上手に退却(引きこもったり)し、上手に社会とつながる


 筆者が会社員をしているときに、大きな案件(プロジェクト)が途切れて、1,2週間暇な空白の期間ができることがありました。

 やることもなく、メールチェック(といってもメールもそんなに飛んでこない)したり、ぶらぶらしていると、罪悪感がわいてきたり、なんか自分がもういらない、価値がない人間になったような気になります。

 先輩に相談すると、「そういう時期もあるから今は休んだら?」といわれますが、もっと頑張らないといけないような気がします。

 客観的に見れば、ちょっと暇ができただけで自分がいらない人間だなんてそんな大げさな、と思うかもしれませんが、どうやら会社員で同じように感じる方は少なくないみたいで、知人と話をしていると、プロジェクトの隙間で同様の精神状態に陥ったことがある、と語る方がいました。仕事が暇になると自分がいらない人間だと思う、というのは会社員にとってはあるある、といえるのかもしれません。
 

 別のケースでよくあるのは就職活動の際に、何社か面接で断られただけで、結構落ち込んでしまって、寂しさがわいてきたり、自分が社会から否定されている気になったりすることです。

 これも、就活とはそういうものだから寂しくならず淡々と受けたらいいじゃん、ということなんですけど、本人はそうは思えなかったりします。

  
 このように、私たち人間は、他者からの承認を得る機会が途切れると、簡単に不安や寂しさを感じてしまいます。

 

 承認がないと自分は成り立たない、ということから、
 例えば、結婚していてパートナーとの関係がうまくいっていない状況は想像以上のダメージになります。
 あるいは、ずっと主婦で頑張っているけど、その働きが当たり前として認めてもらえない、ということもかなりつらいこと。本来であれば承認を与え合うパートナーから認められない。離婚しない限りは何十年もずーっとその関係が続く。
 
 結果、まさに彷徨するように承認を求めてPTA活動、ボランティア、セミナーといったものにのめりこんだりということが起きます。不倫など別の異性に承認を求めるということも起きます。

 特に主婦の方が抱える悩みは子育ての苦労や、現代の日本では主婦や女性の地位も低いこともあってよりつらいものがあります。男性のように仕事に精を出していればとりあえずは忘れられるという逃げ場もありません。

 勤めに出たくても経験もなく、条件が悪くて出られない。
 友達付き合いが苦手であれば、承認のネットワークはさらに狭くなり、悩みは深くなります。
 追い打ちをかけるのは実家との関係で、親に会うと余計なことを言われてイライラする。

 にっちもさっちもいきません。

 こうしたケースについて、その方の「認知」「信念」をポジティブに変えればうまくいく、だなんていうのは見当違いになります。その当人の心の問題、とかそうしたことにとどまらないことが分かります。
(前回の記事にも書きましたが、ネットにつながらないスマホが壊れていると勘違いして修理しようとするような)

 前回の記事にも書きましたが、おそらく「社会の承認」とは、多元的なネットワークとつながるということです。特定のものに呪縛されずに力を発揮することができます。一方、社会から切り離されると、頼るところが極端に少なくなり、親など近親者のネットワークのみとなって支配される、ということなのだと思います。だから、関与が薄くなると「自分がいらない人間だ」なんて感じさせられてしまうのです。

 

 専業主婦などは社会との関わりがどうしても限られてしまいますから、常に工夫がいるようです。
 

 

 先日、NHKスペシャルで「ミッシングワーカー」という特集がありました。家族の介護などをきっかけに、仕事から遠ざかり、年をとり自身も生活困窮者から抜け出せなくなってくる実態が報告されていました。

 その問題も、当人たちの問題にとどまらず、グローバル化や新自由主義の波や、非正規労働の問題、急速に進む超高齢化社会など環境の問題がまずあり、その流れのひずみに弱者が落ち込む状況があります。
  

 解決の事例で興味深かったのは、ある男性のケース。自身の体調悪化から30代で退職して、その後家族の介護で労働から離れ、孤独となり、困窮する中で家がゴミ屋敷となっていました。
 解決のために、公的支援も介入しましたが、その際にポイントは、選任職員だけではなく、地域の人ができるだけ多く参加して声をかける、ということだったそうです。

 その結果、ゴミ屋敷はきれいになり、就職できるまでに回復していったそうです。 

 社会からの承認、関与の大切さを示しているように思います。

 
 別の事例で周囲からの関与が少ないケースでは、本人も「働く自信が持てない」など、苦しんでいらっしゃいました。(もちろん自信だけではなく、雇用条件、スキルだとかいろんな問題が絡みますが)

 実は、個人の問題と考えられがちな「自信」も、関わる多くの人のネットワークから与えられるものだ、ということです。
 ネットワークが切れてしまうと、私たちは容易に自信を喪失してしまい、自分一人では回復することができません。

 「いや、私は自助努力で何とかしてきた」という人は、自分を取り巻く社会的なネットワークの働きに気づいていないだけ。
 呪縛となるから周囲との関係はすべて立ち孤高の存在で生きていく、ということはどうも難しいようで、クラウド的な存在である私たち人間は、関わりがないと十分に生きていくことはできません。
 

 

 例えば、現時点で、勤めに出ているケースでも、よほどモラハラ環境であったり、さらに自分に合うより良い環境を求めて退職、転職を考えることは良いのですが、ただ、働くのがおっくう、といった程度であれば、働き続けたほうが良いように思います。
 それは、社会の関与、接点が失われるダメージも大きいからです。

 

 冒頭で挙げた例のように、仕事が暇になるだけで、面接に落ちただけで、自分は価値がないのでは、などと思うのが人間です。関与の喪失は想像以上のダメージ。仕事をやめると一瞬、解放感が得られますが、すぐさま、社会の承認がないことが津波のように襲って来ることになります。
 うつ病でも、休みすぎないほうが良いとされます。身体が回復したら、少しずつでいいので仕事に復帰していくほうがよい。統合失調症でも、社会で役割があったほうが回復は早い。

 

 家というのは、「安全基地」であり、ダメージを回復させる一時の退却先です。
 (一方で、家族からの呪縛も入りやすいデメリットもある場所ですし、ずっと退却していることのマイナスも知っておかなければなりません。)

 最近は、人生100年時代と言われています。紆余曲折は誰でも必ずあります。上手に退却(引きこもったり)し、上手に関与する。退却しているときは、傷をいやし、力をつけ、ひそかに次を企む。

 

 クラウド的な存在である人間の特性からすると、傷をいやし回復したら、ブランクを置きすぎずに早めに社会への関与をつなげなおす必要があるようです。その際は、常に接続先は緩やかなものを複数確保する。すると多元性が担保され、特定のものに呪縛されにくくなります。

 

 

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