人間にとって正規の発達とは何か?~自己の内外での「公的環境」の拡張

 

 私たちは、“愛着”という足場を基礎として、徐々に公的な環境を自分の内と外に作り出していきながら成長(社会化)していきます。

 公園デビューをした時、幼稚園・保育園に入園したとき、など、
 大人から教えられるのは、挨拶であったり、おもちゃを貸してあげなさい、ということであったり、「公的な環境の作り方」を教えられる。

 

 時に、相手が解離して「私的な感情」の洗礼を浴びるときがある。

 その時は、安全基地(愛着)まで後退して、親の力も借りながらストレスをキャンセルし、再び、公的な環境を作りながら、お友達との付き合いを再開させていく。

 安全基地(愛着) ←(行ったり来たり)→ 探索しながら“公的な環境”を拡張する旅

 といったことを繰り返していく。

(参考)→「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 安全基地(愛着)が堅固であればあるほど、遠くまで旅をすることができる。

 愛着とは、親との子のきずなを指します。

 機能している親子だと、親子関係にも、健全な距離感があり、親も子を尊重する意識があります。
 親が不全感や発達障害傾向などがある場合は、その距離感が崩れて、距離が遠すぎたり、不安定すぎたり、近すぎたりする。
 もっとわかりやすく言えば、親が私的な情動を抑えられず、それが前面に出すぎて、不安定型愛着となってしまう。
 親はそのことをごまかして、これは正しいことだ、と強弁すると不安定さはより強まってしまう。

 

 不安定型愛着とは、親子の間に生まれたローカルルール状態のことだといえます。

 

 安定型の愛着は、それ自体が公的な環境のひな型となりえる。
 (相互に別々の人間であるというわきまえとリスペクトがあります。)
 

 人間は成長の過程で愛着という安全基地を足場として、さながら開拓民のように、探索行動をして自分にとっての公的環境を拡張していく。

 

 

 もちろん、心身に危険なこともある。その時は基地まで戻って、ストレスをそらしてまた再開する。身体への危害も、心への危害も、ともに私的情動によるものですが、公的な環境というバリアがあれば、それらから自分を守りやすくなります。

 

 

 公的な環境を拡張する旅は、自分の内側にも向きます。

 それは、精神的な成熟ということです。

 

 人間の精神は、社会での活動や肉体の発達とも不可分ですが、思春期などを経て、相手の気持ちを考えたり、抽象的な思考ができるようになるなどしていきます。

 発達課題、その中でもいちばん重要なアイデンティティの確立、という難しいテーマにも挑戦していきます。

 

 

 そして、人間が精神的に自立するためには、公的な環境を作り出すために大人たちから得た規範を内面化しつつ、それを棄てて、昇華するということが必要です。

 

 例えば、二度にわたる反抗期で、大人に対して「嫌々(NO)」ということ。
 大人の教えに反発すること。

 自分だけの秘密を持ったり、ウソが付けるようになったり、ということも必要。俗には”悪”と感じられるようなエゴも大切なことです。

 

 規範の内面化 → 規範の否定 → 規範の昇華 というプロセスを経て、公的環境が真に自分の土地となる。 

 

 

 さらに、成長とともに、社会的な役割も引き受けることになります。

 習い事、部活やバイトなどの「しごと」引き受けながら公的人格に憑依することを通じて、精神は落ち着きを持つようになります。

 新入社員の顔を見ればわかりますが、どこか人間としての所在が落ち着かない浮ついた感じから、ベテランになると、目や雰囲気がすわってくる。

 本当の自分はどこかべつにあるのでもなく、私的人格にあるのでもなく、公的な人格の中にこそあります。

(参考)→「本当の自分は、「公的人格」の中にある

 

 

 ですから、もし、精神的に不安定であったり、悩みの中にあるときは、そこから抜け出すためには、なんらかの社会的な役割をいただく、公的な人格をまとう必要がある。
 ただ、家にいても良くなることはありません。
 (家は、あくまで一時緊急避難先としての機能しかありません)

 
 私的な環境は、人間をおかしくしてしまいます。

 (参考)「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 
 人間は、

 愛着(安全基地) → 公的な環境 → 公的な環境 →・・・
            (安心安全)  (安心安全)
          
 という形で、ストレスから身を守りながら、安心安全の領域を拡張していきます。
 

 社会で活躍できる方、精神的に安定している方というのは、分解すると、こうした段階を持っていると考えられます。
 
 
 登山の時も、基地を作って前進、基地を作って前進、と進んでいきますが、
 まさにそのような感じ。

 基地がなければ遭難してしまう。
 

 

 前回の記事で、トラウマを負った人は社会で活躍していくための足場を失ってきた、ということを書きましたが、

(参考)ローカルルールと常識を区別し、公的環境を整えるためのプロトコルを学ぶための足場や機会を奪われてきた

 

 反対に、トラウマを負っている、愛着が不安定な場合(あるいは発達障害傾向など)は、

 
 愛着が不安定 → うまく公的環境(安心安全)が作れない。 →  うまく公的環境(安心安全)が作れない。→・・・

 という感じになっている。

 安心安全の前線基地がないために、礼儀やマナーといった関係のプロトコルを上手く使うことができなくなります。

(参考)→「礼儀やマナーは公的環境を維持し、理不尽を防ぐ最強の方法、だが・・・

 

 その結果、関わる人が私的な環境にとどまり、情動をコントロールできず解離して、理不尽なことを仕掛けてきやすくなってしまう。
 もちろん、理不尽なことをする側に問題があり、トラウマを負った人には責任はありません。
 実際に、いじめといったローカルルールはこちらの状況にほとんど関係なくやってきますが、安全基地があれば、一歩前に戻って嵐がすぎるのをまったり、別のルートを選択することができる。

 安全基地がないと礼儀やマナーと言ったこと関係のプロトコルが何やら億劫に感じられるようになってきて、公的な環境がうまく作れないために、

 

 愛着が不安定 →  ローカルルール  → ローカルルール  →・・・
         (社会恐怖、対人恐怖)(社会恐怖、対人恐怖)
         
 

 という負の連鎖になってしまう。

 トラウマを負った人が感じる(見ている)社会や人間とは、社会や人間そのものではなく、ローカルルールでおかしくなった状態のものです。

 トラウマチックな記憶が処理されるためには共感が必要ですが、
 その記憶もうまく処理されずに、心身に残り、苦しみ続けるようになる。

 かりそめの安心安全を作り出そうとして、ニセ成熟と呼ばれる状況に陥ったり、宗教だとか、スピリチュアル、自己啓発に頼る場合もある。

 「ニセ成熟」というのは、ローカルルールに合わせて公的な人格を作り上げた状態で、本物ではないので、いびつで、本人にとっては自然体ではなく、ヘトヘトになるものです。本当の成熟ではないので長くは続きません。

(参考)→ニセ成熟(迂回ルート)としての”願望”

 

 ローカルルールに合わせた公的人格とは、理不尽な親や友達などの要求に応えるように頑張っているような状態のことです。
 (例:「あなたはすぐに調子に乗る」→調子に乗らない自分 「あなたは人から好かれない」→人から好かれるように頑張る など)
 

 また、自己啓発等の「安心安全」の代替は、あくまでかりそめであり、それ自身がローカルルールであることも多く、本当の安全は得られない事が多い。

 

 人間にとって正規の発達とは何か?というと、
それは、愛着を基礎に、自己の内外に公的環境を作り出しながら、「安心安全」を拡げていくプロセスということになります。

 
 今もし生きづらいなら、それは、安心安全の足場がない状態ではないか? 事実と思っていることがローカルルールではないか?
 と確認してみること、が大切です。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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理不尽さを「秘密」とすることは、トラウマ、生きづらさを生む

 

トラウマを負った人は、自分のウソや隠し事をする代わりに、家族など周囲の理不尽さを内側に隠し持つようになります。
いわゆるアダルトチルドレンとは、「依存症の親を持つ子ども」という意味ですが、親が酒を飲んで、くだを巻いたり。親同士がケンカをしていることであったり、あるいは、母親が男性を連れ込んでいる姿であったり、ということを「秘密」として隠し持つようになります。

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

「自分」のウソや隠し事は健全な自我を育みますが、環境からもたらされる理不尽さを「秘密」として隠し持つことはトラウマとなり生きづらさを生みます。

なぜなら、トラウマとはストレスや理不尽さを記憶として処理できない“記憶の失調”のことを言うからです。

 
私たちは通常、ストレスや理不尽な目にあったときは、ストレスホルモンが急上昇して、理不尽さに感情をぶつけることで、それらを中和して処理します。脳内では偏桃体や海馬がそれを担います。理不尽さは記憶として整理されて収められていきます。
しかし、理不尽さを当たり前のこととして、「秘密」として内面化することになれてしまうと、それが条件づけられてしまい、ストレスホルモンのセンサーが狂い、偏桃体や海馬が機能しなくなっていきます。理不尽さは記憶として処理されず、冷凍保存されて残ってしまうのです。
またストレスのセンサーが狂うことで、例えば、嫌なこと、理不尽な目にあっても、その場では対処できなくなってしまうのです。
何にも感じずに固まるか、血の気がスーッと引くような感じになります。

そして、その場ではクールに対応していますが、のちにストレスホルモンが上昇してきて、自分の中では、反省大会、次回へのシミュレーションなど、頭のぐるぐる回りが始まって、家でもリラックスできず、眠れない夜を過ごすことになるのです。

 

 

 

例えば、筆者も実家が自営業で、子どものころは夫婦げんかが当たり前でした。
ある時、自営業の父親について、お客さんの家に配達にお手伝いに行きました。その際にその家に子どもがいて、筆者が玄関先で配達が終わるのを待っていると、大人が見ていないときに筆者に意地悪をしてくるのです。
「お前なんでここにいるねん、しばくぞ」と耳元で囁いてくるのです。
大人が見ている時は、その意地悪な子どもは知らんぷりをしています。

筆者は、そのことが怖くて固まってしまっていました。

なぜ、子どもがそのようなことをしてくるのか、まったく意味が分かりませんでした。そして、反撃もできず、それは父親にも言えずに、理不尽さはその意地悪な子供と筆者との間の「秘密」となってしまったのです。

おそらく筆者の場合は、夫婦げんかなどで理不尽さが条件づけられているところに、外での理不尽を経験しても、血の気が引いて対処できなくなっていたということだったのだと思います。
こうしたことはパターンとなって、大人になっても苦しめられるようになります。

 
レイプなどの被害者は、レイプという出来事自体もひどいことですが、なにより、加害者との間に「秘密」を抱え込むことが、とてつもないダメージとなってしまうのです。

 

 

 

震災などの自然災害や事故でもこうしたことは起こります。災害はあまりにも理不尽な出来事です。それを周囲とうまく共有できずに「秘密」として抱え込むと、最初は淡々としていても、ある時うつ状態になってバタンと倒れてしまいます。

 
会社でもそうです。
職場では理不尽さは横行しています。それをうまく発散できれば良いですが、真面目な人ほど抱え込んでしまいます。会社という閉鎖空間の中で理不尽な上司の発言、無理な目標は会社や上司との間の「秘密」となってしまい、家族にも言えずにトラウマとなって苦しめてしまうのです。
いつしか、真面目な人は、他人の理不尽さを引き受ける「ゴミ箱(ガーベージ)」として扱われてしまいます。

 

 

 

機能不全家庭の親や、自己啓発のグルやブラック会社の経営者などが言うように、「愚痴を言うな」というのは、まったくのデタラメで、愚痴を言うことは良いことです。
理不尽なことを「秘密」とせず、それは理不尽だ、と宣言することですから。ぐちぐち、ぶつぶつと、愚痴は言ったほうが良いのです。

 
このように、理不尽さは都度はねのけて、外側にはき出し、適切に「外部化」する。そして、自分の内面は隠し持つことで健全な自分ができて生きやすいとなります。

 

 

 

しかし、トラウマを負っている人は、その逆に、自分とは関係のない理不尽な出来事を「内面化」させられ、自分の隠し事は隠し持つことを許されないまま、ニセ成熟で大人びた状態で生きさせられているのです。

 

そして、自分の「隠し事」を持とうとしても、それがやましい「秘密」のように感じられてしまい、自我を確立させることができなくなったり、成熟が遅れてしまいます。

 

 
トラウマを負った人は、人に対して内面を開示しない人になってしまうか、逆に、(まれに)何でも開示する、妙にあけっぴろげな人になったりして、どちらにしても本当の意味で人とつながることができなくなってしまうのです。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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ウソや隠し事がないと生きづらさが生まれる

 

ウソをついたり、隠し事をするのは、発達の過程ではとても重要だとされます。ウソや隠し事をすることで、自と他との区別が初めてできるからです。ウソや隠し事を通じて人間は自我を確立していくのです。
(育児や発達の本を読むと登場してきます。)

 

人間とはクラウド的な存在です。
自分というものが初めから存在しているわけではなく、外来要素を内面化して束ねているのが自分です。オープンなスマートフォンのような状態です。スマホ本来の機能は何もない。

ただ、写真やメールなど自分のデータを暗号化して外から読み取れないようにしたときに、はじめてその部分が「自我」になる。

だから、ウソや隠し事はとても大切なのです。

 

 

機能している健全な家族、安定型愛着の家庭であれば、ウソや隠し事もある種のユーモア(諧謔)で対応されます。
「なんちゃって!」が通用することがすごく重要です。
もちろん、「ウソや隠し事はダメよ」とはなりますが、実際は「ウソや隠し事もときにOK」「仕方がないな(人間というのはそういうものだ)」として柔軟に運用されているわけです

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

機能不全家族の場合は、逆に、とても厳格に真面目に運用されます。人間のイメージが宗教画のように清らかで完璧です。そこでは、「ウソをつくな!」といって、ウソや隠し事は封じられてしまいます。

 

 

 

あるいは、親が機能していないために、子供が「優等生」となり、親代わりにしっかりしている、という場合もあります。

そこでは、子供がしっかりしているから自我が芽生えているか、というとそうではなく、子どもらしいうそや隠し事ができないまま、子役のようにニセ成熟として親代わりを演じているだけです。ですから、大人になってから「自分がない」という状態になり、苦しむことになります。

 

 

 

ブラック会社やカルトなどはある種の機能不全職場ですが、そこでも、「ウソや隠し事は厳禁」で「社員は素直であること」が強いられます。上司が「俺の目を見ろ!」として、ウソや隠し事がない状態を強います。

社員は隠し事なく、会社の指示に従う。それがいいように聞こえますが、全然そんなことはありません。

昔、元ソニーの社員が書いた「できる社員はやり過ごす」という本がありました。つまり、上司も万全ではないので、健全な組織では、時に上司の指示をやり過ごしたり、部下たちは自分たちの裁量でこっそり開発したり、仕事を進めたりしていた、ということです。

 

 

最近はやりのガバナンスというと、すべてが透明で、指示が徹底される、というように思われていますが、健全な職場というのはそうではなありません。機能する家庭のように、ある意味いい加減で、社員それぞれは秘密はありますが、全体としては成果を上げるように頑張っている、というものです。

 

 

 

トラウマを負った人は、過度に真面目です。隠し事ができません。建前と本音が嫌いです。使い分けることができません。それはピュアでいいこととされますが、実は、真面目で隠し事ができないことが、「自分がない」という生きづらさを生んでいるのです。

そして、“本当の自分”を外に求めてさまようことになります。

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 

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