「自分は不法滞在者」という感覚

 

 アメリカでは、永住権は「グリーンカード」と呼ばれています。

取得することで、合法的に居住できる権利が手に入るわけです。

 それがないまま暮らすというのは、十分に権利をえられないまま過ごすことになったり、トランプ政権みたいな、移民に厳しい政権ができると検挙されるかもしれないというリスクにさらされます。

 トラブルに巻き込まれたときも、永住権があれば、堂々と訴えることが出来ますが、不法滞在者であると、それができず泣き寝入りとなったり、後ろめたさの中で問題に対処しないといけなくなります。

 トラウマを負っている人というのは、まさに、この世に永住権がないまま滞在しているという感覚、不法滞在者という感覚があったりします。

 自分がその場に居る資格がないにもかかわらず居る感覚。

 だから、誰かにダメ出しをされたら反論できない、つねに何かを駄目だしされる感覚でビクビクしている。

 
 不法に露天商をやっているような感じですから、腰を据えて仕事や経験も積み上げることが出来ない。指摘されたらさ―っと逃げ出せるようにいつも準備していないといけない。

 

 

 他人の言葉にも敏感に反応しやすい。

 のんびりゆっくりとまどろっこしいことがとても苦手。常に早く早くと急いている感覚がある。

「私は不法に滞在しているのだから、そんなのんびりしていたら誰かに指されるかもしれない。できるだけ、段取り良くパパッとやりたい。
 周りの人も、空気読めよ!」って感覚があったりする。

 だから、家族や友人がのんびりもたもたしていると、イライラしたり、ヒステリックに叱ったりしてしまう。

 どこか、余裕がない。 
 でも、余裕のなさは自分の器の小ささのせいだと思っていたりする。
 それで自分を責めて、自分は不法入国者だという感覚を一層強化して、また自分が追い込まれたりします。

 

 
 愛着不安や、トラウマがあるというのは、グリーンカードがないような状態です。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服」「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、メカニズム

 

 もちろん、それは精神的な思い込まされ、でもありますが、身体的にも刻まれていて、中から湧いてくるかのように、所在のなさ、後ろめたさ、ビビリ、がわいてきます。

 

 不法滞在しているグレーな領域ではヤクザを頼りにしないといけなくなるように、ハラスメントを行う人に従ってしまう。
 ハラスメントを行う人が強く見えて、秩序を維持してくれるように錯覚してしまうのです。

 パブリックルールに守られないと感じるので、ローカルルールを必要としてしまうわけです(人間は社会的な動物ですから)。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 
 なぜ、私たちがハラスメントやローカルルールを受け入れてしまうのか?という原因の一端は、「不法滞在者」という感覚にあるのかもしれません。

 

 
 以前書いたような、ログアウト志向というのは、
 「永住権なんかないほうがいいんだ」
 「無国籍のコスモポリタンとして生きていく方法を教えますよ」というような誘いです。

 無意識に生きる、とか、ワンネス、なんていうのはまさにそのログアウト志向の典型。

(参考)→「ログアウト志向と、ログイン志向と

 

 

 最初は義務(家族からの呪縛)がなくなって自由になれた、と思ってスッキリしますが、実際は、主唱する自己啓発のグルが、さながら仲介業者のように、私たちのパスポートやビザを取り上げてしまいます。
 結果、永住権者としての安心感がえられず、生き辛さの中で放浪してしまうことになるのです。

 

 さらに、永住権を持つと、税金や徴兵など義務も発生するから危ない、やられる、みたいに思わされたりもしている。
 だったら、永住権なんかな方がいい(危ないからログインしたくない)、ずっと旅行者のままでいい、と感じている。
 それでいつまでたっても、不法滞在者の身分から抜け出せなくなってしまう。

 
 本当に大切なことはログインすること。
 私も永住権者だよ、そのように扱ってよ、と堂々と訴えることです。

(参考)→「世界はあなたがログインすることを歓迎している。

 

 そうしてみると、何が自分の足を引っ張る問題なのかが浮かび上がってくるのです。
 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について 

親(家族)の価値観の影響は思いのほか大きく、本人には感知しづらい

 

 臨床心理の領域では、昔から、親(家族)の影響ということは解釈では外せないポイントとされてきました。

 誰でも誰かから生まれてきて養育を受けて育つわけですから当然ともいえます。しかも、その期間はとても長い。
 他の関係で、特定の人とこれほど長く、ということはなかなかありません。

 精神的にも、身体的にも発達するプロセスでの関係ですから重要さはわかります。

 

 なんでも親(家族)の影響、と捉える、ということについては、筆者は「わかるけど、ちょっと胡散臭いな」と眉に唾をつけて捉えていた時期もありましたが、回り回って見れば、「やはり親の影響はでかいな」「それも、想像以上にでかい」というのが現時点での感触です。

 それは、人間がネットワーク側の存在であるということがあります。
 自分というものが、それだけで成立しておらず、外からの影響を内面に“沈殿”させて存在している、ということ。 
 人間は他者を通じて、自分を形成していく存在であるということです。
 

 そのために、成長する過程で一番身近な養育者の影響を受けることは多大で、養育者の世界観そのものまで丸呑みするかのように内面化していくのです。

 養育者の世界観が愛着的で、「常識」を代表したものであれば悪影響は少ないです。さらに、そこに2度の反抗期を通じて相対化されて、「自分」というものが離陸していく。

 これが健全な発達と考えられます。

 

 一方、養育者の世界観が、非愛着的で、それを理屈で偽装した「ローカルルール」である場合は大変な問題をはらみます。
  
 子どももその世界観で世界を体感していくわけで、無用な恐れ、無用な不安、さらにはそれを超えるための過度な努力、理想、警戒を持つようになってしまいます。

 人ともうまく打ち解けられず、生きづらさを抱えてしまう。

 

 

 そうした苦しさをうむ親の価値観の影響ですが、本人にとっては世界観そのものなので、なかなか感知することが難しい。

 見えたと思ったら、薄れ・・
 自覚できたと思ったら、また薄れ・・・ と、わかったようでわからない。

 霧の中の出口みたいに、見えても薄れとなっていきます。

 セッション中に話をしていても、親の影響の話をしていたと思っていたら、あっという間に別の話題にスライドしていったりします。 
 あと、怒りといった感情も親ではなく別のものに向いていったりします。

 

 それは、親の価値観によって動いてきたことが、その人の人生のメリットにもなってきた(なっている)、という点もあるでしょうし、共依存的に癒着している、という点もあるでしょうし、「ローカルルール」というのは、表面のルールはもっともに見えるために、疑いづらい、という点もあります。

 

 「自分には影響はない」と思っている人でも、必ず(思いのほか)ありますから、親の価値観の影響、という観点を常に持っておくと生きづらさの解決の糸口となります。

 

 

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お悩みの原因や解決方法について 

家の価値観を守らされている

 

 あるクライアントさんと話をしているときのことです。

その方は、他人に対してイライラしやすい、という悩みを抱えていました。

 お店の店員さんの態度がダメだ、とか、従業員がマヌケだ、とか、つき合う友達の態度が気に入らない、とか、そういうことでイライラが止まらない、ということでした。

 ただ、イライラしている相手との関係はずっと維持されていました。

 

 

 お話をお伺いしていると、当然の疑問が浮かんできます。

 それは「そんなに嫌なら、気に入らないなら、お付き合いしなければ良いのでは?」ということです。

 

 それを伝えてみると、「う~~ん、関係は切れないんですよね~」 となってしまいました。 

 こうしたことは、トラウマを負っているとよくあります。

 一番顕著な例は、DVなどの関係依存で、ひどい相手を切れない、というものです。

 周りから見たら、「なんであんな人と付き合っているのよ」といわれるんですけど、切れない、というものです。
 
 
 なんかこだわってしまう、無限の情があり、関わりを切れない感じになってしまう。

 そのために、ややこしい人との関係を維持してしまうわけです。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服

 

 このように説明しても間違いではありません。クライアントさんもしっくりと来ています。

 

 

 

 別のセッションの際、同じ話題になった際に、そのクライアントさんがおっしゃっていたことが浮かんできました。

それは、「自分が幼い感じがする。それを人から指摘される感覚がある」ということです。

 もっといえば、大人から見て自分がおかしいと思われる感覚がある、ということです。

 これもトラウマを負っていたらよくある感覚です。なにか自分がおかしい、という感じがある。

 

 自分の中にある原罪感であったり、ニセモノ感があったり、
 根源的におかしいのでは?という疑念を感じるというものです。

 Being(存在) というのはただそのままで完全で、責任や他人の干渉は及ばない領域です。それが不安定に感じてしまうのです。

 そして、Doingの不完全さと混同して、自分のおかしさの証拠としてしまうのです。

 さらに、自己イメージが幼い段階で止まっていて、他者が過大に大きく見えています。

 だから、他者が大人として見えて、自分は子供として見えています。

 

 
 では、なぜ、ややこしい人と付き合ってしまうのか? というと、
実は、普通の人と付き合うと“普通”の人から自分のおかしさを指摘される恐れがあるから、わざわざ自分よりも「下」と感じる人たちとばかり付き合おうとしているのではないか?ということが浮かんできたのです。
 
 
 それをお伝えすると、クライアントさんも、「ズバリ、それはありますね。相手が大人で、自分がどうしても幼さ、未熟さが露呈する感じがするので」とおっしゃるのです。 

 ちゃんとした店員さんだと、自分の未熟さがバレる。
 ちゃんとした人を雇ったら、自分の幼さがバレる。
ちゃんとした友達と付き合ったら、自分のおかしさがバレる。という感覚。

 だから、ちゃんとした人は無意識に避けている、自分よりダメな人だと安心する、ということがあるのかもしれないのです。

 ここで、かなりしっくり来た感じになりました。

(参考)→「自分がおかしい、という暗示で自分の感覚が信じられなくなる。

 

 

 そして、その流れでクライアントさんがふとおっしゃったのが「おかしさというのは育ちと結びついているから、難しいですよね」という言葉です。

 「育ちと結びついている」、つまり、どうもそのおかしさが自分の親や家から来ている感覚があるというのです。

 筆者は、あれ? と引っかかりました。

 

 
 この最後の言葉で、クライアントさんも、カウンセラーも同時にピンときたことがありました。

 それは、自分のおかしさをバレないようにしている、というのは、実は、家のおかしな価値観を守っているのではないか?ということです。

 

 その方の家は、機能不全家庭で、暴言が飛び交ったり、温かい関わりが少ないご家庭でした。
 それも祖父母からの価値観の影響もあって、いびつな状況に置かれていたのです。

 自分の問題をばれないようにしている、と表面的にはなっているのですが、
 その問題は家から来ていますから、実は家のおかしな価値観を守らされている、ということが生じているのかもしれません。

 つまり、自分の問題がバレないようにしているというのは、ファミリー・シークレットを守っている、ということだったのです。

(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。

 

 

 さらに、冒頭の「だったら付き合わなければいいじゃない?」というような人と付き合うということにもこれはつながっています。

 それは、自分よりダメな人(だと感じる人)を批判することで、家の価値観が正統である、ということが暗に成り立つ、ということ。

 ある国や社会で、差別する人たちを作ることで統治の秩序を保とうとするかのような構造があるのと似たことかもしれません。

 

 つまり、そのクライアントさんのイライラは、単に関係依存ということではなく、家族のおかしな価値観を守っている、守らされている、ということから生じていたのです。

 イライラすることは、トラウマからも来ているのですが、イライラして他者に問題を向けることで、根源的な原因が温存されてしまっていました。
 (温存された原因、秘密と自分とが不可分につながっているので、イライラしている相手との関係を切ることができなくもなっていた。)

 

 他者へのイライラ  → 自分のおかしさがバレる不安  → 家族の価値観を守っている という構造  → 構造を守るためにイライラする対象が必要 → ・・・ 

 

 これは、とても意外な結末でした。

 そして、これは私たちが抱える別のテーマについて当てはまる可能性が大いにある、ということも見えてきます。

 皆さんが抱える問題も、実は親とか実家のおかしな価値観を守らされ続けるためにあるのではないか?
 と疑ってみることは問題解決に役に立つかもしれません。

 今回の記事の図式に、ご自身の悩みを無理にでも当てはめてみるのです。

 

 自分の悩み  →  自分のおかしいのでは?という不安 など、 → 家族の価値観を守っている  → 自分の悩み  →・・・   

 

という構造

 

 そうすると、今まで見えてこなかった構造が見えてくるかもしれません。 

(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について 

つねに常識に足場を置く

 

 年末に、M-1グランプリが開催されていました。 
 このブログでも、よく、お笑いのツッコミのようにアウトプットする感覚は参考になるとお伝えしてきました。

(参考)→「アウトプットする習慣をつける

 

 お笑いの中でも、特に漫才は巻き込んでくる相手とそれに対してツッコんで距離感を守る関係をデフォルメしたようなものでわかりやすいです。

 ボケは、ボケのおかしな世界、狂気の世界を作り出して笑いを誘います。

 ツッコミも、汗を書きながら振り回されます。

 しかし、振り回されても、その世界に一緒に呑み込まれたり、巻き込まれることはありません。

 
 常に、常識の側に足を置きながら、突っ込んでいく。

 そこには対等に関与しながらも、相手への暖かさがある。
 

 落語でも、ツッコミみたいな存在がいますが、「何いってんだい、あんた」「朝からボケてしまって、寝言は夢の中だけにしておくれよ」「も~、しようがないね~」というような感じで(有限の)愛想が尽きない範囲で付き合う。常識に足場を置いています。

 愛想が尽きたら、関係は終わりになります。

(参考)→「トラウマの世界観は”無限”、普通の世界観は”有限”」 

 

 

 反対に巻き込まれたり、イネーブリングと言う状態はどういったものか、といえば、相手の世界に足場を置いてしまう。相手の異常さを先回りして忖度して、秘密を飲み込んでしまう、というものです。

(参考)→「忖度とはなにか? 相手の負の世界を飲み込んでしまう。黙ってしまう。」  

 

 

 
 相手の狂気の世界を取り込んで、ズーンと重くなってしまう。

 そして、無限に相手について行ってしまう。

 口が重くなって、思考も暗くなってしまう。

 もし、漫才においてそんな事になってしまったら、漫才になりません。

 

 もっといえば、漫才は応答し合う、「対話(ダイアローグ)」です。
 それぞれが応答し合いながら高めあって、クライマックス(オチ)に持っていきます。

 

 
 一方、トラウマの世界、ローカルルールの世界は、「独話(モノローグ)」です。
 仮に、複数人がいたとしても、ある人物のトラウマ、ローカルルールに支配されて、その他の人物もそれを飲み込んでしまって、単一の言葉、モノローグになってしまう。

 自分本来の言葉が失われて、そこには闇以外に何も無くなってしまう。

 

 トラウマがあると、自分がよって立つ足場に自信がない。自分こそおかしいのではないか?と疑う必要のないことを疑ってしまう。そんなことは必要がありません。

(参考)→「足場もないのにすべてを疑おうとする~「自分を疑う」はローカルルール

 

 

 

 常識の世界というのは、多元的多様である、常に複数の声(ポリフォニー)で成り立っているのが特徴です。

 そのため、いろいろな人や考え、感情を包摂する力があります。

 私たちは、つねにそこに足場を置く必要があります。

 

 ユーモアというのはセラピーにおいても大切だとされ、本来の自分に戻るきっかけになるものですが、バラエティを見ながら、常識に足場を置いているか?相手の世界を飲み込んでいないか?と上記のような要素を自分に当てはめてみると、自分の状況のおかしさに気づくきっかけになるかもしれません。

 

 

 

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