家では「安心安全」は得られない。~家も機能が限定された場所の一つである。

 

 安心安全というときに、問題になるのは「家」の役割(機能)をどのようにとらえるのか?ということです。

 

 人間にとって、万能の安住の地というものはなく、それぞれの場所というのは限定された機能しかありません。

 

 例えば、カフェで、フルコースの料理を頼んでも出てきませんし、宿泊したくても泊まらせてもくれません。
 ある時間以上いると、だんだんと疲れたり、倦怠感を感じてきます。カフェで何日もずっといないといけなくなったら健康を害してしまうでしょう。

 職場は働くところです。ある時間までに向かい、時間内に仕事を終えて、退社します。

 美容院は髪を整えるところです。髪を整え終わったらお金を払って後にします。
 
 休日にショッピングモールやデパートに行きますが、やはり、長くいすぎると疲れてしまいます。ソファでぐったりしているお父さんたちがいたりします。 
 
 
 このように、人間にとっての「場所」とはそれぞれに限定的な機能しかなく、想定された役割や時間以上に居ることはできません。
さまざまな場所を循環するように次々と移り変わりながらトータルで「機能」が満たされるようになっています。

 

 

 「家」も同様で、一見、多機能に見えるために誤解されがちですが、限定的な機能しかありません。
(かつては、「家」は生産の場でもあり、「しごと」にあふれていましたが、今は「消費」中心でさらに限定的です。)

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 家は 社会とのかかわりの中で「家」にいる人たちが役割を果たして初めて機能するもので、社会から切り離されたり、役割が果たされていないと循環が絶たれると「機能不全な場」となってしまいます。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 よりはっきり言えば、家が「永続的な安心安全が得られる場所」というのは幻想です。

 

 特に、養育環境に問題があったケースや、家庭が機能不全に陥っているために心身の不調が生じている場合に、家にいてもそこでは「安心安全」は得られません。
 

 以前の記事にも書きましたが、あるクライアントさんが、活動量計で測ってみたところ、家にいるときのほうが緊張していて、外にいるときのほうがリラックスしていることがわかりました。

 ほかのクライアントさんでも、明らかに家にいるときのほうが緊張しているという方は少なくありません。
 ※家は「私的領域」という面が強く、家にいることで、機能不全な家族とつながってしまったり、解離してしまったりということが生じ、調子を崩してしまうようです。

 「家が落ち着く先である」というのは、やはり錯覚のようです。

 

 

 前回の記事でも見たように、睡眠、食事、運動も大切です。家はそうしたことを満たす場ですが、社会から切り離された状態でずっと「家」にいることで反対に生活習慣が乱れてしまい、身体的にも「安心安全」が失われてしまうことがあります。

 (参考)→「「安心安全」は、身体の安定から始まる

 睡眠がうまく取れない。昼夜逆転してしまう。
 一人暮らしであれば、栄養のある食事を摂ることができない。
 長く家にいることで、近所の目が気になり、外出もできなくなり、運動も取れなくなる。 
 睡眠、食事、運動が乱れれば、足場がなくなり、本人がいくら回復したいと意を決しても叶わなくなってしまいます。

 

 たしかに、病気などで「自宅療養」というものは存在しますが、自宅療養として機能させるためにはかなりのコストと手間、他者からの支援が必要になります。
 さらに、ただ「家」というハコモノがあればよいわけではなく、快適な環境として機能するためには構成メンバーの不断の努力が必要で、気を抜くとすぐに機能不全環境に陥ってしまいます。
 (現代で介護が大変なのも、こうした点にあるのかもしれません)

 

 
 このようなことから考えると、
 心身が不調にあるときでも「家」は安住の地ではなく、あくまで一時避難先としての機能しかありません。
 「家」という場所は、社会から離れて長期に居るようにはできていないのです。

 

 人間とはスマホのようなクラウド的存在、長くただ「家」にいるだけだと更新されないままになり、機能低下していってしまうのです。
 (「家」そのものも、あくまで社会の中の数ある場所の一つで、システムとして連携されることで機能を発揮します。)
 

 家で仕事をしている、勉強をしている、といった場合は別ですが、基本的には、ある程度回復したら早めに社会活動を再開しなければなりません。

 

 「安心安全」の確保に家を活用するためには、まず、本来家の持つ役割が限定的であることを知ることです。そのうえで、社会とのつながりを切らさないように意識することがとても大切です。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「安心安全」は、身体の安定から始まる

 

 「安心安全」がないと回復もおぼつかない。
社会という山を登っていこうにも、足場がないために、うまく上に上がれなかったり、実力があっても悔しい思いをすることもしばしばです。

 では、その足場をどのように確保すればいいのか?

 
 現代は、心理学やセラピーが大衆化したために、なんでもかんでも「心の問題」と考える傾向があります。

これは大きな間違いです。

 経験のあるカウンセラーや医師に尋ねれば、「悩みの原因のうち、心理が占める割合は1割もない」と答えます。
(筆者の経験からも、心理が原因であることはほとんどない、と感じます。トラウマとは環境の問題や身体の失調のことを指します。
 心理とは、環境や身体の失調の果てに歪む、こじれるものであったり、という感覚です。)

 

 ほとんどが環境であり、生体的なものに問題があります。
 (トラウマとは、環境からのストレスが生体にダメージを与えることをいいます。) 

 

 足場(安心安全)を確保する、悩みを解決する、というのは心理的な問題に取り組む、というよりもまず、身体からスタートする必要があります。

 

 

 身体からスタートとはなにか? それは睡眠、食事、運動の3点を整えるということです。

 

 身近にお子さんがいらっしゃるとわかりますが、子どもは眠くなると泣き出したり、怒り出したり、わけがわからなくなったりします。

 単に眠いからなのですが、理性的ではなくなってしまいます。

 実はこれは大人も同じことで、表面的には子どもよりも成長して安定しているように見えますが、睡眠不足が及ぼす強い影響力には変わりがありません。

 睡眠不足は人間を確実におかしくしてしまいます。

 

 皆さんが悩みが生じている要因の一つは、睡眠不足、あるいは就寝時間が遅い、ということがあります。

 パーソナリティ障害や発達障害といった難しいケースでは、必ずといってよいほど睡眠がよく取れていないことがあります。

 

 
 かつての警察の取り調べとか、セミナーのマインドコントロールといったことでも、きまって、睡眠時間を短くするということが行われます。いかに人間が睡眠時間が取れないとおかしくなってしまうか、ストレスに抵抗できなくなってしまうか、ということを示しています。

 

 徹夜しても大丈夫、少々睡眠不足でも影響がないと思っているのは、錯覚です。

 人間というのは、不安定な水の上に浮かぶ小舟のようなもので、規則だたしく睡眠や食事、運動を繰り返して代謝を行わないと、すぐにバランスを崩してしまう生き物なのです。

 体力に個人差はあっても、この原則は変わりません。

 

 もし、「夜中1,2時まで起きていて、睡眠時間は4時間程度」という方がいれば、どんなに薬を飲んでも、セラピーを受けていても、効果は限られてしまいます。

 

 睡眠時間はそのままで「私はなかなか良くならない」と言っている人は少なくありません。
 
 
 実際、生活指導を徹底している病院では、睡眠などの生活習慣が整わなければ、薬も出さない、という方針がとられていたりするそうです。
 

 

 
 近年、精神医療の領域でも、栄養の大切さが注目されるようになってきました。

 一般的な食事だけでは、脳を健康の働かせるのに必要な栄養が不足しがちです。コーヒーやパン、白米や麺類などではとても栄養が足りません。多くの日本人は高カロリーの栄養失調状態といえます。
 (「現代型栄養失調」という言葉も登場しています。全体的に必要な栄養が不足していることが指摘されています。) 

 

 悩みから回復するためには、もっともっとビタミンやタンパク質を取らなければなりませんし、鉄分などのミネラルも不足しています。

 

 例えば、よく肌荒れや口内炎ができるといった方は、確実に栄養が不足しています。
 口内炎というのは一つにはビタミン不足で起きますが、肌や口の粘膜でさえビタミン不足を訴えているということは、脳は確実に栄養不足であるということになります。

 

 そうした状態では、不安やイライラが生じて当然です。栄養が足りないと脳の中の生命を維持する領域(爬虫類脳)が危機を感じますから、そこから発せられるメッセージを受け取って解離してしまって、パーソナリティ障害のような理性を失うような状態になってしまうのです。

 栄養は足りていないままにしておいて(睡眠時間も少ないまま)、抗うつ剤、抗不安剤を飲み、セラピーをあちこちと受けて「なかなか治らないんです」というのは大きな矛盾です。

 

 

 昔、漫画「じゃりン子チエ」で、チエちゃんがおばあちゃんに相談しているシーンがありました(たしか屋台だったと思います)。
 その時、おばあちゃんがチエちゃんに「悩むときはまず、おなか一杯にご飯を食べなさい。おなかが減っているときは人間は悪いことしか考えない。まずはおなかを満たしてからにしなさい」
 といったようなことを諭していたのが印象に残っています。

 

 

 悩みを抱えているときは、脳や体を栄養でジャブジャブに満たすくらいに、栄養を取らなければいけません。
 具体的には、食事だけではなくサプリメントで補うなどして、栄養をしっかりと補うことが必須です。

 参考:「マンガでわかる ココロの不調回復 食べてうつぬけ」「うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった」など

 

 

 

 運動も身体の「安心安全」を回復するためには、大切な要素となります。
 ある研究では、週3回20分程度ウォーキングするだけで、うつと診断された人の9割が治るとされています。薬では2割しか治ら治らないのに対して、運動では9割という好成績。それくらい運動には効果があります。

 おそらく有酸素運動を通じて、ストレスでダメージを負った心身の機能(自律神経系、免疫系、内分泌系など)が回復すると考えられます。

 

 薬はあくまで脳内伝達物質にピンポイントに働きかけるだけですが、有酸素運動(そして、睡眠、食事)は身体全体に働きかけて、自然治癒力を助けて調子を健康な状態に戻してくれます。

 参考:「脳を鍛えるには運動しかない」など

 

 

 なかなか良くならない悩みを抱えている方の多くに共通するのは、生活習慣の乱れです。

 ついつい心理的なことや家族関係といったことに目が行ってしまいますが、実際の症状は身体から生じており、その原因は、睡眠、食事、運動の不足にあることが多いです。

 
 精神の失調を患っている方は、サバイバルモードになっているために、あるいは養育環境が過酷だったために、生活習慣が乱れた(自分を大事にしない)状態を普通としてしまっている傾向が多いです。
 
 過酷な状況になじみがあり、そこで頑張ろうとしてしまう。
 
   
 回復する足場(安心安全)を作るためには、心理的な問題とか家族との和解、といった難しいテーマに取り組むよりも前に、まずは睡眠、食事、運動を整える必要があります。足場がなければ戦えません。
 

 

 生活習慣が乱れていると脳は「危険」と感じて、それが心の不安となって現れるようになります。

 悩みの解決に取り組むのであれば、何よりも「睡眠」「食事」「運動」を整えることから始める。

 身体レベル(内的環境)から「安心安全」を確立する、それだけでも私たちが抱える悩みの多くは解決するようになります。
 

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

自信はどこからやってくる?~「安心安全」は、自信ともつながっている。

 

 自信がない、というのは多くの人が感じる悩みの一つです。

 これまでの認知行動療法などや、自己啓発でも、自信は個人の考え方などに起因するとしてきました。そのため考え方や行動を変えることで自信が得られるとしてきました。

 ただ、実際に取り組んでみると(もちろん全く効果がないということはありませんが)なかなかうまくはいきません。

 自信のなさは、個人の頭(心)の中に原因があるという仮説は、実はそうではないことがわかります。
 
 

 

 もう一つ、自信がないのは実績が無いからだ、実績があれば自信が持てる、という考えも俗な観念としてあります。

 例えば、容姿とか学歴とか、収入とかが良ければ自信ができる、悪ければ自信がなくなる、という考え方。

 たしかにある部分はそうです。
 例えば、野球選手が練習の結果、活躍できれば、自信になるといったことはあります。

 

 しかし、実績が十分にあったとしても、自信がない人は世の中にはたくさんいます。

 どういうわけか自信がありません。

 他者から「これだけ実績があるのだから自信を持ったら」と言われても、全然ピンとこない。

 筆者も、どういうわけだか自信がないということがあって、いくら実績を積んでも、セラピーをしてみても、どうしても自信が高まらずに苦しんだ、ということがありました。
 

 いろいろと経験し、調べてみてわかってきたことは、実績というのは、すでにある自信を強化する要素の一つでしかなく、自信そのものではないということです。実績は基礎的な自信があってその上に積み上がっていくものです。

 

 

 

 では、本来の自信というのは 何によって決まるのでしょうか?

 まず、結論から言えば、それは「他者からの承認の量」で決まります。

 一番わかりやすいの例は、親からの承認です。
 いわゆる「愛着」です。

 親自体が「安全基地」として機能して、支えてくれることは、社会生活を送るうえで様々な領域で高い汎用性を持つことが明らかになっています。
 まさに、パソコン、スマホにおけるOS(オペレーティングシステム)のような役割を果たしてくれます。

 「愛着」は存在(Being)レベルで体感的に承認をしてくれますから、根拠のない自信というものをもたらしてくれます。

(参考)→「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 

 

 反対に、親が不安定であったり、不和で喧嘩が絶えない、暴言が止まらないといった機能不全環境に生きてこられた方は、必然的に自信がなくなってしまいます。
 (暴言は、自信に向けられたものだけではなく他者に向けられているものも含まれます。)
(参考)→「「汚言」の巣窟」 

 

 

 機能不全家族では、親や家族といった身近な人から味方をしてもらえないといったこともしばしば生じます。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 親が偽りの公を騙り、喧嘩両成敗的な言い訳で、対外的にトラブルにあったときに、いつも「あなたにも悪いところがある」といった対応をする。

 夫婦が不和や家族への嫉妬から、そのストレスのはけ口に「あなたはだめなところがお父さん(お母さん)にそっくり」といった言い方をされる。
 単に自分の不満を子どもをダシに解消しているだけ。

 あと、兄弟間でえきひいきがあり、公正さや正義が行われていない。

 などなど

 こうしたローカルルールが支配する環境で長く巻き込まれていると、自信はボロボロになります。まさに戦争や災害の被害に巻き込まれたかの如くトラウマを負ってしまうのです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 

 一見自信がありそうでしっかりしていそうな人でも、”自分”という中身は空っぽ、ということも少なくありません。
 
 自信があるように見えても、躁的に自分を盛り上げたり、
 他者からよく見えることや称賛を得ることばかりに意識が行っていたり、
 あるいは他者を見下すような感覚であったり、
 世の中に反発するような感覚であったりすることもあります。
 
 いずれにしても、どこか地に足がついていない、本当の自信とは違う感覚なのです。

 

 

 

  
 トラウマを負った人にとっての悲劇は、自信を取り戻そうとする過程でも起きます。
 

 自信とは他者からの承認、ということですが、承認を得ようと努めてみても、なかなかうまくいきません。

 集めようと努力するのですが、なぜかうまく承認は得られない。承認らしいものがあったとしても受け取れない。
 

 
 自信とは心の問題だ、という言葉を信じて気持ちを盛り上げようとしますが続かない。反対に躁的な感じになり、傲慢やプライドが高いと取られて、反対に傷ついたり、自分を責めるようになってしまう。

 

 今度は、自信≒実績なのだとして頑張ろうとしますが、瞬間的に評価を得られますが、長くは続かない。
 トラウマを負った人は、それまでのなかで否定されてきたので、少しの成果は実績とは受け取れません。
 そのため実績が積みあがらない感覚に襲われる。
 誰からもケチのつけようもない圧倒的な実績を求めるのですが、そのためにはどのように努力していいのかがわからなくなってくる。

 

 

 また、継続的な成果を上げるためにはチームプレーが必要です。
 さらに、表面的には成果が上がらない「待つ」時間もとても大切。

 しかし、トラウマを負っていると、「安心安全」(足場)がないために、それがうまくできません。他者との関係が築くことができなかったり、成果を「待つ」時間が「成果が得られていない」と感じて怖くなったりして、余計な動きをしてしまい、待てば得られるはずのものを台無しにしてしまったりします。

 

 そうして努力が続かなくなり失速していく、ということが起こります。
 トラウマを負っている人の中には、会社などでも最初は評価されるんだけど、結局ダメになってしまう、という方は多い。

(参考)→「あなたの仕事がうまくいかない原因は、トラウマのせいかも?

 

 

 これは、「安心安全」(足場)がないために生じる現象です。
 

 前回の記事でも書きましたが、
 人間の成長、成熟(社会に出る)とはなにかといえば、それは、自分の心身や関係において安心安全を築きながら徐々に領域を開拓、攻略していくことです。
 その開拓、攻略の果てに「社会」というものがあります。

(参考)→「人間にとって正規の発達とは何か?~自己の内外での「公的環境」の拡張

 

 

 「安心安全」とは公的な環境によって作られます。

 公的な環境による安心安全があるとあたかも騎士道精神のように、相互にリスペクトし、承認し合うことができます。

 承認をもらうためには、公的な環境づくりによる「安心安全」が不可欠です。

 対人関係において公的環境を形成するのは礼儀やマナーと言ったプロトコルであったり、嫌なものについては「NO」といったり、必要に応じて突っ込んだりすることです。

(参考)→「礼儀やマナーは公的環境を維持し、理不尽を防ぐ最強の方法、だが・・・

 

 しかし、公的環境が作れないままだと、「人間は私的環境では解離して容易におかしくなる」という性質があるために、ただ承認を貰おうとしても、嫉妬で発作を起こしてしまい、こき下ろされたり、ローカルルールに巻き込まれて、そのままでは承認が得られない。

(参考)「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 

 

 

 人間とは社会的(クラウド的)な生き物で、社会に接続されることで初めて機能する。

(参考)→「人間、クラウド的な存在

 だから、社会とつながろうとして努力するのですが、トラウマを負っていると、そもそも足場(愛着≒安心安全)がないためにそれがうまくできない。
 ローカルルールを真に受けると、ローカルルールが社会そのものになってしまいます。
 本来つながりを持つべき「社会」が何やら危険で不安な場所となってしまう。自信の源から自然と遠ざかるようになる。

 そのうち、対人恐怖や社会恐怖が強まっていき、、安心安全から人とかかわることができず、承認をうまくもらうことができない→自信が育たない、という悪循環に陥ってしまう。

(参考)→ローカルルールと常識を区別し、公的環境を整えるためのプロトコルを学ぶための足場や機会を奪われてきた

 

 

 仮に、相手から承認が得られたとしても、安心安全がないために、それらを受け取ることができない。
 成果によって得られた承認は、「また次に成果を挙げないと失われてしまう」という事になり(見捨てられる不安)、承認を得られたとしても不安なままです。次から次へと成果を上げる必要がある、と思うと絶望的な気分になります。

 

 ※ひきこもりのケースなどは 機能不全環境の中でまさに足場を失わされてきたと考えられる。それは本人の心の問題などではもちろんなく、「安心安全」(足場)やそれを形成する公的環境づくりができなくさせられてきた、ということに起因する。社会が怖いし、自信がないし、わかっているけどどうしようもできない、という状態になるのはそのためです。

(参考)→「上手に退却(引きこもったり)し、上手に社会とつながる」 

 

 このように自信がない、という場合に、ただ、考え方を変えて自信を持とうとか、実績を作ろう、としても意味がありません。
 自分の内外に「安心安全」を少しずつ作り出す必要がある。それが承認を生み、自信につながっていきます。
  

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「安心安全」がなくなると、物理的な現実が信頼できなくなってくる。

 

 

人からの評価、評判がとても気になる。

「~~さんは、~~だね」といわれれば、まさに言われたことが自分そのものになったような気になる。

言葉が呪術のように押し寄せてくる。

 

そのうち、評判=自分 というような感覚になってきて、

人からどう思われているか? 誤解されないか?といったことばかりに神経をすり減らすようになる。

相手が勝手な評価をしようものなら、内心は怒り、イライラ、恐怖で頭がぐるぐるする。

これは、「安心安全」の足場がなく、ローカルルールに囲まれるような生活が続くことで生じる現象の一つで、物理的な現実への信頼がなくなった結果によるものです。

 

物理的な現実とは、
例えば、
 「自分自身」というもの、
 「世の中、社会」
 「他者」
 などなど

 
物理的な現実、と聞くと、何やら冷たく、厳しいもの、のように感じたとしたら、それはローカルルールに浸かった感覚の影響だと言えるかもしれません。

目の前にあるコップに「無くなれ!」「バナナになれ!」といくら念じてみても変わらないように物理的な現実は、強固にそこにあって、安定しているものです。

 

本来は、「自分」というものも、他人が「~~だ!」といっても変わることはないはず。「自分は自分」として、強固にそこにあって、コップと同様に安定しているものです。

他人からの評価が来たって、大丈夫。

物理的な現実(身体)とは、現実につなぎとめてストレスから身を守るアンカー(錨)となるものなのです。

(参考)→「物理的な現実への信頼

 

 

「安心安全」がなく、ローカルルールの幻想にまきこまれると、物理的な現実への信頼感が弱まってきて、だんだんと、評判そのものが事実のように感じられ「自分はおかしい」「ダメ人間だ」と思うようになり、自他の区別がつかなくなり、評価=自分となってしまうのです。

 

 

さらに、物理的な現実を信頼できないために、世の中がなにやら自分には管理できない、得体のしれないハプニング(オバケ)だらけに見える。

 だから、ちょっとわからないことがあると、すべてを放り出したくなるような、泣きたくなるような感覚になります。パニックに陥ってしまいます。
 
 わけが分からないように感じる現実を跳躍して回避しようとして、自己啓発やスピリチュアルなものに頼りたくもなってきます。
 
 (発達障害の方などがパニックになりやすいのも、心身に安心安全がないことが大きな原因の一つとされます。スピリチュアルなものにも傾倒しやすいとされます)

 ただ、それは、本来、地面(現実)に着地しなければならないはずのところを、さらに空中へ空中へと舞い上がるようなもので、問題をより不安定に、より難しくしてしまいます。

(参考)→「ローカルな表ルールしか教えてもらえず、自己啓発、スピリチュアルで迂回する

 

 

 ローカルルールとは、単に私的感情が常識のフリをしているだけで実体がありません。

 

 

 意識や考え方を変える必要はありません。ただ現実を見れば良い。
 (仏教などは、まさにそういう事を言っていると考えられます。)
 

 「いや、実際私はいろんな人から、ダメだといわれてきたので・・(ダメだということが現実だ)」
 「事実、人間関係で失敗してきた・・(だから、現実だ)」

 と感じるかもしれません。

 それはまさに、ローカルルールの呪縛にあるということ。

 白鳥なのに、「醜いアヒルの子」とされてきただけ。

 ただ、物理的な現実、自分自身をありのままに見ることで対抗すれば、「魔法のリンゴ」はなんなく崩れてしまいます。

 

 ローカルルールを真に受けた状態で、「醜いアヒルの子」という前提から出発して、その土俵で戦ってしまうと幻想同士の戦いになり、効果的に反撃できない。

 他者が、いじめのトラウマで苦しんでいるのを見ればよくわかりますが、「それは、いじめによって作り出された偽の現実だから、気にしなくていいよ」と第三者視点なら気が付く。

 でも、自分が当事者だとわからなくなる。

 “事実”は作り出されるものだからです。
 “事実”と物理的な現実とは違う。

(参考)→「自分にも問題があるかも、と思わされることも含めてハラスメント(呪縛)は成り立っている。

 

 

 

 ある国で差別されている人たちいて、経済的にも低い水準に置かれている。
 それを差して、「事実、不潔だ」「事実、粗暴だ」といわれてしまっていることがあるとします。

 
 しかし、それは作られた事実であって、物理的な現実とは言えない。

 環境が悪ければ、誰でもそうなります。衛生状態も悪くなるし、文化レベルも下がるけど、それは本来ではない。
 (物理的な現実は何かといえば、人間という種は“ホモサピエンス”一種類しかなく、科学的な差はない、ということになる。)
  

 

 家庭や学校、会社などでも、ローカルルールで事実は作り出される。
 
 ゴールポストを恣意的に動かされてしまえば、シュートも入らなくなってしまう。ちょっとしたことがファウルとなってしまって、パフォーマンスを発揮できなくなる。

 それも物理的な現実とは異なる。

 

 私たちは、ローカルルールによる呪縛にいくつもかかっている。
 それに対して幻想で対抗するのではなく、安心安全を足場にして物理的な現実で対抗してはがしていく必要がある。

 

 

 依存症の治療において、「底つき体験」がなぜ有効かということも、こうしたことを示しているといえます。
 ローカルルールによって「自分がダメだ」と思わされてきたことが、「底つき体験」によってはがれて、「そこに存在する自分」という物理的な現実が見えてくるから。
(参考)→「依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと
 
 

 

 ただ、ローカルルールの世界で長く過ごしていると、ローカルルール=現実 だと思い込まされてしまうので、幻想同士の戦いに巻き込まれてしまい、いつまでたっても抜け出せなくなってしまいます。

 

 世の中は、ローカルルールが点在していて、うっかりするとそこに巻き込まれてしまう。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 学校でも会社でも家庭でもローカルルールを見分けて、常識を頼りに自分の安全な居場所を確保すること、秩序を整理する必要があります。そのためにも、足場(安心安全)は必ず必要で、足場(安心安全)があれば、物理的な現実を信頼して、対抗することも容易にできるようになります。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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人間にとって正規の発達とは何か?~自己の内外での「公的環境」の拡張

 

 私たちは、“愛着”という足場を基礎として、徐々に公的な環境を自分の内と外に作り出していきながら成長(社会化)していきます。

 公園デビューをした時、幼稚園・保育園に入園したとき、など、
 大人から教えられるのは、挨拶であったり、おもちゃを貸してあげなさい、ということであったり、「公的な環境の作り方」を教えられる。

 

 時に、相手が解離して「私的な感情」の洗礼を浴びるときがある。

 その時は、安全基地(愛着)まで後退して、親の力も借りながらストレスをキャンセルし、再び、公的な環境を作りながら、お友達との付き合いを再開させていく。

 安全基地(愛着) ←(行ったり来たり)→ 探索しながら“公的な環境”を拡張する旅

 といったことを繰り返していく。

(参考)→「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 安全基地(愛着)が堅固であればあるほど、遠くまで旅をすることができる。

 愛着とは、親との子のきずなを指します。

 機能している親子だと、親子関係にも、健全な距離感があり、親も子を尊重する意識があります。
 親が不全感や発達障害傾向などがある場合は、その距離感が崩れて、距離が遠すぎたり、不安定すぎたり、近すぎたりする。
 もっとわかりやすく言えば、親が私的な情動を抑えられず、それが前面に出すぎて、不安定型愛着となってしまう。
 親はそのことをごまかして、これは正しいことだ、と強弁すると不安定さはより強まってしまう。

 

 不安定型愛着とは、親子の間に生まれたローカルルール状態のことだといえます。

 

 安定型の愛着は、それ自体が公的な環境のひな型となりえる。
 (相互に別々の人間であるというわきまえとリスペクトがあります。)
 

 人間は成長の過程で愛着という安全基地を足場として、さながら開拓民のように、探索行動をして自分にとっての公的環境を拡張していく。

 

 

 もちろん、心身に危険なこともある。その時は基地まで戻って、ストレスをそらしてまた再開する。身体への危害も、心への危害も、ともに私的情動によるものですが、公的な環境というバリアがあれば、それらから自分を守りやすくなります。

 

 

 公的な環境を拡張する旅は、自分の内側にも向きます。

 それは、精神的な成熟ということです。

 

 人間の精神は、社会での活動や肉体の発達とも不可分ですが、思春期などを経て、相手の気持ちを考えたり、抽象的な思考ができるようになるなどしていきます。

 発達課題、その中でもいちばん重要なアイデンティティの確立、という難しいテーマにも挑戦していきます。

 

 

 そして、人間が精神的に自立するためには、公的な環境を作り出すために大人たちから得た規範を内面化しつつ、それを棄てて、昇華するということが必要です。

 

 例えば、二度にわたる反抗期で、大人に対して「嫌々(NO)」ということ。
 大人の教えに反発すること。

 自分だけの秘密を持ったり、ウソが付けるようになったり、ということも必要。俗には”悪”と感じられるようなエゴも大切なことです。

 

 規範の内面化 → 規範の否定 → 規範の昇華 というプロセスを経て、公的環境が真に自分の土地となる。 

 

 

 さらに、成長とともに、社会的な役割も引き受けることになります。

 習い事、部活やバイトなどの「しごと」引き受けながら公的人格に憑依することを通じて、精神は落ち着きを持つようになります。

 新入社員の顔を見ればわかりますが、どこか人間としての所在が落ち着かない浮ついた感じから、ベテランになると、目や雰囲気がすわってくる。

 本当の自分はどこかべつにあるのでもなく、私的人格にあるのでもなく、公的な人格の中にこそあります。

(参考)→「本当の自分は、「公的人格」の中にある

 

 

 ですから、もし、精神的に不安定であったり、悩みの中にあるときは、そこから抜け出すためには、なんらかの社会的な役割をいただく、公的な人格をまとう必要がある。
 ただ、家にいても良くなることはありません。
 (家は、あくまで一時緊急避難先としての機能しかありません)

 
 私的な環境は、人間をおかしくしてしまいます。

 (参考)「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 
 人間は、

 愛着(安全基地) → 公的な環境 → 公的な環境 →・・・
            (安心安全)  (安心安全)
          
 という形で、ストレスから身を守りながら、安心安全の領域を拡張していきます。
 

 社会で活躍できる方、精神的に安定している方というのは、分解すると、こうした段階を持っていると考えられます。
 
 
 登山の時も、基地を作って前進、基地を作って前進、と進んでいきますが、
 まさにそのような感じ。

 基地がなければ遭難してしまう。
 

 

 前回の記事で、トラウマを負った人は社会で活躍していくための足場を失ってきた、ということを書きましたが、

(参考)ローカルルールと常識を区別し、公的環境を整えるためのプロトコルを学ぶための足場や機会を奪われてきた

 

 反対に、トラウマを負っている、愛着が不安定な場合(あるいは発達障害傾向など)は、

 
 愛着が不安定 → うまく公的環境(安心安全)が作れない。 →  うまく公的環境(安心安全)が作れない。→・・・

 という感じになっている。

 安心安全の前線基地がないために、礼儀やマナーといった関係のプロトコルを上手く使うことができなくなります。

(参考)→「礼儀やマナーは公的環境を維持し、理不尽を防ぐ最強の方法、だが・・・

 

 その結果、関わる人が私的な環境にとどまり、情動をコントロールできず解離して、理不尽なことを仕掛けてきやすくなってしまう。
 もちろん、理不尽なことをする側に問題があり、トラウマを負った人には責任はありません。
 実際に、いじめといったローカルルールはこちらの状況にほとんど関係なくやってきますが、安全基地があれば、一歩前に戻って嵐がすぎるのをまったり、別のルートを選択することができる。

 安全基地がないと礼儀やマナーと言ったこと関係のプロトコルが何やら億劫に感じられるようになってきて、公的な環境がうまく作れないために、

 

 愛着が不安定 →  ローカルルール  → ローカルルール  →・・・
         (社会恐怖、対人恐怖)(社会恐怖、対人恐怖)
         
 

 という負の連鎖になってしまう。

 トラウマを負った人が感じる(見ている)社会や人間とは、社会や人間そのものではなく、ローカルルールでおかしくなった状態のものです。

 トラウマチックな記憶が処理されるためには共感が必要ですが、
 その記憶もうまく処理されずに、心身に残り、苦しみ続けるようになる。

 かりそめの安心安全を作り出そうとして、ニセ成熟と呼ばれる状況に陥ったり、宗教だとか、スピリチュアル、自己啓発に頼る場合もある。

 「ニセ成熟」というのは、ローカルルールに合わせて公的な人格を作り上げた状態で、本物ではないので、いびつで、本人にとっては自然体ではなく、ヘトヘトになるものです。本当の成熟ではないので長くは続きません。

(参考)→ニセ成熟(迂回ルート)としての”願望”

 

 ローカルルールに合わせた公的人格とは、理不尽な親や友達などの要求に応えるように頑張っているような状態のことです。
 (例:「あなたはすぐに調子に乗る」→調子に乗らない自分 「あなたは人から好かれない」→人から好かれるように頑張る など)
 

 また、自己啓発等の「安心安全」の代替は、あくまでかりそめであり、それ自身がローカルルールであることも多く、本当の安全は得られない事が多い。

 

 人間にとって正規の発達とは何か?というと、
それは、愛着を基礎に、自己の内外に公的環境を作り出しながら、「安心安全」を拡げていくプロセスということになります。

 
 今もし生きづらいなら、それは、安心安全の足場がない状態ではないか? 事実と思っていることがローカルルールではないか?
 と確認してみること、が大切です。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

ローカルルールとは何か?

 最近、何年もかかってようやく自殺したお子さんの死の原因がいじめにあったことが認定された、というニュースを耳にしました。

 別のニュースでは、いじめの認定をされた後に学校側が不服を申し立てる、といったこともありました。

 一般の感覚からすると信じられない、と感じるような出来事ではないかと思います。

 

 

 ただ、実は、こうしたことは珍しくなく、実際にいじめがあっても教師、生徒、他の保護者たちが、いじめを強硬に認めない、ということはしばしば起こります。

 一般常識としては「いじめは絶対にいけない」と思っていながらも、教師や保護者たちもいじめられる側に問題があると疑いもなく思っていたりする。

 いじめ研究でしられる社会学者の内藤朝雄氏の著書にも、そうした教師の声が紹介されています。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

 

 常識と、現場とのずれは、なぜ起こるのか?
 その秘密は、「ローカルルール」という存在にあります。

 

 

 ローカルルールとは、規模の小さな共同体のルール、ということを意味するのではありません。
 (かつては、ナチス、中国やカンボジアなどの共産党政権のように国や地域全体を覆うような規模の大きなものもありました。) 

 

 ローカルルールとは、「公的規範のフリをした私的情動」を差します。

 

 不全感を持った人たちが、自分の不全を埋めるために、自分たちのネガティブな私的情動を「これこそがルールだ」「常識だ」として、他人に強制することです。

 

 

 公的規範、常識のフリをしていますが、あくまで私的情動にすぎないので本当はもろく、穴だらけです。自らだけでは「I’m OK」を成立させることができない。  

 

 そのため、ローカルルールが「I’m OK」であるためには、生贄や敵が必要になります。それは他者を「You’r NOT OK」とすることで、「I’m OK」を成り立たようとするのことです。

 

 その”他者”とは、いじめの被害者であったり、被差別者であったり、資本家とか旧体制の社会層、といった人たちです。

 

 被害者とは被害者にされるに足る要素があるのだ(≒自業自得の部分がある)、というのはそれ自体がローカルルールの考え方で、被害者は誰でもなりえます。
 被害者と加害者が容易に反転する、というのはよく知られていることです。
 (例えば、藤子不二雄の「少年時代」という自伝的なマンガ(映画もあります)でも、いじめっ子が終盤では無視され、いじめられっ子になる、というものでした。)
 
 

 ローカルルールは、根拠が薄弱なため、巻き込まれる他者を必要とします。いじめであれば、いじめっ子の論理に感染する傍観者や教師、保護者(「いじめられる子にはいじめられる理由がある」といったこと)。依存症やパーソナリティ障害の当事者が、感情を爆発させたり、対応の冷淡さや欠点を指摘して治療者や家族などを巻き込もうとするようなことです。

 あたかもローカルルール自体が生き物(独立した人格)であるかのように動き、自分を守るために他者や当事者自身をローカルルールのおかしな世界観に巻き込もうとします。※コンピュータウイルスが、まさに「ウイルス」と呼ばれあたかも生き物のように動作するのと似ています。

 

 ローカルルールの感染力はすさまじく、例えば、いじめの事件では教師や保護者、教育委員会レベルまで感染し、事件がなかったことにさせられたり、いじめっ子の論理が正しいとして、「学校を守れ!」と請願が起こったり、といったことも珍しくありません。まともなはずの大人たちもおかしくなってしまうのです。(社会学者の内藤朝雄氏はローカルルールを「群生秩序」と呼んでいます。)

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

 

 ローカルルールは、家庭や学校、会社など常識から隔絶されやすい閉鎖的なコミュニティや、歪な人間関係あるいは伝統が揺らいだ不安定な社会、時代では生じやすいとされます。

 いじめというのは伝染していきますが、いじめを行う子供には、やはり家庭などにストレスがある、という指摘があります。
 家庭へのストレスは父が会社から持ち込んだものであったり、夫婦の不和であったり、といったもので、そうしたストレスに晒され、不全感を持つことで、解消先として私情を学校で発散し、それを「常識だ」としてコーティングして、ローカルルールが生まれるのです。

 

 ローカルルールとは、加害者側が、自分の不全感を癒すための行為(未熟な自己治療)ともいえます。

 

 

 職場では、経営者や上司がある種の自己愛の不全を抱えていて、それを解消するために、私情をもっともらしい形に変えて従業員や同僚に対してぶつけ、おかしな文化が形成される。
 例えば、自身がコンプレックスを感じるような人物を「仕事ができない」として攻撃したり、人それぞれの仕事の仕方を価値がないとしたり。
 (愚痴を言わない、口応えしないことを美德して、休みなく働かせる、といったようなこと)

 

 家庭でも、夫が自分の不全感を解消するために、家事や育児にケチを付けたり、自分の価値観からおかしなルールを家庭内で敷いたり。
 妻が自身の不安を解消するために子どもを縛り「あなたのためよ」と過度に干渉したり。

 これらも、私情を「常識だ」とすり替えたローカルルールです。
 
 

 ローカルルールとは、ローカルなルールであることが問題なのではなく、私的情動を公的規範と偽ることが問題なのです。

 

 ローカルルールが起きるコミュニティでは、必ず機能不全が生じています。
 

 「機能」とは、公的な役割を代表することを言います。
 さまざまな役職には、本来期待されている役割というものがあります。

 校長なら校長の、社長なら社長の、父親・母親なら親としての。
 コミュニティによってその内容はさまざまであっても、要素は共通するものがあります。

(参考)→「夫婦、恋愛の悩みも「機能」として捉えれば、役に立つ

 

 

 本来は「機能」を通じて「公的な環境」が現場でも実現することになります。
 各役割とは公的な環境の「代表」であり、「窓」とでもいうべきものです。

 しかし、本来行うべき機能が果たされずにいたり、おかしな理屈で機能が曲げられていたりすると、機能不全となり、公的な環境の光が届かず、ローカルルールを牽制することができなくなります。

 湿気が多いところにカビがはえるように、ローカルルールもはびこりやすくなります。

 
 
 ローカルルールと、常識や社会通念と呼ばれるものとの違いは何か?

 それは、

 ・常識が多元的であるのに対して、ローカルルールは一元的であること
  (善悪が変にはっきりしている、“人それぞれ”ということが受け入れられない)。

 ・常識が奥行きが豊かなのに対して、ローカルルールは根拠が薄弱。巻き込まれた人たちの同調圧力でかろうじて維持される。

  (ローカルルールは伝染する)

 ・常識は諧謔(ユーモアが)があるのに対して、ローカルルールにはそうした余裕がない。ユーモアとは、謙虚と敬意のブレンド。
  (妙にまじめで、堅苦しい)

 ・常識は有限であり、学習、更新されるのにたいして、ローカルルールは代謝がなく無限のもの。
  (「あなたみたいな人はどこにいっても通用しない。いじめられ続けるのよ」といったセリフに代表される)

 ・常識が身体感覚的であるのに対して、ローカルルールは頭が中心。
 
 といったところにあります。

 

 

 ローカルルールと常識との区別はさほど難しくありません。
 普通であれば、感覚としてわかります。

 

 ただし、ローカルルールは、感染力があり、それを内面化してしまうと、
 そのコミュニティ内では、そのおかしさを感じることが難しくなります。

 

 

 実際に、いじめが起きている現場では、冒頭で紹介しましたように、教師や、他の生徒や保護者までが頑なにいじめを否定したり、学校を守ろうとして署名活動までしたりする、といったようなおかしな現象がしばしば起きます。

 

 

 人間というのは、一般的にヒューリスティック(いくつかの情報に代表させて)に判断を行う。例えば、おかしいと身体感覚で感じても、「あの人が賛成しているなら、大丈夫だろう」とか、「これだけたくさんの人が賛成しているなら、私のほうがおかしいのかも」といったように、権威や量で判断する性質がある。

 ローカルルールとは、こうしたヒューリスティックな判断という習性に悪く乗りかかり広まっていきます。

 

 詐欺やねずみ講なども、そうした性質があって、実は信頼できる人(知人、名士など)からもたらされることが多い、といわれます。
 (直感的にはおかしいような気がしても、それを打ち消すような信頼感、“実績”や雰囲気があるので騙される)

 

 学校や職場や家庭などは、価値観が一元的になりやすいために、ローカルルールが生じると感染しやすく、判断も混乱させられやすい。

 

 

 一方で、警察が介入したり、法律的に処断されると(公的な環境が入ると)、ローカルルールは沈静化していきます。
 (自尊心も絡んで判断基準を何重にも狂わされたりしている場合、影響力は強く残り続けますが)
 

 

 

 また、心身のコンディションが低下していると感染しやすい。
 心身のコンディションとは、安心安全の確保のことで、睡眠、食事(栄養)、運動を指します。
 マインドコントロールや取り調べなどにおいて、眠らせない、食事や運動を制限する、のはなぜかといえば、そのためです。
 

 

 

 

 通常の人間関係、1対1でもローカルルールというものは生じることがあります。心身のコンディションが良ければ、影響されることは少なく、常識的な直感によって避けることができます。ある種の「ユーモア、ツッコミ」でキャンセルすることができます。

 
 しかし、ローカルルールによって支配される側に、
  「この関係を壊したくない」
  「見捨てられたくない」
  あるいは、
  「自分はおかしいと思われたくない」
  「認められたい」
  といった感情があると、関係を壊したくない、離れたくないことが優先され、ローカルルールが維持・強化されてしまうことになります。
 
 そうした心情をうまく利用されてはびこることになります。
 

 

 では、ローカルルールの影響から逃れたり、ローカルルールが活性化させないためにはどうすればよいのでしょうか?

 ここでのポイントは2点(追記もあわせれば3点※別の記事を参考にしてください)
 1.「安心安全の確保」

 2.「関係(常識、公的環境とつながる)」ということです。

  +

 (追記)3.「人格(モジュール)単位でとらえる

 

 

 1.「安心安全の確保」とは、まずは睡眠、食事、運動をしっかり確保ことです。 これらを欠くと、対応がとても難しくなります。

 相手をはねのける力が身体のどこからくるかといえば、一つは副腎から分泌されるストレスホルモンです。
 その力が弱っていてはローカルルールをはねのけることは難しくなります。
 睡眠、食事、運動が制限されると途端に身体がストレスをはねのける力は下がり、解離しやすくなったり、判断力が低下したり、
 極端な場合は過労死といったような自体にも至ります。

 そして、あまりにストレスフルな環境からは距離を置く。

(参考)→「「0階部分(安心安全)」

 

 

 次に、2.「関係(常識、公的環境とつながる)」とは、問題となるコミュニティ以外の人たちとたくさん、薄くつながることです。

(参考)→「「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである」

 「間違った選択を同調圧力によって正しいと信じ込ませようとする」心理学の実験においてもローカルルールに対抗できた人は、頭の中で、友人・知人を思い浮かべていたと言います。つまり、外の関係とつながることができていたわけです。

 いじめにおいても、学校以外の趣味の世界がある子は抵抗しやすかったりします。
 

 

 職場のストレスで苦しんでいても、外の空気に触れて、気楽な人との何気ない会話に救われたり、といったことは私たちも経験することがあります。
 
 そうした外の関係とつながることで、「公的な環境」の光、空気が差し込んできて、それがローカルルールによって人格を全否定された自分の気持ちを“我に返してくれる”効果があるのです。

 
 本当の意味での常識というのは、私たちに抵抗する拠点を与えてくれるものです。

(参考)→「常識、社会通念とつながる

 

 

 その際に注意しないといけないのは、「家族や親」に相談したりすることです。機能している家族は抵抗のための基地になりますが、機能していない「家族や親」は、常識の参照元にはなりえない。

 もし、ご自身がローカルルールに影響されやすい場合は、ストレス障害(≒トラウマ)を抱えているケースがあります。
 そのトラウマの原因というのが、家族であったりすることがあるのです。

 

 家族は味方のフリをしているだけで、実は暴言、悪口というストレスを浴びせられていたり、過干渉によって「あなたは何もできない」というメッセージを投げ続けられていたり、といったことはよくあります。
 なぜか妙に自信がない、自分がない、という状態にさせられてしまいます。

 外での悩みを家族や親に相談しても、「あなたにも問題がある」といったような余計なアドバイスで苦しめられます。
 これも結局は、親の私情を常識のように騙って“アドバイス”としているローカルルールでしかない。

 

 

 このように、家族(場合によっては友人なども)が真に味方ではないことはとても多い。彼らも、不安定な自己愛、恨み、嫉妬、支配欲といった不全感を抱えていたりするからです。

 家族など身近な人がもたらすストレスによって内的、外的な「安心安全」を奪われてきたために、外で遭遇するローカルルールに抵抗する力が低下ししてしまっているのです。

 

 

 もう一つ注意が必要なのは、ローカルルールに、ローカルルールで対抗しないこと。
 具体的には、例えば、自己啓発やスピリチュアルなものに気を付けることです。それは、(もちろん、本当に良いものもあるかもしれませんが)、それ自身も単なるローカルルールでしかないことも多く、ローカルルールから抜け出すために、別のローカルルールに移る、といったことにしかなりません。
 そこには、やさしそうだけど実は支配欲のあるグルが待ち構えているといったケースや、メンバー同士が競争的な場所だった、なんてことは珍しくないことです。

(参考)→「ローカルな表ルールしか教えてもらえず、自己啓発、スピリチュアルで迂回する

 

 

 別のローカルルールに頼ってしまうケースで多いのは、ローカルルールと常識との違いに気が付いていない場合や対人恐怖や社会恐怖を植え付けられてしまっている場合。

 
 ローカルルール=社会と捉えてしまっているので、社会というものへの恨みを持ってしまって、戻るべき場所がなくなってしまっているのです。

 社会という足場を奪われて、反対に恨みを向けさせられているのもローカルルールの恐ろしさとも言えます。

 でも、ローカルルールと、社会とは全く違う、ということ。ローカルルールと常識とは全く別物であると知れば、恐怖からも自由になれる。

 ローカルルールから抜け出すためには、常識の力、公的な環境が必要。
 造花と生花が全く異なるように、その深さ、多様性は比べ物になりません。

(参考)→「常識、社会通念とつながる

(参考)→「「仕事」や「会社」の本来の意味とは?~機能する仕事や会社は「支配」の防波堤となる。

 

 

 
 私たちがローカルルールを活性化せないということは、自然の環境保全とも似ています。
 

 水や栄養を確保したり(安心安全)、
 光が差し込んだり、よい空気が循環している(公的な環境)。

 そして、多様な植物、生物、微生物が存在していてバランスが取れている(関係)。 何か特定のものに偏ると、変化に弱くなります。

 

 代謝があって、循環している。それぞれが機能を発揮することで、住みやすい環境が作られていきます。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

ただ、そこに存在すること(Being)

 

 前回の記事で、責任を捨てると役割が出てくる、ということを書かせていただいた中で、例として、カウンセラーの本来の機能として、「そこに存在すること」と書きました。

(参考)→「無責任」になると、人間本来の「役割(機能)」が回復する。」 

 

 

 カウンセラーに限らず、「そこに存在する」というのは人間にとってとても根源的な機能とでもいえるものです。

 
 私たちは大自然の中にいるときそのことだけで癒されたりすることがある。
 イルカなど動物に接すると、それだけで癒されたりする。

 自然は、ただそこに存在しているだけ。動物もそこに佇んでいるだけ。

 

 
 理想ですが、実はうまくいっている治療現場では、「そこに存在すること」ということから治療の効果は生じている。

 

 心理療法とか薬とかそんなことは脇においておいて、ただ、話を聞いたりしていることで良くなっていくということはある。
 それは、傾聴とかそんなテクニックとかでもなく、そもそもの人間同士の関係がそうさせる。
 
 それは確かにある。筆者も経験することです。

 

 かなり重篤なケースなのに、
 「心理療法とか、カウンセリングはいいから、ただ雑談したい」ということを求められることはあります。

 そんなことをしているよりも治療をしたほうがいいのでは?と治療者側は頭では思いますが、でも、実際に雑談をしているだけのほうが効果があったりすることがある。
 

 それも「そこに存在すること」の効果なのかもしれない。
  

 

 

 クライアントさんの側でも、ただ「そこに存在すること」「そこに存在することで許されている」は心から求めていることではないかと思います。

 それは、私たち人間が持つ根源的な機能であり、土台である。

 そこを土台にして、私たちは社会的な活動を営むとされている。

 

 養育環境などこれまで過ごされてきた環境では、「ただ存在することは許されなかった」という方は多い。

 「そこに存在できない」ということを埋めるために、多動ともいうべき焦燥感で動き回ってみる。あれこれと人の気持ちを先回りしてへとへとになる。
 でも、「そこに存在する」ことはできずに、常に足元にはブラックホールが口を開けているかのような不安定さと空虚さを感じて生きている。

 それではとてもやりきれない。

 

 ただ、前回も書きました「責任」を捨ててみると、どうやら「ただ、存在する」ということが身近にあり、誰にでも備わっていることが浮かび上がってくる。

 

 

 では、「そこに存在する」とは、どのようにすれば可能になるのでしょうか? 

 ややもすると、存在することをなにやら次元の高いことだと感じてしまいそうです。高い人格を備えなければ、とか。トレーニングをして身に着けるものであるとか。

 そんなことはなく、健康な人であれば自然と実現していることでもあります。だから、それは難しいものではない。
 

 
 「ただ存在することができない」という方はどうすればよいのか?

 それは、「存在すること」が妨げられるケース、奪われる場面を見ていくと、「存在すること」の要件が見えてくるかもしれません。

 

 

 悩みにあるとき私たちが失うものは何か?というとまさに「そこに存在すること(Being)」。

 「そこに存在する」ということができなくなる。

 何か行動しなければ、とかき立てられる。追い立てられるようになる。何かをしていないと存在できない、何かを果たさないといる価値がない、と思わされる。

 

 
 「うつ」というのは悩みの症状でも中核的なものですが、エネルギーが下がる一方で、内心とても強い焦燥感に駆られている。

 エネルギーが下がるだけなら、冬眠のようにじっと休んでいればいいわけですが、焦燥感があるのに動けない、それでは価値がない、と感じることが自殺へと追い込んだりするのです。
(参考)→「うつ病の真実~原因、症状を正しく理解するための10のこと」 

 

 ただ、「そこに存在して」いればよいのですが、それができなくさせられる。

 

 

 「トラウマ」もそう。

 トラウマとはストレス障害からくる「非常事態モード」を指します。

 
 非常事態であるからただそこにいることが難しい。何かをしていないといけない、何かをしなければと、行動へとかき立てられる。

 そのうちへとへとになってきて、日常のストレスや人間関係には対応できなくなり、生きづらさを抱えるようになってくる。

 そこにいることができずに、内心は気づかいと緊張とで疲れ果ててしまう。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

 悩みにある人は、
 「そこに存在する」という当たり前のことを回復したいと願っている。

 例えば、リラックスを感じたり、人とのつながりを感じたり、といったこともそうですが、そこにいて怒られない、攻撃されない、といった健康な人から見たら当たり前のことを欲している。

 

 
 「存在する」というのは、「Being」とも呼ばれますが、私たちにとって土台となるもの。

 機能不全家族、あるいはいじめにあったりなど不適切な環境で育つと、ただ「そこに存在する」ということができなくなる。

 何かをしなければいけない。と思われたりする。
 

 

 

 
 「存在すること」が妨げられるまでには順序があります。

 それは、

 1.安心安全が脅やかされる

 2.(公的な)関係・役割が切られる

 3.“(ニセモノである)責任”をかぶせられる
 
 
 ということ。

 それぞれはお互いを助長し、悪く循環するようにできています。

 

 安心安全が脅かされているから、落ち着いて関係を構築できない(1)。
 身体面でも自律神経が乱れているから、他者とペースが合わず孤立してしまう(2)。そうした状態は自分の責任だ(3)として、行動に掻き立てられて、「ただ存在しては価値がない」として、安心安全がさらに奪われる(1)。
 

 安心安全がないことで(1)、公的関係とのつながりが実感できなくなる(2)。私的領域(ローカルルール)に巻き込まれやすくなり、ローカルルールの中で支配されたり、嫉妬の渦で苦しめられたりする。その原因は自己責任であるとされる(3)。

(参考)「私的領域」は、公的領域のフリをすることで、強い呪縛となる。

 

 責任は無限であるために、いつまでたっても解消されない自責感、罪悪感に苦しめられ(3)、安心安全は常に奪われ続け(1)、誰ともつながれず孤独のままにされる(2)。

 

 といったようなループに入ってしまう。

 

 

 本来は、

 1.安心安全を感じている
 2.(公的な)関係・役割がある

 ために、おかしな責任がかぶせられそうになっても、「それ、私のではありません」と直感することができる。

 (参考)→「常識、社会通念とつながる

 この場合、3.は無責任であること  とすることができるかもしれません。
  

 

 カウンセラーとクライアントとの関係も同様で、
 良い関係は、治療同盟といいますが、上記のようだとされます。
 
 イルカや自然が最良のカウンセラーであるというのは、1~3が整っているから。
 
 

 

 近年注目されているオープンダイアローグが効果を上げるのも、クライアント、カウンセラー双方に、

 1.安心安全の保障(何事も合意なしに決められない。合意があるため、治療者側も一方的に責められない。)
 2.関係・役割の提供(クライアントも含めてそれぞれに役割があり、対話を通じて関係が作られる)
 3.無責任であること(責任ではなく役割があるため、1,2がさらに本来の機能を果たす)

 という要件が整っているからと考えられる。
  
 

 このように考えると、「ただ、存在すること(Being)」というのは、何やら精神的なことではなく、要件によって成立する、誰でも行えることだということが見えてきます。

 クライアント側、私たちにとってもそうで、「ただ、存在すること(Being)」とは、実は1~3の要件を整えることだといえそうです。

 

 
 ある種のセラピーや自己啓発でも、
 「そのままでいいんですよ」と存在を認めるようなワークがあったりしますが、うまくいかなかったり、その効果が長く続かないのは、1~3を整えないままに行われるからかもしれません。

 

 1~3を整えるためには、まずは、

 1.安心安全を確保すること   
   具体的には、栄養、睡眠、運動はしっかりと確保して身体の安全を整える。理不尽な環境は避ける。

 (参考)→「「0階部分(安心安全)」

 

 次には、
 3.無責任であること(免責されること)

   ローカルルールや責任という人間の身の丈に合わないものを疑い、棄てることで、本来の関係や役割を自然と浮かび上がり、感じられるようになってきます。

 そして最後に、
 2.(公的な)関係・役割が回復する
  
   公的な環境の中で、自分の役割を感じることができ、人とのつながりを回復することができます。  

(参考)→「常識、社会通念とつながる

 

   
 責任を棄て、浮かび上がってきた関係、役割(ネットワーク)が、「ただそこに存在すること」を位置づけ、意味づけ支えてくれる。
 それは高尚なことではありません。いわゆる愛着が安定していれば、そもそも提供されていたはずのものが戻っただけ。 

(参考)→「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 

 効果を発揮するカウンセリング、セラピーというのは、
 分析してみると、1~3の要素がしっかりと手当てされている。
 

 安心安全を確保し、ローカルルールや責任という呪縛から抜けることで、求めてきた「ただ、そこに存在すること(Being)」が回復してきます。
 (実際に、重い症状が急速に解決したり、というケースを目の当たりにすることがあります。)

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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お悩みの原因や解決方法について

自分がおかしい、という暗示で自分の感覚が信じられなくなる。

 

 自分はダメだ、自分はおかしい、と思わされていると、自分の感覚というもの、ガットフィーリング(腑に落ちる感覚)というものを感じることができなくなってもきます。

(参考)→「自分は本質的におかしな人間だ、と思わされる。

(参考)→「頭ではなく、腸で感じ取る。

 

 自分の感覚、というと何やら難しい、修行しないと感じ取れないもの、と思うかもしれませんが、そんなむずかしいものではありません。誰でも感じているもの。

 

 普通、何かを目の前にしたときに、「ハラ(腑)に落ちない」というときはやる必要がない、あるいは、もう少し待ってみる、ということであり、「ハラ(腑)に落ちる」感じがあるなら、やってみてもよい、ということ。

 

 自分はおかしい、とおもわされていると、「ハラ(腑)に落ちない」という感覚を不調やうつ状態と勘違いして無視されてしまい、自分の体に鞭を打って、やる必要のないことをしてしまったり、ということが生じます。

 

 本当は、ゆっくり待っていればいいだけのことなのに、不安からソワソワして、必要のない動きをしてしまう、なんていうことも生じます。

 

 筆者も昔、常にやる気があってワクワクしているのがあるべき姿だ、と勘違いしていて、ピンとこない自分の感覚を否定していたことがありました。それでずいぶん、しなくていいこと、余計なことばかりしていた痛い記憶があります。)

 

 自分の感覚を否定・無視して努力を続けると続かず、その結果、「学習性無力症」のようになってしまって、本当に機会が来て動くべき時に動けなくなってしまいます。

 

 本来、自分の感覚を信頼するための練習が、親子での適切なコミュニケーションになります。子供の感覚について、親が感じ取って言語化して、フィードバックを繰り返すことで、子供は自分の感覚を信頼できるようになる。
 「おなかがすいた」と体が訴えているのに、「だからお前はダメなんだ、寝なさい!!」みたいに返されると、自分の感覚を信じることができなくなってしまいます。

 (参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 大人になると親とのきずなを内面化していますから(内的ワーキングモデル)、愛着が不安であるというのは、言い換えると、自分の感覚を信じられないこととイコールです。

 

 

 トラウマを負っている人ほど、自分がおかしい、という呪縛を超えて、自分の感覚を信じる、ということが大事。偉い人の考えだとか、占いだとか外に答えを求めていると、それがなかなかうまくいかなくなる。
 

 

 乱暴に言えば、
 胸から上のソワソワはニセの感覚、
 腹から下の落ち着いた感覚は本来の感覚

 としてみる。

 頭の中で「~~しなければ!」というのは、だいたいニセの感覚です。

 

 自分の感覚を信じるというのは、「今の自分は、自分の感覚を感じ取れない状態にあるから改善しなければ」ということではなく、本当は問題はなく、そう考えていること自体がトラウマティックな症状なんだ、と思って、ただ、感覚を信じるようにすればいいだけ。
 よほど病的な状況でもない限りは、誰でも感覚は感じ取れていますので、心配いりません。

 

 

 世の中でこれが良い、これが流行だ、としても、自分がぴんと来なければ、自分がやることではないし、タイミングではないということ。
 例えば、「今は○○が流行だ」みたいなことが喧伝されているとしても、頭はソワソワするけど、腑に落ちる感覚がなければ、それは自分がやるべきことではない、あるいは、タイミングではない、ということになる。

 

 ネットとか世の中で一時的に有名になったり、これが新時代の生き方だ!といった人が出て、目立っているように見えても、実はその人自体がいわゆるトラウマを負っていて、自己愛性パーソナリティ状態であったり、胸から上で踊らされているだけで、見た目だけよく宣伝されている、ということも多いのもトラウマティックな傾向がある現代社会というもの。

 自分の願望が実現しました!として有名になった人のその後を追跡してみると、消えていたり、実はトラブルになっていたりすることも珍しくない。
 

 

 実質のあるものしか長く残れない(一時的には実がなくても急激に消費される場合があるが)、ということが社会の裏ルールで

実質がちゃんとあるのに自分には実質がないと暗示をかけられ、ソワソワしなくてもいいことをさせられいるのがトラウマを負った状態、といえるかもしれません。

 

 「自分がおかしい」という思いを捨てて、ガットフィーリングを信じられるようになってくると、そこが見分けられるようになってくる。

 自信をもって、「それは違うな」とか、「ああ、今は必要ない」といえるようになってくる。

 

 

 「仕事や学校の勉強みたいに、嫌でもやらないといけないことはどうなんでしょうか?」と思う方もいるかもしれません。仕事や学校の勉強のやる気も環境(や習慣)によって決まるとされています。
 
 言い換えれば、行動には、「安心安全+ガイド」が必要。
 自分が安心安全で、支持される環境があり、人生の先輩から手ほどきやガイドがあること。

 そうした環境の影響を内面化して、内側から沸き起こってくるものが「やる気」で、個人の気合というものではありません。仕事や勉強の方法などちゃんと教えてもらって、習慣化して、そうして自分の身体が動くのであれば、それは自分がやりたいことだと思ってよいと思います。

 

 周囲の環境が不適切だと上記のように「学習性無力症」となってしまって、「やる気が起こらない」という状態になります。梯子がないままに壁に上らされるようなもの。だから、一般的に言って家庭環境が良くないと「やる気」も起きないとされる。
 (実際、東大に進学するかどうかは、頭の良さで決まるのではなく、収入など環境で決まっていたりする。)

 
 もちろん、環境が整っていても、それに興味がない、という場合もあります。
 その場合は、その他の選択肢が向いているというケースでしょうし、

 あるいは、発達の段階は人それぞれですから、まだ、そのタイミングではないということが考えられます。

 

 適切な環境で習慣作りをして、機会を待っていると、勉強やその仕事がしたくなる、ということが自然と起きてきます。
 (ただ、放任ということではありません。ある程度は手ほどきを受けたり、周囲は関与をし続ける必要はあります。そうしないと判断のきっかけさえなくなりますので。その点では「一見嫌なことでもやってみることだ」という助言もその通りだといえます。)
 
 

 環境を整えてコツコツ日々を生活していて待っていると、機会がやってきて、湧き上がってくる感覚をもとに行動に移せる、というのは、人間にとっては本来的なスタイルなのではないかな、と思います。

 そのためには、「自分はおかしい」ということ自体が思い込まされていることではないか?ということに気が付く必要があります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「0階部分(安心安全)」の回復は問題解決の中核

 

 人間は、「0階部分(安心安全)」が欠如すると、それを補うために、さまざまな問題行動を起こすようになります。

 例えば、対人関係では、過剰適応であり、過緊張であり、回避であり、しがみつきであり、様々な防衛が働きます。

 身体的には、強迫行動や、依存・嗜癖、不眠、免疫不全、といったようなことも引き起こされます。

 

 これらは、「問題行動」、「疾患」とも言えますし、0階部分(安心安全)が欠如したために、心身が「非常事態モード」に切り替わった、つまり、「0階部分(安心安全)」が欠如した環境に適応した、とも考えられるのです。

 

 戦争、災害など社会全体が「安心安全」ではない環境であれば、それでよいのですが、(非常事態モード自体が臨時の「0階部分」となってくれる。) 実際の社会は平和ですから、自分だけが非常事態モードになるということは、結局は不適応を起こしている、ということになり、本人も、そして周囲も困ることになります。

 

 アメリカでは、戦争から帰還した兵士を描いた映画がいくつかありますが、そこで描かれているのは、自分だけ「0階部分」が「非常事態モード」から「安心安全」へと切り替わらずに、平和な日常とのギャップに苦しむ姿です。

 ずーっと緊張や過覚醒が続いて、落ち着いて何かを行ったり、人とうまく付き合ったりできなくなる。
  

 その結果か、あるいは要因の一つとして、「関係」が壊されてしまう。
自分の感覚と、周囲との感覚、常識があまりにも合わず、無理解の壁に苦しみ、自分は孤立を感じてしまうようになる。

 
 その苦痛を和らげるために、未熟な自己治療として様々な行動をとってしまうようになり、それが嗜癖とか、依存症とか言われるものだったりします。
 (リストカットとか、抜毛症とか、アルコール依存とか、ギャンブル依存とか)

 

 

 免疫機能もおかしくなってしまうために、自責的になって自分を攻撃したり、強迫的になったりします。

 その他、発達障害、ADHDなども様々な問題も、「0階部分(安心安全)」の欠如のゆえではないか、と考えられます。
 (発達障害の方が、反復するものが好きなのは、そこに秩序、安心安全があるからです。)

 

 

 ストレスの研究などでわかっていますが、人間(動物)というのは、急な非常事態に対応することはどちらかといえば得意ですが、長くだらだらと続く、日常のストレスには弱い。

 
 おそらくは、人間(動物)はモードが急に切り替えたり、適応することはできるのでしょうけども、反対に微調整(融通)がきかない。
 

 非常事態モードになった状態を、安心安全のモードに切り替えることが、なかなかできない。だから、皆そこで苦しむ。
 

 

 さらに、ほぼ、身体的な問題なのに、「心」の問題にされてしまい、その人の責任とされてしまう。

 「心」は、インターフェースであり、インプット、アウトプットの入り口にはなりえますが、原因ではない。
  

 

 

 心身が、非常事態モードから、「安心安全」へと切り替わるツボになる部分を探す必要があります。
 (ある理論では、そのポイントとなるものが「耳(声、音)」であったり、顔や喉の「筋肉」であることがわかっています。)

 

 「0階部分(安心安全)」の回復のポイント探しこそが、これからの臨床のメインテーマの一つとなるものです。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「0階部分(安心安全)」

 

 以前、「関係」がどのように成立するのかについてまとめました。

 「関係は1階、2階、3階といった階層構造になっている」
 また、「私的領域では人間はおかしくなる、公的な領域こそが本来の居場所である」ということを見てきました。

(参考)→「「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである

    →「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

    →「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 

 実は、これまで明らかにした関係や公的領域にはそれが成立する前提があります。

 それが、今回お伝えする「0階部分」ともいうものの存在です。

 

 
 私たちはクラウド的な存在であり、「関係」によって成立しています。
 そしてその「関係」とは、公的領域でなければ正しく機能せず、私的領域(個人の情動やローカルルール)にとどまった場合、嫉妬や支配といったおかしなものに堕してしまうようになります。

 

 ただ、こうしたメカニズムの以前に、カウンセリングをしていると、「関係念慮(妄想)」といった状況に陥って、周囲への不信や被害感情に苦しんでいる方に多く出会います。

 

 関係念慮というのは、特別に病的な人がなるものではありません。
 誰でも、体調が崩れたり、睡眠不足になったり、あるいは人間関係のストレスにさいなまれると、容易にそのような状態に陥ります。

 

 「周りの人が私のことをネガティブにとらえている。悪口を言われている気がする」
 「周囲がひどい人ばかり」

 といったようなことです。
 

 そのために、クラウド的な存在であるにもかかわらず、「関係」を構築できず、周囲とつながることができず、代わりに、家の中で嫌な家族やつらい過去の記憶とつながるしかなく、余計に苦しくなってしまう、ということが起きます。

 

 これは、トラウマを負っている方に多い傾向があります。
 (内分泌の疾患、発達障害の方などでも同じような問題が生じます)

 なぜ、そうした方に多く見られるかというと、それはトラウマを負っている方は「安心安全」が脅かされやすいためです。

 「安心安全」の欠如とは、身体的な不調、心理的には不安定型愛着に起因します。

 

 
 人間というのは、免疫やホルモン、自律神経によって、外的なストレスに対処しています。ホルモンなどが国境の壁や軍隊の役割をしていて、防御が利いている間は、その内側は平和でいられます。
 

 ボクシングでいえば、ガードしている状態。
 極端に言えば、どんなにパンチがきつくても、ガードしている間は、安全でいられますし、むしろ、打ってくる相手とガードのタイミングが合い、さながらダンスを踊っているかのように、心地よくさえあります。

 

 これが健康な人間の状態で、健康な人から見れば、
 「人間というものは信頼できる。社会とは安全なものだ」と感じられています。ストレスさえも、どこか心地よく感じられる。
 

 

 

 しかし、防壁が壊されたり、ガードのテンポが合わなくなると、ストレスをもろに浴びるようになります。

 物理的には同じ環境にいながら、途端に「人間とは信頼できない。社会とは危険なものだ」と感じられるようになります。

 これがストレス障害(トラウマ)というものです。 

 

 ※出産を基準にして、出産前にお母さんの中でお腹の中でのストレスでその防壁が壊されてしまうことを「発達障害」といい、出産後、環境のストレスで壊されてしまうことを「トラウマ」といいます。そのため両者の症状は瓜二つになるのですが、それはどちらもストレス障害だからです。ホルモンの失調でも似た状況になります。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

    →「大人の発達障害、アスペルガー障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 

 

 
 同じコミュニケーションでも、防壁があるときは、肯定的なメッセージは、そのまま「肯定的なメッセージ」としてとらえれます。
 しかし、防壁がないとむき出しであるために、肯定的なメッセージも「否定的なメッセージ」として捉えられるようになります。

 

 むき出しですから、「周りはひどい人ばかり」となります。
 (臨床心理の世界では、「周りはひどい人ばかり」と訴えているケースは、強いストレス障害(発達障害)による記憶の断片化が疑われます。)
 

 

 相手が普通に送ってくるメッセージが正しく受け取れないわけですから、通常のやり取りができなくなる。「1階、2階、3階」とフィルタをかけながら積みあがていくように「関係」を構築できなくなってしまう。

 (参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 積み上げ=フィルタ式ではなくて、すべてを警戒するか(回避)、すべてを受け入れるか(接近)、といった極端な形になってしまう。

 

 このように、「0階部分」とは、心身の「安心安全」のことを差します。
 「0階部分」が関係を土台となって、私たちを支えてくれています。

 

 トラウマとまではいかなくても、睡眠、食事、運動が不足すると、私たちは容易に土台が崩れてしまいます。

 
  かつての警察の取り調べや、カルトの洗脳などでは、
  ・睡眠時間を少なくし
  ・食事を制限し
  ・自由に運動ができないようにする

 ということがセオリーです。そうすると、正気を維持できなくなるからです。

 小さなお子さんをお持ちの方はご経験がありますが、
 眠たくなると子供はわけがわからなくなる。
 特に、睡眠不足は容易に人間をおかしくするものです。

 

 

 身体的な健康が脅かされると、人間はだれでも妄想的になります。

  
 そのために、「0階部分」では、「身体」的な健康、安心安全が確保されていることがとても大切です。

 

 

 「0階部分」を整えるためには理屈よりも何よりも、まずは、睡眠、食事、運動から入る。

 睡眠をしっかりとり、栄養を整える。
 
 最近は、鉄分などの不足が精神の不調に大きく影響している、ということが指摘されるようになってきています。

 
 また、たとえばうつ病でも「運動」によって9割が回復するというエビデンスがすでにある(抗うつ剤では2割しか治らない)。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 

 それほどに「0階部分」は大切です。  

※いわゆる「愛着」というのは、「0階部分」のOS(オペレーションシステム)ともいうべきもので、ソフト面から「0階部分」の機能をサポートしてくれています。
 (参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 「0階部分」によって、わたしたちの「公的領域」、「関係」というものは支えられています。

 

 

 

 

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