 家族の呪縛はとても強いのですが、一方で、単なるニセモノですから、本当の公的領域とつながってニセモノと気が付けば、容易に離れていってもくれます。

 

 別のケースでは、例えば、私たちが過去について「恥ずかしい」「思い出したくない」といった嫌な記憶を持っていて頭から離れずに困っていることがあります。あまりに強いとトラウマと呼ばれたりもしますが。

 これも実は、「ニセの公的領域」です。

 

 

 記憶の中で、自分の行為を評価するニセの規範が存在していて、自分の行為を縛っている。現実には当時の記憶は他の当事者たちも覚えていないことも多いですが、本人の中ではクリアに反復されている。
 

 

 筆者も経験がありますが、例えば同窓会などで、昔の仲間と再開する。
自分の中でははっきりしているような記憶でも、同じ仲間は全く覚えていないことはとても多く戸惑うことがあります。
 人間の記憶というのはこのように移り変わっていくものなのだ、と実感します。

 自分の中でいつまでも消えないような恥ずかしい記憶も、実は自分の中だけのもので、それはある種の「ニセの公的領域」なのだということを痛感するのです。
 本人には「クリアすぎて、偽物とはどうして思えない」かもしれませんが、ほかの当事者も忘れているようなことがホンモノなわけがありません。

 

 

 さらにいうと、当時いた環境が非常に生きづらかった場合。家庭、学校や会社などが典型ですが、それは、その環境が「機能不全」を起こしていた、ということです。

 本来は、本当の「公的な環境」へと仲介するはずなのですが、その環境のローカルルールをあたかも「公的な環境」であるかのように装って、メンバーの「私的な情動」を解消するために、ほかのメンバーにハラスメントを仕掛けるようになるのです。

 それがいじめなどという形で現れます。

 

 いじめは、私情を常識とすり替えて「ニセの公的領域」を作り出して、そこにメンバーを巻き込みます。それによってハラスメントを正当化する。
 被害者は、大人になっても、当時の「ニセの公的領域」につながったまま、離れることができず、それに適応できない自分を責め続けたり、自分を委縮させるということが起きていたりします。

 これも「ニセの公的領域」です。

 

 

 私たちは、誰もがどこか「ニセの公的領域」とのつながりがあり、苦しみを感じていたりする。
 「つらい過去の記憶」も実は「ニセの公的領域」です。

 なぜなら、つらい過去の中には必ず“世間”があり、“社会”、人の目というものがあるからです。

 

 私たちはクラウド的生き物で、どこかにつながっていないと生きていくことができない存在です。そのため、ニセ物にも接続してしまう。トラウマとは、それが更新されないこと。

 健全な状態であれば、真の「公的な領域」の支えを感じ、ニセモノのおかしさに気づき、学習し、関係が更新されていき、健康さを維持、成熟することができます。

 十分な支えがない時には、「ニセの公的領域」から抜け出すことが難しい。
あたかも映画「マトリクス」の住人のようにそれを本物ととらえ続けてしまう。
 

 カウンセリングのゴール、目的というのは、「ニセの公的な領域」から抜け出して、本当の「公的な領域」とつながっていくためのお手伝いをする、というところにあるのかもしれません。

 

 

 

「私的な領域」は「公的な領域」のエネルギー源

 

 これまで、「公的な領域」の大切さ、というものをお伝えしてきました。

 

  じゃあ、「私的な領域」は重要ではないのか?といえばもちろんそうではありません。「私的な領域」がなければ「公的な領域」もうまく機能しない。

 「私的な領域」とは、一つには「公的な領域」のリソース、エネルギー源となる存在です。

 

 

 たとえて言えば、鉄鉱石とか原油のようなもの。
素の状態では、利用できないし、生で食べるとおなかを壊すようなもの。
 加工して、利用できるようにしないと世の中では有用なものとはならないですが、資源がなければ、製品もできない。

 

 「私的な領域」とは、エゴとか欲とか呼ばれる場合もあります。
 かなりわがままに、「~~がしたい」「~~が欲しい」と思えることは大切。
 それがエネルギーになって、生物としての人間を支えてくれます。

 私たちは「私的な領域」の力が低下すると、調子を崩します。

 

 例えば「(本物の)うつ病」は、「私的な領域」が枯渇したような状態。そのため運動とか、投薬、人生の方向転換を通じて、「私的な領域」を養うことをします。

 「私的な領域」が回復してくると、ふたたび公の世界で活動することができるようになります。

 うつ病からの回復でも指摘されるのは、ずっと「私的な領域」にいても回復はできず、むしろ悪くなるということ。徐々に体を動かしたり、働きに行く訓練をするなど、「公的な領域」へと復帰していくことをしていく必要があるとされます。

(参考)「うつ病を本当に克服にするために知っておくべき16のこと」

 

 「私的な領域」というのはあくまで一時的な避難場所である、ということです。   

 

 生きづらさ、というのは、「私的な領域」のエネルギーを「公的な領域」で発揮するサポートや接続が提供されないような状態のこと。

 家族が機能不全で、自分のことを正しく認めてくれない。

 十分な仕事がない、仕事についても今度は職場が機能不全である。

 社会の中で「位置と役割」がうまく得られない

 などなど
 
 

 よく、「やる気が出ない」「自信がない」という言葉がありますが、
 
 やる気=「私的な領域」×「公的な領域」となっているもの。

 

 やる気とか自信は、個人の内面の問題だけではなくて、家族が提供する「愛着」や会社や学校といった、自分が出会う社会の組織がうまく機能しているかどうか、といったことが絡み合って成立するものです。

 実際に、学力というものも、所得や周囲の環境によって決まってくることがわかっています。

 

 ですから、よほど不健康で「私的な領域」が下がっているのでなければ、やる気がない、というのは、「公的な領域」との接続が十分ではないために起こっているということなのです。

 

 

 

 このように、「私的な領域」と「公的な領域」とは相互的で、それぞれがあるから成り立っているのです。
 ただ、互いに等価か?ととわれれば、あえてそうではないと答えます。

 

 なぜなら、成人した後の人間は、あくまで「公的な領域」から捉えるものだからです。
 

 

 「私的な領域」のことについては「公的な領域」へと整え、変換されないと扱うことができません。

 

 また、以前の記事にも書きましたが、
 自分や相手の「私的な領域」には立ち入らない、というのは大原則。

(参考)→「相手の「私的な領域」には立ち入らない。

 

 立ち入っても、それを健全に扱うことができませんし、逆にやけどしてしまいます。

 
 「私的な領域」も大切だけど、あくまで「公的な領域」のためのエネルギー源として存在している、という理解が必要。
 

 しかも、私たちが原油とか鉄鉱石を手にしてもなにもできないように、素人では扱いにくいものでもある。 

 

 悩みを抱えている方の多くが、「私的な領域」を「公的な領域」と等価かそれ以上のもの、と誤ってとらえてしまって、扱い方に困り、本当の自分を見失い、その資源の生の磁力や熱風にあたって調子を崩してしまっているからです。

  
  
 「私的な領域」のエネルギーは、「公的な領域」を築き、維持することで、初めてパワーとなって発揮することができるのです。

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について