相手の「私的な領域」には立ち入らない。

 

 皆様もご経験がおありと思いますが、
目の前の相手が急に機嫌が悪くなった時に、単に相手が機嫌が悪い、というだけではなく、何かそこに闇が発生したような感覚になって、そこに自分も吸い込まれるようになるような感覚を受けることがあります。

 

 例えば、家族の機嫌が悪くなった、というときに、そこが深い闇のようで、そこに引っ張られるような感覚。

 自分も同じようにいらいらしてきたりして、喧嘩になったり。あるいは、自分が罪深いような感じがして、申し訳ない気持ちになったり。相手の悩みを延々と聞いてしまったり。
 

 会社の上司や、お客さんで気難しい方がいた場合にも、その方が生み出すネガティブな雰囲気によってこちらも汚染、呪縛されてしまいそうな気がしたりすることがあります。

 

 これらは、自分の中の「私的な領域」を適切に昇華して「公的な環境」を構築できていないために起こる現象です。

 

 しかも、ただえさえ、人間というのは発作を起こしてやすく、すぐに解離してしまう生き物。

特に公私があいまいな、私的な空間にいると、容易におかしくなってしまう。
(参考)→「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 

 公的な人づきあいの場所で「私的な領域」が漏洩してしまった人にトラウマを負っている人が反応して、おろおろしてしまう、という構図はしばしば起こります。

 本来、人間は、私的な存在である状態から、公的な存在へと適応、成熟していく生き物です。
  

 この世に生まれてきて“私的な状態”の人間に「愛着」という土台・安全基地を作り、そこから公的な表現ができるようにする、これが子育て、教育というものです。
 「愛着」があることで、私たちは「公的な領域」を安定して築くことができます。

 

 愛着が不安定である、というのは、自己の内外で公的な環境を維持することができない、ということ。

 

 

 例えば、パーソナリティ障害というのは、年相応の人であればしないであろう状況で、感情を爆発したり、児戯のような行動をしてしまう。

(参考)→「パーソナリティ障害の特徴とチェック、治療と接し方の7つのポイント

 安心安全の土台がないために、「公的な環境」をキープできない。

 

 

 逆に言えば、どんなに不安定な人でも、温かな「公的環境」にいれば、感情的になることはない。

 自分を理解してくれる人とともにいる、というような場合はとても落ち着き、冷静でいられます。

 これは、その方とのプライベートな空間にいて安心できる、のではなく、安定した人がそばにいることで、その方から醸し出される常識や社会通念といったものを感じ取って、それが「公的な環境」を作り出してくれるから安心できるのです。

 

 

 例えば、学校でいじめられている子でも、保健室に入った時にとても落ち着くことがある。
 これは、保健室という環境だけではなく、そこから感じられる落ち着いた「社会の香り」によって、教室での歪んだ(絶対と思わされていた)ローカルルールが相対化されるから。

 

 別の例では、ギスギスした会社に勤めている方が高いストレスにまいっていると、たまたま街中で出会った方ののんびりした雰囲気に触れて何やら癒されることがある。
これも、その方個人の魅力だけではなく、その方が持つ「多元性」「常識(の雰囲気)」によって、偏った会社の(私的な)文化が是正されるから。

 

 「公的な領域」に触れると、人は癒される。

 

 逆に、特定の人の「私的な領域」に依拠してしまうことを「依存」あるいは、「支配」といいます。

 逆に、そうしたメカニズムがわからずに、人間関係において「私的な領域」(例えば、馴れ馴れしい関係)を作り出してしまうと、人は問題行動を起こすようになってしまいます。

 

 パーソナリティ障害とまではいかなくても、日常で接している人が、嫉妬とか、情緒のブレによって、おかしくなってしまうこともあります。

 

 そうしたとき、これに対してどのように対処するか、といえば、

 「取り合わない」ということ。

 相手の「私的な領域」には深追いしていかない。

 取り合わない、深追いしない、というのはどういうことかといえば、なぜ、相手がおかしくなったのかは考えない。相手の内面を想像したりしない。

 

 「公的な場で表現される言動がすべて」だとして、それ以上は取り合わない。

 

 せいぜい、「今日は体調がお悪いようですね」という程度にとどめる。

 

 こちらに対して理不尽な行動をしてきたら、

 おちついて(「公的な環境」を維持しながら)、

 「どうされましたか?」
 「今の振る舞いは失礼に感じますが、いかがですか?」 

 というと、相手が我に返ることもあります。

 あっさりしすぎているように感じるかもしれませんが、その程度が標準。

 

 トラウマを負った人は、ついつい相手の「私的な領域」にお付き合いしてしまう。

 なぜなら、もともと親が理不尽だったりすることが多いため。

急に怒り出す父親、不安定な母親。

 そうした機能不全な人たちについて、

 「なぜ怒ったんだろう?」
 「どうして、機嫌が悪くなったのか?」

 などと考えさせられてきたために、「私的な領域」に立ち入ることが習慣になっているのです。

 (参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 親からは、「(機嫌が悪くなったのは)お前のせいだ」「私たちの気持ちを察しろ」といわれるものだから、
それが当たり前になってしまっている。

 本当はそれらは全くのデタラメであり、真に受けてはいけない。

(参考)→「因縁は、あるのではなく、つけられるもの

 

 自分は常に、「公的な環境」に身を置く。

 相手の気持ち(私的な領域)のことは考えない。
 公の振る舞いに現れたことについてだけ対応する。

 相手が何かおかしなふるまいをしたら構わない。

 光が当たる道を進み、闇には深くかかわらない。

 こうしたことを心がけていると、自他の区別がつき、自然と距離が取れ、自分の中でも安心、安全が育ってきます。
公的な領域を築き、維持することができるようになります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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