人の発言は”客観的な事実”ではない。


 

 本記事のタイトル「人の発言は”客観的な事実”ではない」ということは、おそらく、安定型愛着の人たちからすると、「何言っているの?当り前じゃないそんなこと」という風に感じるかもしれません。

 

 しかし、トラウマを負っている人は、過剰な客観性があり、物理的に目の前のことだけではなく、人の言葉も客観的な情報として真に受けてしまうことがあります。

(参考)→「過剰な客観性

 

 人が言ってくることが客観的であるからそれを承って、自分を反省し、改善しなければいけない。そうしなければ(自分が軽蔑する大人みたいに)自分はダメになってしまう、と考えてしまいます。

 

 本来、人というのは客観的とは程遠い。
 主観的であり、予断、偏見、誤解、自己防衛、とても不安定です。自分への自信についても、ちょっとしたことで揺らいでしまう。嫉妬がわいてくることもしばしば。

 

 

 トラウマを負った人は妙に高潔なので、自分が嫉妬を感じてもそれを見ないようにするために、人が嫉妬を感じる、悪意を持つということがイマイチわからない。

 

 そのために一層、自分に悪意や嫉妬を向けられた際には傷つくのです。
 「めったにないような悪意を向けられるほど、自分はおかしな存在なのだ。知らず知らずの間に相手を傷つけていたのだ」と真に受けてしまいます。

 

 

 実際は、こちらの事情とは全く関係なく、ただ、相手が自分の存在を恐れて、嫉妬を感じたり、自分が負けないように、攻撃を仕掛けてきたりしていただけで、それは日常茶飯事に起こることです。

 
 特に人は自分が立場的に負けそうになると、それを挽回するために、相手の一番目につくところを探し出して、因縁をつけてきます。そして、勝ちを得て、自分の自尊心を保とうとするものです。

 

 

 ケチをつけようとすればいくらでもケチはつきます。
 
 例えば、
   学歴がなければ、「学歴がないくせに」
   学歴があれば、「頭でっかちで、勉強以外はダメ」「たたき上げの気持ちがわからない」
  
   と、どちらにしてもケチのつけようはある。
   職業についても、どんな職業にも必ず「蔑称」がある。人の特徴についても、必ずケチをつける言葉がある。
 

   

 結局、(自分を守るために)因縁をつけたい、という心性がなせる業です。

 
 また、人間には頻繁に解離を起こしている、という厄介さもあります。だから、ふいに傷つく言葉や気になる言葉を発したりすることがある。

 

 

 師匠とか、上司、親といった立場の人が言った言葉がずっと引っかかってその人を支配する、ということがあります。

 

 名人と呼ばれるある落語家は、ふと師匠から「お前、おもしろくねえね」といわれたことをずっと引きずっている。

 それで努力して名人になれた、という美談としてなのですが、言葉の支配でもあります。単に、師匠の虫の居所が悪いだけかもしれない。嫉妬ゆえかもしれない。解離していたのかもしれない。

 「そんな大師匠が、下っ端に嫉妬するはずがないじゃない」と思うかもしれませんが、いやいや、人間は簡単に嫉妬するのです。

 親でも子を疎ましく思ったり、幸せを嫉妬して邪魔するくらいなのですから。

 

 

 有名なのは漫画家・手塚治虫です。
 手塚治虫は実はものすごく嫉妬深くコンプレックスがあって、嫉妬のためから、同輩や後輩に対して低い評価を下したりして、生前、数々トラブルを起こしています。

 

 当時、ショックを受けて深く傷ついたり、今でも根に持っている人もいるくらいです。

 「まさか、漫画の神様が・・・」

 そう!嫉妬するのです。人間だもの。 

 漫画の神様が言うことだから客観的に承って、指摘を真に受けて自分の絵を変えなければ、なんてしていたらおかしくなっていたでしょう。

 (もちろん、手塚治虫の作品は素晴らしいですし、天才であることは間違いありません。藤子不二雄など多くの後進も育てましたが、こうした面もあったようです。)

 

 

 別の例では、経営の神様である松下幸之助についても、数々の伝説がありますが、実はこれもカリスマを利用しようという取り巻きやマスコミが作り上げた部分があります。

 

例えば

「血族の王: 松下幸之助とナショナルの世紀」という本の中では、幸之助の勘違いや社内の人事抗争の事情から低い評価を下されて不幸にもクビにされた社員の話や、世代交代に対抗して怒って演説する姿、などが取り上げられています。

 

岩瀬 達哉 「血族の王: 松下幸之助とナショナルの世紀」

 

 

 

 

 

 

 

 日本経済史に残る稀代の経営者ですが、単なる人間にすぎない。その言葉は、あくまで主観的意見でしかない。

 

 漫画や経営の神様といった人の言葉でもそうなのですから、親や上司、友人などはしかりです。

 親の言葉などは本当にいい加減。でも、あたかも神か預言者を気取ったような言葉で子を縛る。それで子は何十年も苦しめられてしまう。

 学校や大学の先生もおかしなことをしてくる。会社の上司もおかしなことをしてくる。

(もちろん、素晴らしい人もいらっしゃいますから、そうした出会いがあれば、本当に幸運なことで大切にしたいですけれども)

 私達にはカリスマ願望みたいなものもありますから、それを利用して、カリスマを気取ってカリスマ業で商売する人もいます。

 

 

 私たちも日常では、自分で思う以上に相手からはよく見えていたり、うらやましく見えていることがあります。
それで、嫉妬が飛んできたり、相手が関係で負けじと攻撃してくることはしばしば、そのことをまさか客観的な情報だなんて承るなんてナンセンス。
 (参考)→「私たちは相手から見ると、思っている以上によく見えている。

 

 

 上司や偉い先生の言葉であっても、真に受けずペンディングをする。

 もちろん、実際の現場では、仕事の指示をいちいちペンディングしていたらクビになってしまいますから、「OK,ボス!」といって淡々と実行していけばいいのですが。

 

 周囲からの評価や言葉はかなりのバイアスがかかっています。
 
 
 人の言葉は、すべて主観的なものでしかない。
 特に、理不尽は理不尽でしかない、としてササッとキャンセルしていく必要があります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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